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2008年5月12日

映画の字幕と知的レベル

映画字幕で業界が四苦八苦 若者の知的レベル低下が背景か?」というニュースで、なんだかとても複雑な気分になった。

速く読めない、漢字が読めないという問題だけでなく、そもそも字幕以前のケースもあるらしい。「ソ連」や「ナチス」を知らないので、内容が理解できないとか。

だがしかし、これって「知的レベル低下 という次元の問題なのだろうか? 速読のできないやつや漢字の読めないやつなんて、昔からいくらでもいたので、別に今に始まったことじゃない気もするし。

同じようなことが、「大学生の知的レベル低下」というテーマとしても語られる。これにも私は疑問がある。「大学生の知的レベルが低下した」というよりは、「昔は大学に入れなかった連中が、今は大学生になっちゃってる」という方が正しいんじゃないかと思うのだ。

同様に、昔は洋画なんて見なかった層が、今は気軽に観るようになったとも言える。昔の洋画好きはしょっちゅう字幕で観て、そういうものだと思っていたから、知らぬ間に「字幕スタイル」に慣れていた。

単純でファンタスティックな「娯楽大作」に慣れきった若い層が、たまにちょっと複雑なストーリーの映画を観たら、そりゃ、ついて行けないのも当然だ。

ただ、繰り返すが、「若者の知的レベル低下」というのは、本当にそうかなあと思う。モノ知らずは、昔の方がずっと多かったと思うのだ。

1975年にサイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終結したというニュースが流れた日、私はたまたま実家にいた。ニュースを聞きながら、母が「ベトナムって、どこ?」と聞いた。私は腰が抜けるほど呆れた。

それまで毎日のように大きなニュースになっていたベトナム戦争が、どこで戦われていたかを知らずに、母は 10数年生きていたのだ。高等女学校を卒業した母が。

「えぇと、あの、南の方で、インドシナ半島というところにあって、昔は『フランス領インドシナ』と言われていたところ」と説明すると、母は、「ああ、なんだ、『ふついん』か」 と、すました顔をして納得した。途中のごちゃごちゃは一切抜きにして、気が晴れたようであった。さすが、「母は強し」である。

「仏印」 …… ああ、そうか、母の時代にはそう習ったのか。そして戦後 30年間、母の頭の中の世界地図にベトナムはなく、ただ仏印があったのだ。きっと、アフリカ大陸の国境線も、ものすごく少なかったろう。高等女学校時代は、それで十分だったのだ。

そしてきっと、現代は常識といわれることの範囲が広がりすぎて、フツーの人間のリソースを超えかかっているのだ。だから、覚えなくても別に不便のないことを覚えることを要求され、知らずには済まないことがおろそかにされてしまうのである。

そして映画の字幕で言えば、洋画業界のマーケティング・ターゲットが、多分ちょっと広がりすぎているのだ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

興味深く読ませていただきました。
ベトナムでは識学率はとても高く、中国よりもずっと高いです。
弊社のスタッフは会社が終わった後、全員が学校に行っています。
日本もうかうかしていられません。

投稿: HA-NAM | 2008年5月12日 13:33

HA-NAM さん:

コメントありがとうございます。

サイトにもおじゃまし、大変興味深く拝見しました。
美味しそうなお菓子が紹介されてますね。

ただ、恐縮ですが 「識学率」 という言葉がわかりません。
ご教授頂ければ幸いです。

投稿: tak | 2008年5月12日 16:16

最近チャットで中高生とよく話すのですが、確かに知識という面では若い彼ら(私自身は三四歳、ここでは若造ですね)はそう多くを持ち合わせていませんが、人格や見識は実にしっかりしている人が多くて驚かされます。知的レベルはむしろ向上しているのではないかと思います。

ただ、字幕を読むのが遅い、とかいったことはおそらく学校でのディシプリンの不足に起因していて、このへんはさすがに例のゆとり教育の弊害と言えるのかも知れません。個人差が大きいですけどね。

