光市の事件の判決について
山口県光市の母子殺害事件判決に関して、いろいろな人がいろいろなことを書いているが、私は昨年 9月下旬の三部作(参照 1、2、3) で、書き尽くしたように思うので、これ以上あまりくどくどとは書きたくない。
こここで触れようと思うのは、例の青学の准教授の 「事件の死者は 1.5人説」 だ(参照)。
この准教授(名前も明らかにされてるようだけど、あえてここには書かない)のブログは、私もどこかの個人ニュースサイトからのリンクでアクセスして、直接読んだ記憶がある。(該当記事はもう削除されているようだ)
直接読んだときは、「赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまう」ので、殺された母子のうち幼児を 1人と数えず、「永山事件の死者は 4人。対してこの事件は 1.5人だ」 との記述に対して、「こりゃ、ヤバイぜ」と思った。「こいつ、炎上を自分で呼び込んでるぞ」と。
死刑廃止論者としての立場から、ちょっと筆が滑って「死者は永山事件の半分にも達しないのに」と言いたかったのかも知れない。その気持ちはわからないでもないが(「共感しないでもない」ということではない)、いくら何でも思慮がなさ過ぎる。
赤ん坊殺しは成人殺しより罪が軽いと言わんばかりだが、この論理を裏返して、残された平均余命の視点からみれば、成人を殺すよりずっと罪が重いとみることだって可能だ。より大きな可能性を奪ったわけだから。
そうなると逆に、「老人はどうせ老い先短いから、1人殺しても 0.2人分だ」なんてことにもなりかねない。やっぱり、そりゃやばいだろう。
そしてその上で確認しておきたいことは、案外あちこちで主張されている「遺族感情を考慮して極刑に処すべし」という論理は、やっぱりおかしいだろうということなのだ。
これは「遺族がいる人の死は、天涯孤独の人の死より重い」と言っているようなものである。それは「幼児の死は 0.5人分」という論理から、そう遠くないんじゃなかろうか。私は遺族感情と量刑は切り離して考えるのが当然だと思う。
「この判決で死刑に対するハードルが下がったことに対してどう思いますか?」 というアサヒの女性記者の質問が、世間では非難されているようだが、私はむしろ、本村さんとしては「よくぞ聞いてくれました」という類の質問だったと思う。アサヒの記者の質問意図とはまったく違う意味でだが。
そして最後にもう一度だけ触れておく。私は死刑廃止論者ではなく、今回の死刑判決についても当然と受け止めているが、本村さんの執拗に死刑を求めた活動には、今でも共感していない。業に対して業で報いたいとは、私はどうしても思えないのだ。
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コメント
件の准教授のブログは私も見る機会があって拝見したのですけど、こりゃ荒れるなぁと思いました。
論を述べるとすれば、他に述べようもあるだろうにと思うのだけれど、まぁ明らかにそういう書き調子が身に付いているという事で、自業自得としか言いようがないですね。(いわゆる判って煽りをやってるなら、なかなかどうして強者かもしれません)
命の尊厳を追求すると、赤ん坊であれ老人であれ、健常であれ、障害者であれ、同じ取り扱われ方をすべきと言うことになるのでしょう。
赤ん坊も成人も同じ1人と考えるのが妥当であろうと思います。逆にそうだとするならば、犯罪の軽重には年齢は関係ないとも言える。
件の教授は、どちらも若い場合は軽く見ている訳だから整合性は取れているのかもしれないけれど、理解を得られる論旨ではないでしょうね。
>本村さんの執拗に死刑を求めた活動には
凄く個人的な感想としては、本村さんはこの活動に傾倒する事でいろいろな意味で自分を肯定する強い力を得ていったのだと感じます。
目的と手段の話しで言えば、手段が段々目的になっていったという感じでしょうか。自己肯定感を強く保ち続ける為の運動であったのかなと。(それを責める気持ちにはなれませんけれど、周囲の反応は少しばかり”妄信的で”冷静さに欠けるような気がします)
投稿: きんめ | 2008年4月28日 11:22
きんめ さん:
>自己肯定感を強く保ち続ける為の運動であったのかなと。
それについては、彼は成功していると思います。
とんでもない不幸にめげず、しっかりと前を向いて生きていますから、立派であるとも言えます。
>(それを責める気持ちにはなれませんけれど、周囲の反応は少しばかり”妄信的で”冷静さに欠けるような気がします)
それは私も感じるところです。
死刑廃止論者の立場からの、主義主張的な反論を別とすれば、私みたいな 「(感覚的に) 共感できない」 というのは、ちょっと言いにくさを感じます。
圧力ってほどじゃないけど、空気読み過ぎたら、「共感できない」 とは言えないかも。
投稿: tak | 2008年4月28日 19:30
いや、すでに圧力かなぁって気もするんですよね。
本村さんについては、立派であるのは間違いないとは思うんですが、個人的にはなんだか少し不気味なのです。それを取り巻く周りの環境もふくめて。(かなり感覚的なものなのでアレですが)死刑存廃の話とは全く別の部分で。
かと言って、これを掘り下げて書いたりしちゃきっとマズイんだろうなと感じてしまうくらいの圧力はあるような気がします。
投稿: きんめ | 2008年4月29日 09:38
きんめ さん:
>本村さんについては、立派であるのは間違いないとは思うんですが、個人的にはなんだか少し不気味なのです。それを取り巻く周りの環境もふくめて。(かなり感覚的なものなのでアレですが)死刑存廃の話とは全く別の部分で。
えぇと、私も、あの人と個人的にお話する機会があったりなんかしたら、どっと疲れそうという気がします。
(というか、そういう機会がなくて幸いです ^^;)
投稿: tak | 2008年4月29日 15:54