当たり前でない状況での当たり前
沖縄の米兵による少女暴行事件に関して花岡信昭氏が産経新聞に書いた "「反基地」 勢力が叫ぶいかがわしさ" という記事があちこちで槍玉にあがっている。
少女に対して 「知らない人についていってはダメ」という「しつけ」が徹底していなかったことが無念だと結ばれた記事だ。
花岡信昭氏については、私は初めからあまり信頼していない。目上の他人に対していきなり 「センスが悪い」 というのもなんだから、「かなりセンスの違う人だなあと思う」 程度に言っておくことにする。ずいぶん思い込みだけでものを言う人のようだとは、以前に分析済みだ (参照)。
「せっかく思いついたことだから、今ここで言わずにはおれん」 という体質は、一昨日に触れた鳩山邦夫氏と共通すると思う。ただ、花岡氏の今回の発言の場合は、鳩山氏ほどエキセントリックじゃなく、つい「そりゃ、そうだ」と言いたくなりそうな内容だけに、もう一つ始末がむずかしい。
花岡氏は、"「反米」「反基地」 勢力が気勢をあげているのは、なんともいかがわしさがにおう" とし、「この事件を政治闘争の具にするというのでは、被害少女への思いやりを欠くというものだ。こういう事件を前にしては、人間の尊厳に対してどこまでも誠実でありたい」と書いている。
そりゃ私だって、この事件を政治的なプロパガンダに、必要以上に利用するのはいかがわしいと思う。しかし、この事件そのものが政治的な意味合いを非常に色濃く持っているのだから、ある程度は政治的なマターとして取り扱わなければならないというのは、当然のことじゃないか。
それに、「被害少女への思いやりを欠く」なんてことを記事の前半で書いちゃった以上は、「しつけ」 云々の話で記事を締めるなんてことは、して欲しくなかったものである。ここで、花岡氏自身の偽善が透けて見える。
事件として起きてしまった以上、どちらかが 100%悪いなんてことはない。そんなのは当たり前だ。「知らん人に軽々しく付いていくな」というのが当然というのと同じぐらい当たり前なのである。
それだけに、花岡氏が "日本の安全保障は米国の「核の傘」が基本" と、当たり前に思っているなら、「街で拾った少女を無理矢理に性的対象にするのはダメ」というのも当たり前なのであって、その当たり前を米国に対して要求するのも当たり前なのである。
そして、この事件が起こってしまったという特殊な状況にある以上、当面はこっちの当たり前の方がより強調されなければならない。
「知らない人についていってはダメ」というのは「普段の当たり前」なのであり、同じ当たり前でも、当たり前でない状況においては、ちょっと使い分けなければならない。当たり前でない状況において、いけしゃあしゃあと「普段の当たり前」を述べてもしょうがない。
泥棒を前にして、「ごめんね、こっちが鍵をかけわすれちゃったから、つい、あんたに出来心をおこさせちゃったんだよね」なんて言うのは、よっぽどの聖人君子である。私は花岡氏がそれほどの聖人君子だとは思っていない。
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コメント
突拍子もないコメントになってしまいますが、私が子供の頃、田舎では知らない人が居ないと言ってもいいぐらい、ドコソコノダレと地域全体(子供の行動範囲)を認知していたし、されていた。今よりもズッと人口が多かったのに。オラ東京さ行くダ!とばかりに人々が地域から流出して人口減少になったのに、最近では「知らない人」が出てきてますね。知らない人をつくってる地域が寂しいですね。
知らない人に付いていっちゃだめ。という言葉は聞かなかったが、悪戯が発覚すると「サーカスに売り飛ばすぞ」と言われたもんです。自分の子供を売り飛ばす親ってのも怖いっちゃ怖いですが。
>「せっかく思いついたことだから、今ここで言わずにはおれん」
そんな感じのコメントですみません。
投稿: やっ | 2008年2月17日 15:44
やっ さん:
もう、今や近所でも 「知らない人」 だらけですね。
隣近所の家でも、旦那と奥さんの顔は知ってても、息子や娘の顔は知らなかったりします。
>悪戯が発覚すると「サーカスに売り飛ばすぞ」と言われたもんです。
私の田舎は日本海側の港町ですから、「夜遅くまで遊んでると、北朝鮮にさらわれるぞ」 と脅かされました。
今思えば、とても具体的で真に迫った警告だったわけです。
投稿: tak | 2008年2月17日 21:51
私は、あまり時事的なニュース記事についてはブログなどでは書いてない。(だって凄くちゃんとした記事を沢山の人が投稿しているから)
けど、コメントはしておこうかな。
被害少女に対して、誠実であろうとする事と、政治的な論争としてこの問題を取り上げる事について、私自身は両立する問題であると考えている。
だって、どう考えても外国兵が国内で事件を起こしているにも関わらず、一般的にはあり得ない方向で解決が図られようとしていく様はどう考えたって被害少女に対して誠実とは言えないじゃないか。
米軍の基地問題がその根底にあるのならそこはやはり追求してしかるべき事柄なのだと思う。いろいろ政治的に私たちが思いよらない取引や何かがあるのかもしれない。
それでも、国民の多くが”おかしいだろう?”と思えるような事は改善すべきだ。大人の事情がいろいろあるなら、この米国基地や米兵の問題でアメリカに譲歩させて、他の部分でこっそり日本が譲歩すればいいじゃないか。
自国民よりアメリカを大事にする国家が、被害少女に対して誠実であり得る事はないだろうし、そういう国家が作っている政治や法律が国民に対して誠実であり得る訳がない。
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いじめの議論と同じで、いじめられた方にもなにがしかの問題があったのではないか?とする論調と一緒だと思う。
被害側に思慮が足りなかったとしても、そこが問題ではないだろう?やられた方の落ち度をどうこういう前にやった方の問題をもっと追求すべきだといつも思う。
逆にやられ側の落ち度がそこまで問われるなんて、なんてサバイバルな世の中だろう。
投稿: きんめ | 2008年2月18日 14:38
きんめ さん:
>被害少女に対して、誠実であろうとする事と、政治的な論争としてこの問題を取り上げる事について、私自身は両立する問題であると考えている。
そうですよね。二者択一のように書くというのが、まずわからないし、花岡氏自身も、結局は自分の政治的立場を述べるのが主目的のようです。
>大人の事情がいろいろあるなら、この米国基地や米兵の問題でアメリカに譲歩させて、他の部分でこっそり日本が譲歩すればいいじゃないか。
そういうのは、ほかの問題ならフツーにやっていることのはずなんですがね。
>逆にやられ側の落ち度がそこまで問われるなんて、なんてサバイバルな世の中だろう。
前のコメントのレスでも書きましたが、北朝鮮の拉致問題に関しては、まさに 「サバイバルな世の中」 だった時期があります。
これは、「落ち度」 以前の問題で、より積極的な 「自衛」 が必要だったと思われます。
私の母の知り合いの娘さんも、拉致被害者としての認定は受けていないんですが、ある日突然、何の兆候もなく行方不明になってるんですよね。
これなんか、北朝鮮にいるに違いないと、関係者は信じてます。
投稿: tak | 2008年2月19日 13:19