"プロレス 「暗黒」 の 10年" を過ぎて
"プロレス 「暗黒」 の 10年" という本を一気に読み終えた。著者は元 「週刊ファイト」 編集長の井上譲二という人である。
副題は "検証・「歴史的失速」 はなぜ起きたか" という。ここ 10年で進行した日本のプロレス沈没のプロセスを、現場に最も近い場所にいた者のみが持ち得た視点で辿っている。
まず念のために確認しておくが、著者は「週刊ファイト」の今は亡き「 I 編集長」と呼ばれた井上義啓氏とは、苗字は同じでも別人である。I 編集長の頃には、井上譲二氏は「週刊ファイト」の米国特派員として、なかなか読み応えのある記事を書いてくれていた。あのタイガー・ジェット・シンの自宅訪問記事を書いたのも、彼だったと思う。
「感覚のプロレス」というコンセプトを掲げてカリスマ的な「活字プロレス」を創出した I 編集長とは違い、その跡を継いだ井上譲二氏は、ある意味ではとても常識的な感覚(といっても、プロレス村での「常識」だが)を週刊ファイトの紙面に持ち込んでいたように思う。
プロレスが好きで好きでたまらないのに、I 編集長ほどに全人生をそれに捧げきるほどの思い入れを前面に出すことができず、むしろ近くで細部を見過ぎたために、客観的に冷めた目を持たざるを得なかったというような、割り切れない編集スタイルだった。
そしてこれは、プロレス衰退をリアルタイムで見送った男の、哀切に満ちたレクイエムのような本である。
この本の中で井上譲二氏は、「あの時、もし彼が …… だったら」とか、「もう少し …… していれば」とか、「たられば 論法を少なからず使っている。I 編集長がよく言っていた 「引かれ者の小唄」そのものの書き方だ。彼自身、多分わかっていながら、止むに止まれず小唄を唄っているのだろう。
今さら言っても時計が逆回りすることなどないと知りつつ、あの血湧き肉躍るプロレスの魅力を、もう少しだけでいいから味わいたかったと言っているように思える。
ちなみに私自身は、もう大分前からプロレスには見切りを付けていて、今や「格闘技」に入れあげている。プロレスが衰退するのは、これはもう、歴史の必然だからしょうがない。
井上譲二氏の悲哀は、閃光のような輝きをもちながら、今では滅びの運命を辿るプロレスというメディアに最適化しすぎた、とても特殊なジャーナリズムを背負っていたものの悲哀だと思う。
プロレス向けに最適化された感性は、「格闘技」という似て非なるものに入り込めない。目の前で見ても、その本質を伝えられない。そのもどかしさが、この本の底流に見え隠れする。
プロレスの沈滞は、もうこれはどうしようもない。さればとて、プロレスラーが格闘技に打って出ても、通用しないのである。プロレスラーは 「技を受ける」 体になりすぎているので、「技を受けない」格闘技では勝てないのだ。
プロレス記者にしてもそうだ。プロレスを書ける記者が格闘技を書けるとは限らない。いや、むしろ書けないのだろう。プロレス論の多くの部分は観客論だが、格闘議論は逆に実践論が重要な部分を占める。道場で受け身すら取ったことのない記者に、それを書けと言っても所詮無理なのだ。
私は、往年の「週刊ファイト」のような輝きをもつ格闘技専門誌紙の登場を待つ。しかしそれには、実践的格闘議論を、受け身を取ったことのない読者にもわかるように書ける力量をもった記者が育たなければならない。これは相当にむずかしい課題だ。
ああ、私がもう少し若かったら、それを書いてしまうのに。
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コメント
「プロレス」は夢がありました。
プロレスラーになりたかったです。
藤波、長州まではみんなでプロレスというショーというか、イリュージョンを創り続けようとしていたのではないでしょうか。
それを猪木なのか佐山なのか前田なのかは知りませんが、舞台裏まで全部見せようというような流れがあったような。
それに高田まで参入したところで、プロレスがみんな「オレ流」になった。
プロレスを、それに関わるレスラーたちが共通の認識で創り上げようという統一した意思がなくなってしまった。
プロレスという形が崩壊してしまったのではないかと思います。
レスラーは自分のプロレスにこだわり、興行主はプロレスというものの見せ方が分からなくなってしまった。
K1のせいでもないような気がします。
一種の自己崩壊というようなものかなと思います。
残念ではありますが、もうプロレスという興行形態は息を吹き返すことはないような気がしています。
投稿: osa | 2008年3月29日 23:43
osa さん:
プロレス業界は、もう過去の名勝負のコンテンツを売り物にして、細々と食いつないでいく方がいいと私は思っています。
私としては、ダニー・ホッジとか、ドン・レオ。ジョナサンあたりの試合を見たいですね。
投稿: tak | 2008年3月30日 17:14
カール・ゴッチとルーテーズの動画をyoutubeで見るのが好きな私です。最近、イノキ・ボンバイエを歌ってる人っていませんね。ミルマスカラスのスカイ・ハイも流行ったなぁ。とか追憶してしまいました。週刊ゴングも休刊してから1年が過ぎましたね。休刊なのか?廃刊なのか?。今は、仙台プロレスが熱いと思ってます。
投稿: やっ | 2008年3月31日 00:06
ケーブルテレビでWWEや大阪プロレス、ドラゴンゲートなどを見ています。
新日本プロレスのスタイルを否定する気は毛頭ございません。けどぉ、インタビューを受けるレスラーが、「これこれだろぉ!お?てめぇ、わかってんのか?あ?」と、ただ粗野なイメージ(表面の強さ)ばかりで、奥の強さを見出せません。
よっぽどWWEを見ていた方が、すっきりしますなぁ。
もしかして、観客の多くを占める世代が、『キン肉マン』とか『ドラゴンボール』の“命を削る”戦いを見ることに慣れてしまったから…、プロレスでは物足りないのかも…。
アタクシは現在でもプロレスファンですが、『橋本真也選手の他界』と共に、静かになりました。
投稿: オッチャン | 2008年3月31日 13:08
オッチャン:
>よっぽどWWEを見ていた方が、すっきりしますなぁ。
WWE はよく統制がとれてますね。
ギミックばっかりですが、それがちゃんと計算されていて、レスラーもその通りに動くので、うまくいってるんでしょう。
親日は、どうもそのあたりがバラバラですね。
私は今でも 「古き良きプロレス」 なら見る気がします。
投稿: tak | 2008年3月31日 16:59
試合の途中でリングを掃除する。
風神か雷神で・・・
これがトイレ休憩になる。
新製品のPRにもなる。
そんな時代もありましたね。
ハンセン,ブロディ,アンドレと猪木。
それ以後は観るのをやめました。
投稿: かっこいいお兄さん | 2008年4月 6日 23:24
かっこいいお兄さん:
はっきり言って、私はプロレスをつまらなくしたのは長州力だと思ってます。
投稿: tak | 2008年4月 7日 00:08