English が 100年で Panglish になる?
うん、そりゃ、確かにある。何かというと、日本人の書いた英文というのが、やたらとわかりやすいということだ。
しかし、どことなく「英語らしい英語」じゃない。ぎこちない。誰に言われなくても、日本人が書いたものだとわかる。日本語の原文がどんな文章かまで、容易に想像がつく。
日本人の書いた学術論文やビジネス・レターというのは、ちゃんとした英語の文章としての体裁が整っている場合が多い。致命的な間違いはそれほど多くないし、もしかしたら、文法的にはネイティブが書くよりもきちんとしているかもしれない。それでも、どうにも英語っぽくないのである。
これってどうしてかというと、日本人の感性で感じ、日本人の理屈で考えたことを、英語を使って書いているだけだから、筋道としてはとても日本的なのである。それだけに、こちらが完全に「英語感覚」にならなくても楽に理解できてしまうのだ。
この感覚は、あの「ルー語」を聞くのとそれほど大きな違いがない。日本感覚の英語である。
私は 30代後半にとある国際団体に所属して、世界各国の人間とやりとりするのに、英語という事実上の世界共通語を使っていたことがある。その時の経験で言うと、英語使いの本家は英国人なのだろうが、その他の国の人間はその国なりの英語を話すのである。
世界には、多分、国の数だけの、あるいはもっと多くの種類の英語があるはずだ。米国英語というのは本家の英語とはかなり違うし、オーストラリア人の英語は、とても聞き取りにくい。
しかし聞き取りにくさでいえば、アジア人の英語、とくに中国人とかインド人とかの英語はすさまじいもので、最初はほとんど英語とは思えなかったりするほどだ。日本人のカナカナ英語にしても、他の国の人間には、かなり異様な発音に聞こえているはずである。
よく「フランス人は英語ができても、日本人に英語で話しかけられるとわからないフリをする」なんて言われるが、私はそれは、日本人の口にする英語が、英語と思われていないだけなのだと解釈している。きっと、わけのわからない東洋の言語だと思われているのだ。
私がジャパニーズ・イングリッシュを理解できるのは、私自身が日本人で、「カタカナ式」で英語をしゃべるとどうなるかということを、理解しているからである。日本人の書いた英文を理解しやすいというのも、それと似た感覚かもしれない。
で、本題だが、「研究者によると、英語は今後 100年で消えてしまい、Panglish と呼ばれるグローバルな言語に取って代わられる」のだそうだ (参照)。「既に英語はネイティブに英語を話すわけではない人々によってゆるやかな地域方言とでもいうものに変化してしまっている」というのである。
これは確かに実感である。世界中の人たちが英語の単語と文法だけを拝借して、自分たちなりの感性と理屈を勝手に語り始めているのだ。別に「英語らしい英語」でなくても、記号みたいなものなんだから、いいじゃないかってなことになりかけている。
しかし「英語が消えてしまう」というのは、ちょっと極端な言い方だろう。Panglish のベースはやっぱりちゃんとした英語なのだから、それがあって初めて Panglish が機能する。英語の重要性はますます増していくのだと思う。
てなわけで、Gigazine の「関連ページ」として紹介されていた "自分の英語力がすぐにわかる NHK 出版の「英語力測定テスト」" というのをやってみた。ちょっと自慢しちゃうけど、「この程度のテストなら、100点取らなきゃね」ということで、証拠写真を添えておく。
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