「百尺竿頭」の意味
「百尺竿頭」 という禅語がある。地上に立てられた百尺の竿の先ということだが、この言葉はたいてい 「百尺竿頭進一歩」 という七文字で掛け軸に書いてあったりする。
百尺といえば約 30メートルの高さということになるが、そこから一歩進めというのだから、禅というのは、よほど無茶をいうものである。
この禅語、普通は 「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)より一歩を進む」と読む。「百尺」は「ひゃくせき」と読んだりもする。
30メートルの高さの竿の先から一歩踏み出したら、落ちるに決まっている。しかも、昔の中国の度量衡では、1尺というのは 36センチぐらいだったという説もあるから、約 36メートルの高さから一歩踏み出せというのである。死ぬ確率がますます高いのである。
ところが、私はつい最近まで、この「百尺竿頭進一歩」という禅語の意味を誤解していたのだ。「百尺竿頭」というのは、高く立てられた竿の先のような、「にっちもさっちも行かない不安定なポイント」という意味だと思っていたのである。
「そんな不安定な危ない場所にいるよりは、一か八か空中に踏み出してみる方がましだ」というようなことだと、私は解釈していた。もちろん、「不安定な危ない場所」というのは、日常生活を送る娑婆のことだ。安定しているように見えても実は不安定なのだと解釈したら、ずいぶんもっともらしい。
ところが、本来の意味は違っているようなのだ。「百尺竿頭」とは、「到達すべき最高点、向上しうる極致のたとえ」という意味だったのだ(参照)。とんでもない間違いをしていたものである。
「不安定な危ないポイントにいるよりは、一か八か、リスクを冒した方がいい」というようなことなら、「俺だって、しょっちゅうしてるかも」ぐらいに思っていたのだが、リスクを冒すという行為の前提が「最高点まで上りつめる」ということだったら、話は全く別である。
「最高点まで上りつめた」と、満足しているだけではだめで、そこからさらに、空中に向かって一歩踏み出せと言っているのである。こんなことなら、「しょっちゅうしてる」どころじゃなく、途中の三十尺付近にも到達していない。
ただ、「たとえ最高点に到達したと思ったとしても、さらに常識外れのダイビングをしなければならない」というぐらいの意味に拡大解釈すると、私のような向こう見ずの人間には、ちょっと心強い言葉になる。しょっちゅう常識外れをするお墨付きをもらったような気分になる。
まあ、禅語は「しょっちゅう常識外れをしろ」と言っているわけじゃなく、「さらなる向上のためには、恐れずに命をかけて踏み出さなければならない時がある」と言っているわけなのだが。
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コメント
最高点まで登り詰めても、一歩踏み出すだけで転落してしまう……盛者必衰の理を表す、だったり(笑)
投稿: 山辺響 | 2008年2月 1日 08:57
山辺響 さん:
新解釈ですね (^o^)
禅語としては浮世のお話じゃなくて、常人の理解できる最高ポイントまで上り詰めたら、それより先は常人の理解を超えた世界になるほかないというようなニュアンスもあるんでしょうね。
一歩間違えたら、「疑似科学」 呼ばわりされて、また某所でいろいろ言われかねないですけど。
投稿: tak | 2008年2月 1日 10:36
不思議と高いポイントにいる人ほどさらなる精進を忘れず、低いところにいる人に限って現状に甘んじてるんですよね。もちろん私も後者ですが(泣
今日の一撃はほぼ全読しているんですけど、禅の話が一番好きです。とても勉強になります。
確か、初めて来たのも乾尿ケツを検索してたときのような(^^;
投稿: Adrienne ◆HI8ebVe8lo | 2008年2月 1日 21:17
Adrienne ◆HI8ebVe8lo さん:
ご贔屓、ありがとうございます。
禅の関係では、それほど大したこと書いてないんですけどね。
父方の祖父 (曹洞宗の坊主だった) からは、「かぁあああ~~つ!」 とやられそうです。
>確か、初めて来たのも乾尿ケツを検索してたときのような(^^;
確か、それについて書いたような気がするんですが、改めて検索してみるとみつかりません。
いつ書いたんだったかなあ。
投稿: tak | 2008年2月 1日 22:36