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2008年3月28日

ライセンス・ブランドの商品というもの

何年使ったんだか見当がつかないぐらい使い古した革の定期入れがボロボロになったので、この度ようやく買い換えた。

上野の丸井では 5,500円ぐらい出さないとまともなのが買えなかったが、その隣の御徒町駅近くの多慶屋では、似たようなのが 1,980円で買えた。探してみるものである。

私は定期入れに Suica だけでなく、運転免許証、健康保険証、歯科医の診察券、地元の図書館のカードなど、クレジットカード以外のカードはなんでもゴチャゴチャたくさん入れているので、薄っぺらいのじゃなく、たくさん入るのでないと困るのだ。

それで散々探したあげく、ようやく気に入ったのが見つかったので購入したのである。これまで使っていたのが、イタリアの某デザイナーのブランドがついていて、新しいのは日本人の某デザイナーの名前がついている。

とはいっても、どうせ、そのデザイナーが直接デザインしたわけがなく、ブランド使用のライセンスを受けた会社が、適当に付けているだけだ。

で、しげしげと見比べて気付いたのだが、この新旧の二つ、デザインと作りがまったく同じなのである。違うのは、エンボスされたブランドネームだけだ。いやはや、道理で気に入るわけである。今まで気に入って使っていたのと、ブランド以外はまったく同じなんだから。

もしかしたら、数年前のイタリアン・ブランドそのままのデザインのお古を、日本のデザイナーのために使い回しているのかもしれない。その程度にしか扱われていない日本の某デザイナーには、気の毒な話である。ライセンス・ビジネスなんていうのは、こうしたテキトーさが付きものである。

近頃では直輸入品が多くなったので、ライセンス・ビジネスは一時ほど多くなくなったが、それでも、靴下とかハンカチとかの小物雑貨は、デザイナーやオートクチュールの名前を付けたライセンス商品が幅をきかせている。

例えば、靴下の場合、その辺のテキトーなボリューム商品とライセンス・ブランドの商品は品質的にはどこも変わらないのである。同じ会社が同じ糸を使って、同じ機械で編んでいるだけだから、変わりようがないのだ。

じゃあどこが違うのかというと、もちろんブランド・ネームが付いていることと、そして、ちょっとだけそれらしい色合いになっているということだけである。さすがに、デザイナー・ネームの付いたライセンス商品は、悪趣味とか薄っぺらとかではなく、それなりの色遣いになっている。

あるいは、デザイナー・ブランドの靴下のまともな色を際立たせるために、ボリューム・ゾーンの靴下はあえて安っぽい、あるいは薄っぺらな、はたまた悪趣味な色を使っているとも言えそうなのである。

で、ちょっとした色合いの違いの靴下を買うために、消費者は約 2倍の金を払うのである。市場とはそういうものなのである。そして、定期入れの場合は、別のデザイナーのネーム入りで、まったく同じ商品が流通したりしているわけだ。市場とはまた、そういうものでもあるのである。

そしてそれらが、安売り店で 1,980円で売られたりしているのである。ジャスコあたりで売られているごくフツーの商品より安いぐらいだ。市場とはまたまた、そういうものでもあるのである。もしかしたら、偽ブランド品かもしれないが、市場とはさらにまた、そういうことでさえもあり得るのである。

私としては強いてデザイナーのブランドのついた品物をもちたいというわけじゃなく、気に入った商品にたまたまこのブランドが付いていたというだけのことなのである。個人的にはブランドなんて邪魔だから、ない方がありがたいぐらいのものなのだが。

 

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

takさん、手にシックリと収まるものを購入できて良かったですね。

昔、マジソンスクエアーのバッグが流行っていた頃、絵に描いた貧乏の私は、adidasバッグのバッタもんのaddossバッグを買いました。それから2年ぐらいは、「アドドス」というニックネームで呼ばれ、バッタもんは嫌だというトラウマが随分と続きましたが、最近では、何でもいいや。という色気が無くなったんだか何だか知りませんが、そんな気分です。

定期入れじゃないですが、財布をこの春には買い換えたいと思っていました。仏壇の上部に神棚が奉ってあるという我が家、神も仏もゴッチャにしてる私ですが、縁起は担ぎたいものです。財布を買うなら春。秋は絶対ダメとか言われて、今日あたり、「張る財布」を見てきましょうかね。大安吉日が良いのだが、今日は六用で何でしょう?。定期入れも名刺入れも財布も、何気なく見られるものですよね。だから、半端なものはいけないような気がしてなりません。結構、貫禄のある方が、飲み屋の会計の時に簡易型吸殻入れみたいなパクパクした財布からお金を出すと、「あ!ここは、私が持ちます!」と言いたくなってしまう。そのパクパク財布が、ケロちゃんの絵入りだったりしたら、もう、何の同情かしらないが、すごく哀れに見えてしまう。決して、卑下して見てるつもりは無いのですが、やっぱり、見下してしまうのだろうか?。そんな事ってありませんか?。


投稿: やっ | 2008年3月29日 08:06

やっ さん:

ほほう、「張る財布」 ですか。なるほど。

財布って、少しは見栄を張らないと、周囲に余計な気を遣わせちゃうんですね。
そこまでは気付かなかった。
一応まともな財布を持っててよかったです ^^;)

投稿: tak | 2008年3月29日 08:26

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