脳内オーディエンスを育てるには
ちょうど 1週間前に書いた「脳内オーディエンス」という記事が、いくつかの個人ニュースサイトで紹介されて、木曜、金曜あたりに、いつもよりちょっとだけアクセスが増えた。
一見マニアックすぎるみたいな感じのテーマだが、結構いいところを突いた話だと思う。ネタ元の漫画家、浦沢直樹氏に感謝である。
ざっと言ってしまえば、浦沢直樹氏は自分の「脳内オーディエンス」に向かって漫画を書くと語っていたということである。子どもの頃から、自分の書いた漫画をクラスの 40人に見せるよりも、自分の脳内の 100万人に見せる方が良かったというのだ。
私はこの記事を、「一流というのは、脳内に一流のオーディエンスを持っている人のことを言うようなのだ」と結んでいる。しかし、たったこれだけで結ぶのは、いかにも舌足らずだという気がする。
で、あれからさらにわかったのは、「脳内オーディエンスは、育てることができる」ということだ。最初から自分の中に一流オーディエンスを飼っているやつなんて、そんなにはいない。
脳内オーディエンスを育てるには、やはり常にいい情報を与え続けることしかない。いい情報には、もちろん他人による一流の作品も含まれるが、自分でも常に作品を作り続けることだ。そうでないと、自分の脳内オーディエンスが自分用のオーディエンスになってくれない。
自分が自分の脳内オーディエンスを育て、そうして育てられた脳内オーディエンスが、今度は自分を育ててくれる。不思議なフィードバック関係である。
脳内オーディエンスは、自分の中の「他」ではあるが、それを認識するのは自分の感覚でしかない。それは、録音した自分の声を聞くようなものだ。録音した自分の声を聞くと、誰でも最初は絶えられないほどの違和感、それも恥ずかしい違和感に襲われる。
それでも自分の声を自分で聞かなければならない。そうでないと、脳内オーディエンスが自分のオーディエンスになってくれない。
たまたま「録音した自分の声」を引き合いに出したが、自分の作品、原稿、何でも同じようなものだ。それはまた、写真にも似ているかもしれない。
自分のみた風景は、実は外界そのままではない。脳内で相当な解釈を加えて自分流に作り上げた映像である。自分のみた風景を写真に撮ってみて、そのあまりのイメージの違いに驚くことがある。
人間というのはえてして自分の印象の方が正しいと思いがちだが、印象というのはかなり勝手な解釈を加えたものだから、実は写真の方が現実に近かったりする。だから、写真というのは、それもいい写真というのは、見れば見るほど新たな発見があるのだ。
人間は自分になったり他者になったりすることができる。自分の中の印象に止まるだけでなく、録音された声を聞いたり、撮影された写真をウォッチすることができる。それは、直接録音しなくても、写真に撮らなくても、メタファーのレベルで可能だ。
時々は「他者になる」ことで、人間はどうしようもないエゴイズムから離れることができる。これのできない人は、傲慢な人というしかない。気の毒なことに、脳内にちゃんとしたオーディエンスのいない人である。
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コメント
昨年転職で求職活動をして、面接を受けた各社の中で、最も“素”(←所々敬語は忘れる、冗談口をたたく…)で接した会社に就職が叶いました。
いざ働き出して5ヶ月になりますが、前職でやってた“素”は悉く打ち砕かれ、躍起になって会社の雰囲気に合わせる自分がいます。
合点。『脳内オーディエンス』に問いかけている自分をしみじみ認識しました。
…ということは、アタクシの中にいる(過去の)オーディエンスは、みんな田舎モノだった!orz
でも、これから新しいオーディエンスも一緒に鍛えます。
投稿: オッチャン | 2008年3月24日 12:33
オッチャン:
私も複数回転職しましたので、なんとなくわかります。
新しい職場の同僚に合わせようとするよりも、新しい職場でどう振る舞えばいいのか、そのディレクションを模索している脳内オーディエンスがいるんですね。
投稿: tak | 2008年3月24日 22:35