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2008年3月16日

関西はヘビーである

いつも思うのだが、関西の人間は東日本の地理を知らない。いや、決して全ての関西人がというわけじゃないが、多くの関西人は、東日本にあまり興味がなさそうなのだ。

さすがに東京と横浜は知っていても、千葉市になると、もう怪しい。ましてや、宇都宮だの高崎だのになると、かなりあぶない。

しかし、それも無理からぬところだろうと思うのである。何しろ、向こうは「上方」である。東京が日本の首都になってから、まだ 150年経っておらず、それまではずっと向こうが日本の中心だったのだ。箱根よりこっちは、「東国」という名の辺境だったのである。

先日、比叡山参詣のために米原から琵琶湖を半周した。近畿の一番東側である。それでも、何だか馴染みのある地名がごろごろしている。そこらじゅう、日本史で習った歴史的地名なのだ。

だから、関西というところは、初めて訪れてもなんとなく基礎知識はあったりする。そこがどんなところか、おぼろげながら知っていたりするのだ。源氏物語や徒然草や方丈記や太平記に出てくる地名だらけなのだから、東北生まれの私なんぞは、完璧に「お上りさん」である。

こんなところで暮らしていたら、山形と秋田のどっちが北にあるのかなんて、どうでもいいような気がするのも当然である。我々がバルト三国を北から順に言えと言われて、ぐっと詰まってしまうようなものだ。

京都人の中には、天皇陛下の本来のお住まいは京都御所で、今はたまたま江戸の別荘でお暮らしになられているだけやと主張する強者がいる。彼らにとっては、その背後にはすぐに蝦夷地という飛び地があり、そこに行く廊下が東北だということのようなのである。

そのくせ、関西人にとっての九州は、割と身近な土地のようなのだ。これは、九州出身者が関西にかなり多いことによると思われる。さらに言えば、日本書紀の昔から、北九州と畿内とはかなり密接な関係にあった。邪馬台国が北九州だったという説が有力だし。

とにかく、東北の片田舎生まれの私は、関西を訪れるたびに、その歴史の重さに圧倒されるのである。さらに、その風土の中に潜む万葉の昔からの業の深さにも、鳥肌経つ思いがすることもある。

その点東北人は、精神的にはとても身軽である。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

大阪へ行ったときに大阪人のファンタスティックさを感じました。

ごみに関して、東日本なら大抵、「ごみを捨てるな」とかの看板表示ですが、大阪で見た看板は「あんたのいらへんもん、わてもいらんわ」となってました。ウィットに富んでるというか、なんとなく優しさを感じてしまった。

京都から東京へ天皇が引っ越す時に、京都人が3万人も一緒に移住したそうですね。これは、ビックリしました。そして、私の感じる京都の嫌らしさ、あのヤンワリした口調で「ぶぶ漬けでも食べませんか」と早く帰ってくれとの意味の言葉。訳知らずの東北人の私、「じゃ、一杯だけもらいましょうか!」と言ってしまいますよ。関西はヘビーですね。

投稿: やっ | 2008年3月20日 06:57

やっ さん:

あはは (^o^)

私なんか、ぶぶ漬けおかわりしちゃいそうです。

投稿: tak | 2008年3月20日 13:58

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