世界とのよき縁結び
今月 16日、例の秋葉原の無差別殺傷事件について、「この類のニュースには触れたいとは思わなくなってしまった」と書いた。
しかし、近頃ようやく少しは自分なりのことを書けるような気がしてきた。やはり、すぐに反応せずに、少しは寝かせておくことも大事なのかも知れない。
無差別殺傷事件といえば、まず思い起こされるのが、5年前の池田小事件である。その後今年になって、3月の土浦市荒川沖での殺傷事件、今月の秋葉原での事件と続いて、世の中にかなりのインパクトを与えている。
今年に入ってからの事件は、荒川沖の事件の金川真大容疑者がかなりのゲームおたくで、頻繁に秋葉原に通っていたことが伝えられ、今月の秋葉原事件の加藤智大容疑者も、ケータイの掲示板サイトで犯行予告していたとして、「秋葉原的」 な、何らかの傾向が犯罪に関わりがあるかのように論じられている。
しかし問題なのは「秋葉原的」という要素ではない。かつては「新宿的」要素が犯罪の温床のように言われていた。要するに、その時々の「満たされない心」が、シンボルとしての、ある一定の街に惹かれてしまうということになる。
一昔前は新宿に向いていた「満たされない心」が、今は秋葉原に向いているというだけのことだ。
その「満たされない心」というものが、無差別殺傷事件につながったわけだが、私は、それは最終的に「破壊願望」が外に向いた結果だと思っている。内に向いたら自殺という行為になる。奇しくも今年は、硫化水素による自殺が一種の流行現象のようになったが、根っこは同じ「破壊願望」だと思うのだ。
池田小事件の宅間守なんかは、死刑判決が決定するやいなや、「死刑は、殺される刑罰や。6ヶ月過ぎて、何時迄も何時迄も嫌がらせをされる刑罰ではない」と言って、早急な死刑執行を要求している。見ようによっては、自殺するのが嫌だから、死刑になって他人に殺してもらいたがった事件のように思える。
考えてみれば「満たされない心」 なんていうのはそれほど珍しいものでもない。たいていの人間は「満たされない心」をもっている。その心が「破壊願望」になってしまうには、やはりそれなりの条件が必要だ。
それは化学変化を起こすときの「触媒」のようなものである。いつの時代にも、「満たされない心」が「破壊願望」に化学変化を起こすために必要な「触媒」というものがある。
我々が問題にしなければならないのは、その因果関係と触媒についてなのだと思う。同じものがすべてのケースで「悪しき触媒」として機能するわけではない。ある条件にあてはまると、それが暴走を引き起こす。
仏教では「因果」ということを重要視する。今の言葉で言えば「原因と結果」ということで、実は非常に論理的な考え方だ。そして仏教の眼の透徹したところというのは、「原因と結果」だけでは物事は割り切れないと指摘している点だ。そこには「縁」という要素が必要になる。
そこで「因果」とともに「因縁」ということも重要視される。三つの要素をひっくるめて「因縁果」と言ったりもする。「縁」とは、まさに「触媒」である。
世の中の大きな動きをせき止めたりすることは、個人の力では難しい。それならば、せめて自分の周りで「よき触媒」として機能するような「縁」を、少しずつでいいからこしらえていきたいと思うのである。「世界とのよき縁結び」である。
私にはそれぐらいしかできないが、それが実は大きな力になると考えるほどのオプティミズムを、まだ捨てたわけではない。
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