想念の具象化 その2
またまた懲りずに 「トンデモ」 を書く。一昨年の 9月 25日に、私は「想念の具象化」というタイトルのエントリーを書いている。
私は 平成 15年 7月まで、1年に 1度以上車のタイヤがパンクしてしまう男だった。しかしその後、自分の想念を変えてみたら、3年以上パンクしないでいると書いたのである。
本当に、それまで私の車のパンクは年中行事だったのである。釘を踏んだり、ガラス片が突き刺さったり、タイヤの側面がちょっとした障害物に当たって破れたり、そんなことが、確実に 1年に 1度以上あったのだ。それで、私は普通の人でも、少なくとも 2年に 1度ぐらいはパンクを経験するものだと思い込んでいた。
ところが、近所のタイヤ屋のおやじさんが、「パンクなんて、しない人は一生に一度もしませんよ」と言う。「そういう人は、パンクなんてしないものと思い込んでて、『近頃のタイヤは進化したから、パンクしなくなったねぇ』なんて言いますね。実際は、決してそんなわけでもないんですが」
彼の言葉は、私にとっては驚きだった。パンクしないと信じている人は、磨り減って使い物にならなくなった時が、唯一のタイヤ交換の機会なのだそうだ。それは単に「卵と鶏」の関係かもしれないが、私はちょっとした気まぐれで、それに賭けてみることにしたのである。
その日から私は、「年に 1度はパンクするものだ」という思い込みを捨て、「パンクなんてしないものなのだ」という想念に切り替えた。すると不思議なことに、たったそれだけのことで、実際にパンクしなくなったのである。
一昨年 9月 25日のエントリーの段階で、3年以上パンクしなかった。そんなことは初めての経験だったので、感動のあまりブログに書いたのだが、その後、記録は更新され続けて、本日、平成 20年 2月 19日まで、約 4年 8ヶ月もの間、1度もパンクしないで済んだのだ。
ということは、今朝、パンクしてしまったというわけなのだが、私としては本当に本当に久しぶりのパンクで、なんだか懐かしい気持ちにすらなってしまった。結果としては、単に想念を変えてみるだけで、パンクの頻度がそれまでの 5分の 1近くにまで低減したのである。これって、驚くべき効果ではないか。
まあ、今朝になって久しぶりのパンクを味わってしまったということは、「パンクなんてしないもの」という私の想念が十分でなかったからか、あるいは単なる偶然の産物と取るかは、そんなことはどっちでもいいのだが、私としては前者でいきたいと思うのである。
よし、今日からは、より強固な想念を抱こう。そうすれば、今度は 10年ぐらいパンクしないで済むかもしれない。
「パンクなんてしないもの」と思い込むことは、とてもお手軽なメソッドであり、多分そう思い込むことによって、無意識のうちにパンクを避ける運転をすることにつながることもあるだろう。少なくとも、ポジティブな想念は精神衛生にもいい。
たまたま道路に落ちている釘を、数センチの差とかで偶然にうまく避けていたのかどうかまでは、わからない。もしそうしたことがあったとしても、「想念」 との因果関係は実証不能なので、突き詰めても意味はない。
因果関係は実証不能だが、「想念を変えたら、その日から急にパンクの頻度が激減した」というのは、紛れもない事実なので、私としては個人的にハッピーになっているということだ。少なくとも、「パンクはするものだ」という想念に戻る理由はない。
それに「パンクしない想念の波動を移しこんだ空気」とかいうものを、高い値段で販売しようなんていうつもりは毛頭ないので、「反疑似科学」 の人も、どうかあまりマジに突っ込まないでいただきたい。神社で交通安全祈願をしてもらってお守りをもらうよりも、ずっと安上がりなのだから。(何しろ、「ただ」 だし)
そういえば、ジャズピアニストの山下洋輔氏が以前、「私の乗った飛行機は絶対に落ちない。なぜならば、私が念力で飛ばしているからだ」というようなことをエッセイに書いていたのを思い出した。うん、この気持ち、わかるなあ!
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コメント
「よし、11レースは絶対当たれよ!」
これは、雑念だった…。
考えてみれば、欲とか雑念とか、妄想とか…。それはそれで、付き合っていかなきゃなぁ、ニンゲンだもの。
こんな考えの中から、何かがひらめくことを期待して、付き合っていきます。
投稿: オッチャン | 2008年2月20日 12:20
オッチャン:
考えてみれば、たいていの成功哲学というのは、「念の具象化」を説いてるんですね。
ポジティブ・シンキングというのも、その一種かも知れません。
成功哲学の文脈でいうと、「11レース、当たれ!」 というのは、単なる願望で、具象化する想念ではないということになっているようです。
具象化するのは、「当たれ!」 ではなく、「当たる!」 という強い確信だそうですよ。
でも、当たらないけどね ^^;)
投稿: tak | 2008年2月20日 14:57
「一念、岩をも通す」って言葉に通じているんでしょうね。
願望ではなく、確信というあたりすごく納得です。
「思いもよらない幸せ」ってのは確かに起こるのかもしれないですが、どうも自分自身でもあったのかどうか定かじゃない。
むしろ、「思う」から「幸せ」がくるんでしょうね。
「宝くじ」の高額当選を複数回当てる人の努力や想念はばかにならないものがありますものね。
実は私も小学校の頃の健康診断で、あなたは健康優良児であるという旨の事を言われてからは、「私は健康なんだ」という思いは”確信”に近いモノにかわりましたね。
おかげで、病気らしい病気は殆どしたことないです。
高校の頃も皆勤賞だったのでめちゃくちゃ格好悪かったです。(3年間も休まないでなんとなく学校に通ってたってのも”特に勉強が好きという訳じゃない生徒”であれば、あまり格好いいものじゃないものだと知りました。まぁさぼってどっかにしけ込む先もなかったのでw)
いわゆる”サボリ”で休む事はあっても、まともに病欠ってのはここ20年くらいしたことないですね(汗)
確信もここまでくるとなかなかなもんですね。
投稿: きんめ | 2008年2月21日 12:49
きんめ さん:
>願望ではなく、確信というあたりすごく納得です。
これは、かなり核心を突いたところかもしれませんね。
何しろ、「幸福だから幸福だと思う」 というのじゃなくて、「幸福だと思うから幸福」 なんだという方が正しいような気がします。
>「私は健康なんだ」という思いは”確信”に近いモノにかわりましたね。
「病は気から」 ですから、「健康も気から」 なんでしょうね。
そういえば、私も近頃病気らしい病気はしてません。
「病気なんてしないもの」 という私の想念は、「パンクしない」 よりずっと強いようです。
投稿: tak | 2008年2月21日 13:40