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2008年2月24日

日本語の 「ありがとう」 は難度が高い

私自身はかなりよく 「ありがとう」 という方なので、Yahoo 知恵袋の "店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか" というスレッドには、一瞬くらっと来た。

私がくらっと来ただけでなく、この質問に対しては、あちこちで攻撃の炎とまで行かなくても、疑問の声が上がっているようなのだ。

ごく単純に考えれば、感謝の意を示すことになんの問題もない。客と店員との間に感謝の意のキャッチボールがあっても、全然おかしくない。逆に、感謝の意を表されることに、なんでまたそんなにねじくれた感慨をもつ必要があるのかということになる。

しかしもう少しつっこんで考えてみると、日本語の微妙な「あや」という問題に突き当たる。日本語というのは、なまじニュアンスが豊富すぎるが故に、なんでもかんでも「ありがとう」で済ませれられるといわけにもいかないところが、確かにあるのだ。

その点、英語は単純で簡単である。アメリカを旅行すると、そこらじゅう "Thank you" という言葉であふれている。アメリカの親は、人にものを頼むときには "please" の一言を添え、何かしてもらったら "thank you" を言うように、しっかりと子どもにしつける。

だから、レストランで注文するときにも "please" と言い、注文した料理が運ばれてくれば "thank you" と礼を言う。店で買い物をして支払いを済ませ、品物を受け取る際には、客の方も "thank you" という。

"Please" と "thank you" は、人間関係を円滑にする単純な記号のようなものだから、陰影に富んだニュアンスはとくにない。そんなものがあったら使いにくくてしょうがないから、ばっさりと省いてある。だから、どんな場面でも自動的に適用して OK だ。

ところが、日本語の 「ありがとう」 は、なかなか大変といえば大変なのだ。時と場合によっては、「ありがとう」だけだと、もしかしたらちょっとだけ目上目線を感じさせて、「エラソー」に聞こえてしまうことだってあるかもしれない。とはいえ「ありがとうございます」は大袈裟すぎて不自然だったりすることもある。

「ありがとう」イコール "thank you" ではないのだ。これが、まったくイコールだったらどんなに気楽に感謝し合えるだろうかと思うのだが、日本語と英語とでは言葉の成立するメンタリティの部分からして違うところがあるので、イコールはあり得ない。

結局、感謝の意を表するため、あるいは単に人間関係を円滑にするためには、英語なら "thank you" で済むところを、日本語になると、「ありがとう」と言ったり、「ありがとうございます」と言ったり、あるいは「どうも」だけで済ませたり、軽い会釈だけにとどめたり、はたまた「すみません」なんて変化技を使ったり、なかなか難しいのである。

これらを相手と時と場所に応じてきちんと的確に使い分けられたら、そりゃもう、日本語の達人と言ってもいいぐらいなのである。

あるいは関西弁の「おおきに」や 東日本の「どうも」がカジュアルな軽い感謝の意を示す定番になったりすることもあるかもしれない。私が現在居住している茨城県つくば周辺のネイティブ茨城弁スピーカーの間では、「どもねー」なんていうのが定番だったりしているし。

私は自分の生まれた庄内の「もっけだの」が好きなのだが、これは残念なことに、かなり地域限定だからなあ。

それからちょっと蛇足かもしれないが、本当に心から感謝していることを伝えるには、スタンダードの「ありがとう」に「本当に助かりました」という一言のバリエーションを添えると、とても効果的な場合がある。

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言葉」カテゴリの記事

コメント

めまぐるしく慌しい一週間を送って久々にネットを覗いてtakさんのブログで今朝もまた身近な日常にある自分と他人のギャップが感じられました。

「ありがとう」というのは、takさんが書いてらっしゃるように私は東日本の人間なので「どうも!」という感じで日常使ってます。使ってる自分は何の違和感も他意もなくフツーに呼吸をするように意識的に使わない事も出来るが無意識に使ってます。偉そうな気持ちも無いしバカにしてる気分も微塵も無いです。

コンビニでは、無言で入店して、客が陳列商品を直接手にとって、これまた無言でレジに並んで会計合計金額も店員さんが言うのを聞くか、POSに表示される金額を目視して無言でお金を渡して無言でお釣りを受け取って無言で店を出て、無言で帰宅して、無言でパソコンに向かい、無言でキーボードを叩き、無言で意思の疎通が出来る。今の世の中、一言もしゃべらずに生活する事が可能。そんな中で、ちょっとした言葉のキャッチボールも面倒になってしまうのか?と思ってしまいました。

私が子供の頃はコンビになど無く、店といえば、学習用品のエンピツから鯨の缶詰、酒やサルマタのゴムまで百貨店というよりも総合商社のような雑貨店、それも、コンビにのように陳列するスペースなど無い間口の狭い雑貨店ゆえ、「あのぉー墨汁欲しいんですけどぉ」と店主に告知して店主が、ホコリだらけの墨汁を布巾で拭きながら「習字の練習か?がんばれよ!」とか言われながら商品の購入をしたものです。そんな一連の会話の流れから最終的に”ありがとう”の意味の「どうも」という言葉で締め切ったような気がします。

