遺影に使える写真をもってますか?
母校の高校の昭和 46年卒業組で、首都圏に在住する者たちが、毎年 5月下旬に集まって例会を開いている。そして、今年は私がその例会の幹事の順番になっている。
例年 20名ぐらい集まるのだが、今年はそれを少しだけ下回りそうだ。それぞれいろいろな都合があるものである。
いつも出席する常連が、今年は 3~4人ほど欠席である。欠席の理由は、米国駐在になってしまったとか、仕事の都合でその日は日本にいないとか、経営する店の閉店イベントとか、親の介護で手が離せないとか、なかなかバラエティに富んでいる。だがよくみると、「ああ、俺たちもそんなような年になったのかなあ」 と思わせるものが多い。
その代表格が、「死んでしまった」というものだ。数年前から、同級生の訃報がぽつぽつと入ってくるようになったが、今年はこの会の常連の一人が、通勤途中に倒れて急死したという。いたましいことである。そのほかにも、脳梗塞で入院したとかいう話が複数伝わってくる。
最近、結婚式に出席する機会が減って、葬式に出席する機会がぐっと増えた。結婚式なんて、年に一度もなくなったが、葬式は 3ヶ月に一度はある。若い頃は年に 3回以上結婚式に出て、そのうちの 1度ぐらいは司会を引き受けていたのに、近頃とんとお見限りである。
葬式に出ると、まず正面に飾られた遺影が目に入る。この遺影が、いかにも故人の人柄をうかがわせるようなよく撮れたものだと、追悼の気持ちにも実が入るというものである。
そして、参加したもの同士で「君は遺影にできるようなまともな写真があるかい?」ってな話になる。考えてみると、私は「和歌ログ」をやっているせいで写真はよく撮る方だが、自分が個人的に写してもらうなんてことは滅多にない。
たいていの人も、何かの機会に撮った集合写真やスナップぐらいはもっているが、遺影に使えそうな写真なんてないようなのだ。それで、「そろそろ俺たちも『あの時』用の写真を撮っといた方がいいんじゃないかねぇ」なんて話になってしまうのである。
生前に自分の墓を建ててしまう人がいる。また、生前葬なんてものをする人も希にある。しかし、そういうことをした人に限って、なかなか死なないそうである。それなら、元気なうちに遺影用の写真を撮ってしまっても、もしかしたら長生きできるかも知れない。
かといって、改まって個人的な写真を撮ってもらうなんていうのも、なかなかうっとうしい話で、私もまだそれ用の写真なんてない。
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コメント
現在所属する会社の、顔写真付き社員証を作成する過程、上司にケータイで顔写真を撮ってもらいました。
「おぉ、いい写真だなぁ。しばらく遺影の心配なくなったねぇ。」
当然、良好な上下関係です。
投稿: オッチャン | 2008年5月21日 22:58
オッチャン:
最近のケータイ写真は、馬鹿にならないですね。
>「おぉ、いい写真だなぁ。しばらく遺影の心配なくなったねぇ。」
こういうこと言い合えるというのは、いい関係ですね。
遺影というのは、元気なうちに撮っとく方がいいです。やつれてしまってからでは、痛々しすぎてね。
元気なうちに、3~4年に一度更新というのがいいんでしょうが、なかなかね。
投稿: tak | 2008年5月22日 07:19
やはりそういう写真ではVサインとかしていたいですよね。「イェーイ!」って感じで。
※今回に限り匿名希望です。
投稿: 匿名希望 | 2008年5月22日 10:05
匿名希望 さん:
>やはりそういう写真ではVサインとかしていたいですよね。「イェーイ!」って感じで。
ずいぶん明るい葬式になるでしょうね。
小学校の入学式の記念写真なんかで、顔は緊張してるのに、指だけがほぼ自動的に V サインになってる子が、よくいます。
条件反射とはコワイものです。
投稿: tak | 2008年5月22日 10:21