投稿: Adrienne | 2008年5月13日 01:33

世間の常識は共通だと思う非常識?。

私も世界地理は、ちょっとやばいです。いや、世界地理どころか、東京の地理だってヤバイんですから。台東区をダイトークと言ってしまうし、千住はよく知ってるのに、足立は千葉だっけ?って訳のわからん事を思うときがあります。

私が学校教育というやつを受けていた頃は、ロシアをソ連と習い、ミャンマーはビルマですね。特にミャンマーなどと国名が変わってしまったら、肩にオームを止まらせて、竪琴で仰げば尊しを弾いていた水島上等兵が戸惑ってしまう。「ミャンマーの竪琴」なんてやつは嫌だ。

ミャンマーで思い出したが、落語の「イラシャリマケ」をライブで聴いたときは大爆笑でした。「シャブ浜」なんていうやつも面白かった。再び聴こうと「お台場寄席」のサイトに行ったら、配信終了してました。残念。

非常識な人間を非難すると、それは、差別だ!とかいわれる今の常識。ブログのコメントという常識を忘れて、2ちゃんねるあたりでは、「チラシの裏にでも書いてろ」と叱られるようなコメントを残す私。あぁー、常識が常識であった時代が懐かしい。

最近の若い人の知識にはビックリ!。エバンなんとかという漫画についてとかは、「お前が原作者?」みたいな知識を持ってる。私たちが義務教育を受けていた頃より単純計算で、40日以上も学校休日が多いのに、高校受験問題やセンター試験問題は、すごく難しい。年間200時間以上も余計に勉強してきた私たちが、若い人たちを「馬鹿だなぁ」とか絶対言えない。

でも、全体的には馬鹿ばっか。と、私は思う。

投稿: やっ | 2008年5月13日 09:32

 個人的に感じるのは「恥」の概念が変化してきているのじゃないかなぁと。

 字幕は、私も完全に読み切れない時があります。もともと読むのが遅い方なので場合によっては斜め読みです。斜め読みでも、全体の文意を損なっていなければ映画の内容を把握するには問題がないだろうと思っていますし。

 若い人のマンガを読むスピードを考えれば、よっぽど読むスピード自体は速くなっているんじゃないかと思うくらいです。(私は週刊ジャンプでも、読んでた頃は1冊読むのに1時間以上かかりました・・・汗)

 読書についても同じと思うのだけれど、知らない言葉が出てくることがあっても、学生時代の当時の私はおおよそ勝手に意味をこじつけて読んでいたと思います。
 あるいは、知らない事が気になればそれは後で調べるまでの事であって、それ”知らない”事を”恥”として受け取っていたと思います。
 学友にだっていろいろ知っている人と、あまり知らない人がいる訳で、頭の中では”知っている方がいいよね”みたいな感じがあり、”知らない”自分は、その部分が足りないのだなぁという理解でした。

 今は、”知らない”事は恥じゃなく、字幕が読み切れないのも、なぜ”判るようにしないのか?””読めるようにしないのか?”という方向に行ってしまうみたいですね。

 娯楽であっても、スポーツがそうであるように、楽しむ為にはルールとスキルが要求されると思うのだけど、今はそこに”努力”する事はスマートではないのでしょう。

 ”恥を知れ”という言葉はもう死語でしょうかね。

投稿: きんめ | 2008年5月13日 10:19

Adrienne さん:

確かに、しっかりした若い子も多いですよね。

>ただ、字幕を読むのが遅い、とかいったことはおそらく学校でのディシプリンの不足に起因していて、このへんはさすがに例のゆとり教育の弊害と言えるのかも知れません。個人差が大きいですけどね。

ゆとり教育で生じた時間で、本を読むとか、字幕の映画に慣れるとかすればいいんでしょうが、ゲームやアニメに慣れちゃうと、それはちょっときついでしょうね。

投稿: tak | 2008年5月13日 10:40

やっ さん:

「シャブ浜」って、ウワサには聞いてますが、「イラシャリマケ」は知りません。どんなんでしょう?

