「影」って、 「光」でもあるのだ
「私の青空」 というスタンダードな曲がある。エノケンの歌でお馴染みだが、そういえば高田渡も歌っていたな。由紀さおり・安田祥子姉妹のすてきなバージョンで試聴もできる。
この歌の日本語の訳詞、「狭いながらも楽しいわが家/愛の日かげの射すところ」というところに、私は長い間疑問を感じていた。
だって、おかしいじゃないか、「愛の光の射すところ」ならわかるが、なんで「愛の日かげの射すところ」なんだ? この疑問は、子供の頃から大学生になる頃まで続いていた。なんだか納得できないが、みんなそう歌うから、しかたなく自分もそう歌っていたのである。
中には歌詞を覚え間違えて、「愛の光の射すところ~」なんて歌っている人もずいぶんいた。うん、気持ちはよくわかる。だって、「日かげが射す」より「光が射す」方がしっくりくるものね。とっても自然な間違いだと思う。
で、この疑問は恥ずかしながら、大学生の頃になってようやく解けたのである。「日かげ」は「日影」と表記すべ単語であって、これは「日陰」とは違うのだ。
「日陰」と書けば「物のかげになって日光の当たらない場所」(参照) という、「フツーのひかげ」になるが、「日影」と書くと、「日の光」という意味になる。まあ、これは漢字が入ってきてからの書き分けであって、「かげ」は「かげ」に違いないのだが。
そして「かげ」という言葉には、もともと「光」という意味もあるのだ(参照)。「かげ」という言葉に「陰」と「光」という正反対の意味を持たせている。思えば不思議な感性だが、そもそも「光」あっての「陰」なのだから、表裏一体であり、納得できないわけでもない。
そういえば英語の "shade" という言葉にも、「陰」という意味と「色合い」という意味がある。昔、仕事で欧米のファッション情報を翻訳していた頃は、"shade" という単語が出てくれば、ほぼ自動的に「色合い」とか「色味」とかいう言葉に訳していた。
日本語の「かげ」ほど極端に正反対の意味ではないが、発想としてはそれほど遠くはない。「かげ」があって、初めて人間は「光」の存在を明確に認識し、色の妙味も感じることができる。逆に言えば人間の五感は不便なもので、「かげ」がなければ「光」を対象化できない。
日本語では「われ」が 「自分」のことであったり、「相手」のことであったりする。もっと言えば「自分」という言葉に英語の "you" という意味を持たせることだって、それほど珍しいことではない。関西弁で、「自分、何しとんねん」と言ったら、"What are you doing?" という意味になるのが普通である。(時に自問自答の場合もあるだろうが)
なるほど、「かげ」に「光」の意味を持たせるのは、不思議ではあるが、日本語的には当然といえば当然なのである。
というわけで、「愛の日かげの射すところ」は 「愛の日の光の射すところ」という意味なのであった。さすが、訳詞の堀内敬三氏は立派なものなのである。
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コメント
初めまして、いつも楽しく拝見しております。
「影~」という姓の友人がいるのですが、彼から
「ウチの『影』は光って意味なんですよ。『月影が冴え渡る』とか言うでしょう?」
と言われたのを思い出しました。
投稿: 弥生 | 2008年4月24日 02:46
弥生 さん:
なるほど、さすがに苗字にもってると、代々のことだから年期が入って、よくわかってますね。
投稿: tak | 2008年4月24日 07:09