比叡山の頂きに至る道
夏目漱石の 『虞美人草』 という小説は、2人の男が京都から比叡山目指して登って行こうとする描写から始まる。
「随分遠いね。元来どこから登るのだ」と片方が問えば、もう片方が「どこか己にも判然せんがね。どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」と答える。
先日比叡山延暦寺に初めて参拝して、この小説の冒頭が、延暦寺そのもののメタファーのように思えてきた。「どこから登ったって、同じ事だ。山はあすこに見えているんだから」
今は京都の八瀬と志賀の坂本からケーブルカーで登れるようになっていて、とても楽になったが、漱石の頃には足で歩いて登るしかなかった。なかなかの骨折りである。しかしそれだけに、いくつかある登り口の、どこから登るのも自由だった。
延暦寺は、唐で天台教学、戒律、密教、禅を学んで帰朝した最澄の開いた寺で、当時の最高の学問を学ぶことができた。要するに平安時代の総合大学のようなものだった。それだけに、比叡山からは後の鎌倉仏教の大スターたちが輩出した。
踊り念仏の空也、浄土宗の基礎を築いた源信、京都大原に来迎院を建て、声明を大成した良忍、浄土宗の開祖である法然、その志を継いで浄土真宗を開いた親鸞、禅宗系では、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元。
さらに法華教の日蓮、その他にも、時宗を開いた一遍など、日本仏教のメジャーとして今の世にも大きな影響力を持つ宗派の開祖が輩出している。これほど大きな影響力をもった寺は、他にないだろう。
比叡山に詣でてみると、そこには阿弥陀信仰、法華経信仰、禅のファクターがきちんと存在しているのがわかる。根本中道には、さすがに密教らしい大日如来像があり、さらにその近くに立派な阿弥陀堂がある。
阿弥陀堂だけを見れば、まるで浄土宗系の寺と見まごうばかりだ。私は浄土真宗の家に生まれたせいか、阿弥陀如来像の前だと、いくら座っていても退屈しない。先日は時間がなくてゆったりとしている暇がなく、残念なことだった。
多くのファクターが渾然一体となって、比叡山というエリアを形成している。日本仏教の源みたいなところだ。それだけに、念仏という登り口から登っても、あるいは、法華経、禅という登り口から登っても、確かに比叡山の頂には辿り着けるのだろう。なるほどと思う。
しかしよく考えてみると、山の頂というのは、遠く離れたところからなら明確に眺められるが、いざ山道に入ってみると、視界から外れてしまうのである。山道を登っていると、ただひたすら高きに近付いているという感覚はあるものの、昇り着く頂が何の山だかわからなくなるのだ。
下手したら、とんでもない魔境に行き着いてしまうかもしれない。それだけに、先達は必要なのである。少なくとも信頼の置ける標識がないと、まともな頂には辿り着けない。
わけのわからないカルトには、近付かない方がいいということである。
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コメント
ご無沙汰いたしております。
新興宗教の一部や、宗教の名を騙る集団など、『ここさえくぐれば頂上だよ!』という名目で、また『(お前なんか)とても頂上には近付けないから、偉い人の爪の垢を飲みなさい』という名目で、銭を巻き上げます。
>ただひたすら高きに近付いているという感覚はあるものの、昇り着く頂が何の山だかわからなくなるのだ。
「本当にこの山でよかったんだっけ?」と、考えながら歩く(登る)ことを出来なくする手法が、世の中まかり通ってます。
…例えば、永田町発信情報とか。
投稿: オッチャン | 2008年3月21日 12:49
オッチャン:
>「本当にこの山でよかったんだっけ?」と、考えながら歩く(登る)ことを出来なくする手法が、世の中まかり通ってます。
> …例えば、永田町発信情報とか。
なるほどね。
本当に山登りというのは、たとえ頂上に登り着いたとしても、標識がなかったら、自分がどこの頂上に立っているんだかわからんものです。
精神世界も同様のリスクがあります。
投稿: tak | 2008年3月22日 00:30