季節予報はビミョー
昨日は風呂に入ると、もう目を開けているのも億劫になり、ばったりと気絶するかのごとき眠りに落ちてしまった。
今年になってから、三が日は休んだものの、それ以外は 1日しか休みが取れていない。ああ、毎週でなくていいから、2週間に 1日は何もすることのない休日が欲しいものである。
というわけで、今日は日付の変わった直後の更新はならず、そのかわり、少しは睡眠不足を補うことができた。それで、朝の常磐線の中でこのエントリーを書いている。今日のジョーバ・ン線運動は、帰りの車内だけにしておこう。
ところで、今日は「この冬一番の寒気」というのが、上空に入ってきているそうなのである。梅の蕾が膨らんできているというのに、妙に寒く感じるのは、歳のせいでも、ジョーバ・ン線運動で体脂肪が減ってきているせいでもなく、単純に気温が低いからのようだ。
思えば、昨年の 11月に発表された季節予報では、暖冬か平年並みになる可能性が高いということだった。ラ・ニーニャ現象が発生すると、厳冬になる確率が高いのだが、それでも寒気を供給する北極圏が地球温暖化の影響でそれほどの力を持っていないので、厳冬にはなりにくいと説明されていたはずだ。
と思ってよく調べたら、昨年 11月に発表されたのは、11月から 1月までの 3ヶ月の予報だった。うぅむ、急に寒くなったのは 1月の松の内を過ぎてからだから、もしかしたら、そんなには外れていないかもしれない。微妙なところである。
いずれにしても、気象庁の発表する 3ヶ月の季節予報の実績は、当たったのが 50%に満たないのだから、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」のレベルと思っていればいいのだが。
昔、生ものを食う前に「天気予報、天気予報、天気予報」と、三度唱えるまじないがあった(その心は 「当たらない」)が、これからは 「季節予報、季節予報、季節予報」と唱えるといいと書いたのは、去年の 8月のことだ(参照)。
昨年の 11月、この冬の季節予報発表直後に、「寒い冬になってもたじろがないように、今から覚悟だけは決めておこう」と書いている(参照)。今となれば、覚悟を決めておいてよかったと思うのである。
季節予報の結果がビミョーだろうが外れようが、あきらめずにシステムの改良を重ねていくうちに、そのうちに当たる確立が 60%を越すようになって、「お、3シーズンに 2度は当たるようになったじゃないか」なんていわれる日がくるのだろう。
ただ、そうなればなったで、今度は外れたときのダメージが大きくなる。今なら外れても、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」 で済ませられるが、なまじ当たりだすと、外れたときにクレームが多くなるだろう。ああ、人間の業は限りないものである。
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コメント
「お、今日は朝霧が出ているから、晴れるなぁ。」
と小僧にポロッと伝えた日の帰宅時、「父ちゃんすげー!天気予報当たった!」と小僧は大喜びでした。
気象予報に頼ったわけでなく、過去に地域のオイチャンから教わったことに違いはありません。
>なまじ当たりだすと、外れたときにクレームが多くなるだろう。
ときどき子どもに見せる『父ちゃん予報』と、毎日、あるいは季節ごと、定期的にやってる予報では、的中率は言わずもがな…。(しかも父ちゃんは自信のあるときしかやらないし…)
>ああ、人間の業は限りないものである。
『傘がいるかいらないか』でも、『(農業で)ネットを張るか張らないか』でも、クレームの度合いは変わらないのでしょうね。
投稿: オッチャン | 2008年2月13日 12:22
オッチャン:
朝霧の出た日は、まず晴れますね。こればかりは、100%近く当たる印象です。
>『傘がいるかいらないか』でも、『(農業で)ネットを張るか張らないか』でも、クレームの度合いは変わらないのでしょうね。
なるほど。
それとはちょっと違う視点ですが、天気予報でキャスターが「折り畳み傘をお持ちになる方がいいでしょう」 とか 「今日は洗濯日和です」 などとコメントすると、「余計なお世話だ」 とクレームがくるそうです。
私なんか、「なるほど、その程度の雨ね」 とか、「雨の心配は全然ないのね」 とかいう、実感的にわかりやすい付加説明として受け取っているんで、かえってありがたい気がするんですけどね。
投稿: tak | 2008年2月13日 12:32