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2008年5月26日

不良を讃える学園ドラマの功罪

"「ごくせんは不良を讃えるな」和田秀樹さんがコラムで異論" というのが、「痛いニュース」で話題になっているのを見つけた。(参照

精神科医の和田さんが「この手の『秀才=悪』『不良=心はきれい』という図式は、ある種の青春ドラマのステレオタイプのようになっている」 と、雑誌コラムで指摘したらしい。

実は私はあまりテレビを見ないので、「ごくせん」という番組も当然ながら、何かの偶然でちらっとしか見たことがない。その上であえて言うのだが、「うん、確かに『秀才=悪』『不良=心はきれい』 というステレオタイプは、あるだろうな」と思う。

これは大衆ドラマでは、ある意味、仕方のない構造である。昔から「強欲な悪代官 vs 純朴で善良な農民」とか「悪徳商人 vs 純朴で善良な町人」とか、そんな構図がもてはやされてきた。

で、現代社会の矛盾の縮図である「学校」を舞台とした学園ドラマでも、「陰険な秀才 vs (心ならずもワルとして振る舞ってはいるが、実は)純朴で善良な不良」という構図が必要なのだ。学園ドラマでの秀才は、悪代官や悪徳商人同様に、「悪の支配階級でなければいけないのである。

と、ここまでを前提としておいて、敢えて言わせてもらうが、私は「水戸黄門」なら見る気がするが、ここで話題とされているようなタイプの学園ドラマは、見る気がしないのである。描かれている「秀才」も「不良」も、カリカチュアされすぎていて、リアリティがない。

「水戸黄門」などの勧善懲悪時代劇なら、それでも許せるが、学園を舞台とした現代のドラマでは、それをテレビで見るであろう現実の秀才もワルも、あるいは元秀才も、元ワルも、あまりにもいじらしすぎる。

記事の中でも、東京・多摩地区のある市立中学校校長が、頭がいい真面目な子がバッシングの対象になる「現代型のいじめ」という問題を指摘している。「金八先生」がもてはやされた 20年ほど前から言われているらしい。

大人の社会では、勧善懲悪ドラマの余波で悪く言われるかもしれないお役人や議員の先生は、大衆からある程度離れたところにいる。ところが、学校では同じ教室にいるのである。

これでは秀才もワルも、ストレスが大きすぎてあまりにも気の毒である。それで、頭のいい子の親はこぞって「有名私立」という無菌室に入れたがり、公立校は先に触れた「(心ならずもワルとして振る舞ってはいるが、実は)純朴で善良な不良(プチ不良を含む)」ばっかりになる。

それで実は純朴で善良な子も、公立校でイジメの対象とならないために、時には心ならずもワルとして振る舞わなければならなくなる。そして、そのセイフティネットは、テレビの中に「学園ドラマ」としてきっちりと張られている。

「俺たち、ワルっぽく見えるだろうけど、本当は、純朴で善良なんだからね」というメッセージを、テレビが代わってどんどん発信してくれる。「だから、俺たちのことをきちんとわかってくれさえすれば、俺たちだって、ちゃんと心を開いてやるからな!」

というわけで、下手すると「わかってくれるまで心を開かない」タイプの子ができてしまう。わかってもらえないのは、わかってくれない大人が悪いのであって、自分からは決して説明したりしないというタイプの子が、昔からいる。学園ドラマは、そういう子の免罪符になっているかもしれない。そうした意味で、功罪相半ばするところである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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哲学・精神世界」カテゴリの記事

コメント

未だ映画を見たことがないのですが、『理由なき反抗』というタイトルに抵抗感がありました。

 多分映画を見れば、そのあたりの不具合感が取り払われるものと思いますが、理由もなく反抗するなんて、ナンセンスだと、子ども心に感じておりました。(今でも不具合たっぷりですが…)

 アタクシが中学生時分の学園モノは、『え?都会にはこんなアホウがいるの?』というイメージがありすぎて、それ以来苦手です。

投稿: オッチャン | 2008年5月26日 12:47

オッチャン:

「理由なき反抗」 は、はっきり言って、ジェームス・ディーンの出た 3本の中で、一番つまらない映画だと思っています。
(ほかの 2本がよすぎるってこともありますが)

私としては、理由もないのに反抗するなんて甘ちゃんを許容するほど豊かなアメリカ社会の産物なんだと思って見てました。

すぐに日本もそうなっちゃって、びっくりでしたが。

投稿: tak | 2008年5月26日 22:08

初めまして。
夫がこの雑誌を講読していて、「こんなコラムがある」と見せてくれました。
私たち2人とも、「成績がいいという理由でいじめられた」という経験があります。
ちょうど中学時代に最初の「金八先生」が放映されていた世代です。
「あれは理不尽だよね。こっちは頑張って結果を出していただけなのに」とよく話しています。
子供達にも「自分の頑張った結果は素直に誇っていい」と教えています。

で、このコラムの感想なのですが、
「優等生はわざわざ自分の手を直接汚して不良退治をするほどお人好しじゃないよね(笑)」という意見で一致しました。
まだ「デスノート」の方が自然だと思います。

投稿: karin | 2008年5月27日 00:48

karin さん:

公立校では、「成績がいい者をいじめる」 というのが、ごくフツーにあるみたいですね。

私は中学時代、「勉強なんてしてないふうなのに、やたら成績のいいプチ不良」 だったので、「いじめ」 は経験してませんが、「差別」 に似たような扱いは経験しました。

>「優等生はわざわざ自分の手を直接汚して不良退治をするほどお人好しじゃないよね(笑)」という意見で一致しました。

それは成績のいい子に共通した感覚かも。

劣等生は優等生に嫉妬しても、優等生は劣等生を意識しませんからね。

優等生は優等生しか意識しない。それで劣等生はますますむかつく。

「俺たち、こんなに嫉妬したり、いじめたりしてやってるんだから、お前らも、少しは俺たちのことを意識して認めろよ!」 みたいな感じかな?

もちろん、これは無意識的なレベルでの話ですが。

投稿: tak | 2008年5月27日 09:09

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