すべての無駄遣いは 「必要な無駄遣い」?
業界団体事務局というところには、時々、要りもしない荷物が届くことがある。どっかの役所や団体主催のイベント・ポスターとか、そのキャンペーン用パンフレットとかである。
で、余計なポスターを貼る壁のスペースもないし、パンフレットだって引き取り手がほとんどないから、結局捨てることになる。
先日も関係先の某団体事務局に、某独立行政法人から、某イベント用に作成したはいいが、多分大量に不良在庫として残ってしまったのであろう冊子が、段ボール 2箱分、有無を言わさず送りつけられた。
申し訳ないがはっきり言わせてもらうと、配布されても誰も喜ばないような、制作者の都合のみで作られた代物である。
こんなもの送りつけられても、誰ももらってくれず、団体所属企業に 1部ずつ送りつけようとすれば、かなりのコストがかかる。それに、たとえそうしたとしても、送りつけられた先で、あっという間にゴミ箱行きになるのが見え見えである。
放っといてもスペースを無駄に取るだけなので、当然ながら「捨てちまおう」ということになる。で、段ボール箱から出して、いくつかの山に分けてビニール紐でくくり、ゴミの日に出すという、余計な仕事をすることになる。考えれば、いや、考えるまでもなく馬鹿馬鹿しいことである。
つまり、この冊子は何割か(あるいは半分以上?)を捨てるために、高いコストをかけて製作されたわけである。さらに自分で捨てるのは忍びないので、わざわざ佐川急便に運賃を支払って、関係諸団体に送りつけ、他人の手で処分してもらっているのである。
とまあ、今回は一つの馬鹿馬鹿しい例を紹介したが、行政や公的団体というのは、詳細に見るとものすごく無駄なことをしている。何のために無駄をしているのかというと、結局は役人や職員を食わすためである。
役人や職員が食えると、少しは他にも利益が廻る。その利益が巡り巡って経済発展に役立つのかもしれない。しかし、それなら初めからもっと意味のあることで金を使って、ストレートに経済発展させたらいいじゃないかと思う。
しかしそれはそれで、今度は「意味のあること」の見極めというのが、とても難しい話になるのだ。「見極め作業」をするための「諮問会議」とかいう名のセレモニーのために、またまた余計な金を使うことになる。
そして、そのセレモニーで「意味のあること」と答申されたので、大変な意気込みで実施された事業が、結果として本当に意味のあることだったというのも、実はそれほど多くはないのである。なかなか悲しいものがある。まあ、「諮問委員」自体がお役所の人選なのだから、しかたないことなのだけれど。
そんな余計な上にさらに余計なことで金を使うぐらいなら、テキトーに使う方がまだましというのも仕方のないことなのかもしれない。経済というのは、かなりの比率の無駄遣いを当初から織り込んで廻っているもののようで、それをすべて切りつめると、大変なデフレになってしまうだろう。
あるいは、「すべての無駄遣いは、『必要な無駄遣い』である」とも言えるのかもしれない。なにしろ経済は「複雑系」だから。しかし、それは少なくとも 「エコ」 じゃないよね。
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コメント
仕事をしている(ちゃんと考えているんだぞ!)という既成事実のための無駄遣い。
>「見極め作業」 をするための 「諮問会議」 とかいう名のセレモニーのために、またまた余計な金を使うことになる。
結局のところ、『銭で解決できることは、銭に任せなよ!』という姿勢に対する抑制の全くないところが、お役所的対応です。
民間だったら『バカ者~!』と、叱責受けそうな事案でも、「諮問会議」に始まり「有識者会議」の答申を受け「外郭団体」へ「随意契約」の作業を丸投げする構図が見え見えです。
『公共サービスの受益者』と『納税者』が同一人物であることを、認識できていないんでしょうねぇ…。
投稿: オッチャン | 2008年5月20日 12:26
オッチャン:
つきつめると、この資本主義というのもかなりいい加減なシステムなんだと思います。なにしろ、馬鹿馬鹿しいことを野放しにしてますから。
それで 「計画経済」 なんていう社会主義思想が出てきたんでしょうが、その 「計画」 がセレモニーになってしまうのも、人間の 「業」 なので、うまく行くはずがないと。
というわけで、「かなりいい加減だけど、下手にいじるともっと悲惨になるから」 と、今のシステムは仕方なしに機能してるんだと思ってます。
投稿: tak | 2008年5月20日 14:10
ものが潤沢にない時代や、欲しくても高級でそうそう簡単に手に入れられないという事であれば、今あるものを大事に使うしかないし、持っていなければじっと指をくわえながら見ているしか無かったんですけどね。
分割払いが当たり前になってきて、手元にない金額のものでも手に入れられるようになってきたので、所有するプロセス自体が以前とは変わってしまってますからね。
資本主義経済のしくみ自体は常に拡大路線ですから、走り続ける自転車と同じで立ち止まる事自体が破綻ですし、そういう意味では棄ててもいいから作り続けるという連鎖を生んでしまうんでしょうね。
デンマークみたいな強い理念でリデュースとリユースを推し進めるぐらいの意識の変革が必要な気がします。まだまだ、そこまで先進諸国が成熟しきれていないという事なんでしょうね。
投稿: きんめ | 2008年5月22日 09:42
きんめ さん:
>資本主義経済のしくみ自体は常に拡大路線ですから、走り続ける自転車と同じで立ち止まる事自体が破綻ですし、そういう意味では棄ててもいいから作り続けるという連鎖を生んでしまうんでしょうね。
これまでは 「常に拡大路線」 で済んでたんですが、状況は変わりつつあるように感じてます。
自転車は止まったら倒れるわけですが、だったら、自転車から降りるという選択肢も十分に可能な世の中だったらいいのにと思います。
「わたしゃ、歩くから」 てなことを言えたらいいのに。
投稿: tak | 2008年5月22日 10:12