というか、「ありがとう」といわれて偉そうに聞こえるっていう感想が私には理解できない。水前寺清子の「ありがとうの歌」を聴かせてやりたいですよ。偉そうに聞こえる言葉って私は、部下に「ご苦労様でした」と言われると”なんだ?このぉ偉そうに!!」って思う、そんなときは、「あなたにお疲れといわれるほど疲れちゃいないですよ」と憎まれ口を叩いてしまいます。部下には「ご苦労様」より「お疲れ様」と言って欲しいです。

ありがとう。有りえる事が難しいから「有難う」なんでしょうが、有りえる事が難しいからこそ、ありがとうの連発でいいのではないでしょうか?。なんか、よくわからなくなって来ましたが、感謝=ありがとう。

今朝も家族で(特に子供に)話すネタを提供してもらって、本当に「ありがとうございます」です。

投稿: やっ | 2008年2月24日 07:34

やっ さん:

「ありがとう」 に関しては、年代、地域、その他、いろいろな要素が絡まり合って、その受け取り方に陰影があるようなんですね。

私自身はそのあたりはあまり気にせずに、さらっと使ってきましたが、受け取る方でいろいろ余計な気を回すのは気の毒だから、なるべく TPO に即した言い方をする方がいいかなと、思い始めました。

ただ、気にしすぎるとかえって不自然になるから、あくまで、さらっと言いたいものですが。

>部下には「ご苦労様」より「お疲れ様」と言って欲しいです。

これは同感です。
「ご苦労様」 は、ほんのちょっと上から目線かもしれません。
そりゃあ、「大儀であった」 ほどじゃないけど。

ただ、「お疲れ様」 は水商売っぽいなんて、余計なことを気にする人もいるんですよね。
確かに、水商売とか芸能界は、日が暮れても 「お早うございます」 で始まって、「お疲れ様ぁ」 で終わりますけどね。

最近は、「おつかれぇ~」 なんていうのがはやりのようですが、ちょっと軽々しいかも。

投稿: tak | 2008年2月24日 14:28

takさんこんばんは。
いつも拝見しています。

「ありがとうが大嫌い」ですが、結論から言ってしまうと私もtakさんと同じ意見です。
「ありがとう」の言葉の重みの違いなんですねきっと。
私は気軽にありがとう!って言う人間なので、少し驚きましたが、たぶんトピ主さんは「ありがとう」の言葉にはもっと重みがあってもいいと思ってるんじゃないでしょうか。
気軽に使う人間が信じられない、という感じで。

トピ主さんはきっと、仕事では給料を貰ってる分しか働いていないので感謝されると変な感じ、筋違いだと思ってるのでは。

逆に、仕事に心を込めてる人は、些細な事でも「ありがとう」って言われると自分が報われた気分になりませんか。(極端な話ですが)

一つひっかかるのが「年配の方だと素直に受け取れる」ってところです。
ありがとうの言葉には謙ったイメージがあるのでしょうか?

どっちにしろ、私にはちょっと歪んで見えますが・・価値観って様々ですよね。

投稿: シロ | 2008年2月24日 18:52

シロ さん:

>逆に、仕事に心を込めてる人は、些細な事でも「ありがとう」って言われると自分が報われた気分になりませんか。

そりゃ、なります。わたしゃ単純だから。大いになります。

>一つひっかかるのが「年配の方だと素直に受け取れる」ってところです。

やっぱり 「ありがとう」 の言葉に、ある意味 「見おろし目線」 を感じてるのかもしれませんね。大袈裟に言うと 「大儀であった」 みたいな。

だから、年配者からの 「ありがとう」 なら抵抗ないけど、同年配とか年下からだと、ちょっとむっとくるとか。

ほとんど邪魔くさい感覚ですけどね。

投稿: tak | 2008年2月24日 19:12

「ありがと。」と「ありがとごございます。」と「ありがとございましたぁ。」とか使い分けて渡世を過ごしておりますよ。
コンビニにしたって、いくら生活のためとはいえ、ぼくは日付が変わった頃に立ち寄るので、こんな時間にご苦労なことだなあ、かったるいだろうに、大変だなあという思い、がんばってねって感じで、「ありがと。」っていいます。
同僚や部下には、ご苦労さんという感じで、「ありがとございます。」、お客さんなんかには、「ありがとございましたぁ。」と大きな声で送り出す。わざわざおいでいただいてありがたいわけです。
家の者にも、なにかしてくれたら「ありがと。」っていいます。
もっといえばいいのにと、常々思っておりますです、ハイ。

投稿: osa | 2008年2月24日 21:45

osa さん:

>「ありがと。」と「ありがとごございます。」と「ありがとございましたぁ。」とか使い分けて渡世を過ごしておりますよ。

やっぱり、使い分けが正解かもしれませんね。

>同僚や部下には、ご苦労さんという感じで、「ありがとございます。」

部下にも 「ありがとございます」 だなんて、いい上司だなあ。

投稿: tak | 2008年2月24日 22:07

「いつもありがとうございます。」

 本当に、会社の電話でも『お世話になります』より発する機会が多いんです。

 『プラチナのへそ曲がり』だからでしょうか…?

投稿: オッチャン | 2008年2月25日 13:03

オッチャン:

>『プラチナのへそ曲がり』だからでしょうか…?

いやいや、なんて真っ直ぐなおへそかと思いましたよ。

投稿: tak | 2008年2月25日 21:00

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