都市の薄皮
私は常磐線取手駅近くに借りた駐車場まで車で行き、そこから駅まで 5~6分ほど歩くのだが、その最短ルートが、都市計画の一環で道路工事中になってしまった。
そのため、ほんの少しだけ遠回りを強いられている。本来の最短ルートは、傾斜地がくずされて土砂と瓦礫の山になっている。
先日、かなり日が暮れてからこの工事中の場所にさしかかり、ふとした気まぐれで、回り道をせずにそのまま突っ切ってみようと思い立った。時間にすればわずか 1分ぐらいの短縮なのだが。
私はガードレールをまたぎ、工事中の区域に足を踏み入れた。急に暗くなる。思いの外の暗さである。足下は舗装を剥がれ、荒れた山道以上にでこぼこである。そりゃそうだ。そこは既に 「道」 じゃないのだから。下手すると、穴に落ちかねない。足首をひねらないように、慎重に歩を運ぶ。
周囲は土が盛られて見通しがきかないため、駅から 2~3分の場所という気がしない。21世紀の関東近郊の都市とは、さらに思われない。昔話に出てくる奥州安達ヶ原の、山姥の住処もかくやと思われるほどの異様さだ。まさに非日常の「異界」である。
この「異界」をわずか 1分足らずで抜け出して、いつもの道に出れば、そこは国道 6号線で、ガソリンスタンドやファミレスの明かりが輝いている。しかし私の靴は赤土だらけになってしまっっている。ガードレールを結界として、世界が違うのだ。
思えば、舗装を剥がして土を盛り、視界を遮るだけで、都市はかくも簡単に「異界」に姿を変えるのである。我々の日常生活は、「異界」を薄皮で覆い、その上に辛うじて成立しているのだ。それは四川大地震の光景を見てもよくわかる。
日常の薄皮一枚を隔てたところに、「異界」は存在しているのだという意識を、心の片隅にでいいから、常に置いておこうと思ったのであった。
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