>でも、全体的には馬鹿ばっか。と、私は思う。

IQと馬鹿さ加減は、連動しませんね。

投稿: tak | 2008年5月13日 10:49

きんめ さん:

>個人的に感じるのは「恥」の概念が変化してきているのじゃないかなぁと。

それは、私もかなり感じます。

近頃、「子供のパジャマのボタンが取れた」 と、メーカーにクレーム電話をかけてくるような母親がいます。

簡単にボタンが取れるというのも困りますが、昔の母親だったら、クレーム電話なんかかけるより、だまってボタンを付け替えたものです。

>今は、”知らない”事は恥じゃなく、字幕が読み切れないのも、なぜ”判るようにしないのか?””読めるようにしないのか?”という方向に行ってしまうみたいですね。

子供のパジャマのボタンと同じ思考構造だと思いますね。

投稿: tak | 2008年5月13日 10:54

すみません、イラッサリマケは、「イラサリマケ」の間違いです。古典「居酒屋」をパロディー化したやつ。居酒屋は、言わずと知れた立川談志の十八番ですが、立川門下の談笑がミャンマーから来た居酒屋の店員と客との掛け合いを演じるわけですが、これが、もう、電波に絶対乗せられないような言葉の連続なんですよ。

ミャンマーから来た店員が、入ってきた客に「イラサリマケー(いらしゃいませー)」と声を掛け、客にメニューを口頭で言う時は、「おチンポ舐めあげ(おしんこ・生揚げ)」、「イかないと(イカ納豆)、オメコ舐めおろし(なめこおろし)」・・・などと、ちょっと疲れた中年の私のツボですよ。客が、生ビール大・中・小とあるなかで、小ジョッキをオーダーすれば、「コノ オキャクサン コナマイキ イッチョウネ!」と厨房に声を掛ける。すると、店員が全てミャンマー出身だから、「コナマイキッチョウ コナマイキイッチョー」と声がする。なんだか嬉しくない客・・・。

いやぁー、フジテレビお台場ポッドキャスティングでダウンロードしておけば良かった。古今亭志ん生の芝浜も配信停止になってしまった。いつもあると思うな親と金。じゃないですが、インターネット上のデータもいつ消えてなくなるか分かりませんね。残念。

そして、takさんが、いつも、落語のオチを言うほど無粋なものはない。とおっしゃりますが、今のほとんどの若者(大学生を中心として前後10歳くらい)は、落語の醍醐味を半分も理解してないように思う。小学生以下は論外ですよ。

中年のひがみじゃないが、「プリキュア」に激しく萌えるが、人情話の「芝浜」を聴いてもサッパリ反応のない若者に、これでいいのか!日本人!と叫んでみたくなりました。

投稿: やっ | 2008年5月14日 05:31

やっ さん:

「イラサリマケ」 でググったら、出てきましたよ。いやはや、すごい人気ですね。
ついでに、「シャブ浜」 なんか、筋まで書いたのが見つかりました。

聞いてみたいなあ。

私、落語に関してはそれほど詳しいってわけじゃないんですけど、それでも、寄席に行けば落語の演目の 9割は知ってる話ですんで、まんざら素人ってわけでもないようです。

最近の若い人には落語が通じないみたいですが、それでも、落語ファンは一時より増えてるみたいですし、「落語文化」を広めていけば、死に絶えることまではなかろうと思ってます。

>そして、takさんが、いつも、落語のオチを言うほど無粋なものはない。とおっしゃりますが、

先月 25日のエントリーで、言いまくってますけどね ^^;)

説明しちゃうと無粋なんですけど、下手すると説明が必要ってのが悲しいです。

投稿: tak | 2008年5月14日 10:46

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