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2008年6月26日

季節意識と「らしさ」

ちょっと前までは、"Today's Crack" の更新は、日付が変わった直後あたりだった。夜中に更新作業をし、12時過ぎにアップロードして寝るのが日課だったように思う。

ところが、近頃それが遅れに遅れている。朝のうちに更新できればいい方で、夜になることも度々だ。

どうも近頃、若い頃ほど遅くまで起きているのが辛くなったのである。以前はこなさなければならない作業を終えるのが夜中の 12時になっても、それからブログの更新作業を済ませてから眠りについていた。

ところが、近頃は仕事のけりの付くのが夜の 10時半ぐらいを過ぎてしまうと、もう風呂に入って眠ってしまいたくなるのである。それで、朝の電車の中で更新というスタイルに移行してしまっていた。

さらに、一昨日までの信州旅行である。日曜日に車で出発したのが朝の 6時だったので、朝の更新もできなかった。で、いっそのこと、夕方過ぎにその日の旅日記をアップしようと思ったのである。

それが 3日間続き、旅から帰ったら朝の更新に戻ろうと思っていたのだが、昨日もいろいろやることがたまっていたせいで、夕方過ぎになってしまった。「これではいかん」 と、今日は朝の電車の中で作業している。

で、本題だが、今日は寒い。かなりまともな梅雨寒である。最高気温は 19度と予想されている。季節が一気に 2ヶ月以上戻ってしまったような天気だ。昨日までは半袖ポロシャツ 1枚だったが、今日は T-シャツの肌着、長袖シャツ、ジャケットと、3枚重ね着している。それでも涼しいぐらいだ。

ところが、電車の中を見渡すと、半袖シャツだけで、肩をすくめて震えている人が結構いたりする。朝の出がけに、この寒さに気付かなかったんだろうか?

私はここで、「日本は世界で唯一四季のある国であるという誤解」というのを思い出した。唯一とまではいかなくても、日本ほどはっきりした四季のある国は珍しいと思っている人はかなり多い。

実際には、中緯度にある国ならほとんどはっきりした四季があるのだが、日本人の四季意識というのは、確かに際だって高いと思う。それだから、夏至も過ぎたことだし、寒いはずがないなんていう思いこみで、朝に半袖シャツだけで出かけてしまったりするのかもしれない。

日本人の四季意識の高さは、有史以来の文化に支えられていると思う。農業が生活の基盤だけに季節ごとの仕事がほぼ定まっている。そして四季それぞれの祭りをし、和歌で四季折々の風物を読み込む。

俳句なんていうことになると、季語を歳時記としてルール化し、五七五の中に季節を織り込まなければならないなんてことになっている。その日がたまたま暑かろうが涼しかろうが、はたまた寒かろうが、夏は夏ということになっている。

春は春らしいのが一番いい。そして同様に、夏は夏らしく、秋は秋らしく、冬は冬らしいのが好まれる。我々はどうやら、自らの季節意識に縛られているようなのである。そして我々を縛るのは季節意識だけではなく、男らしさとか女らしさとか、若者は若者らしくとか、野球選手は野球選手らしくとか、そんなレベルにまで広がっている。

「らしさ」というのは、なかなかのくせ者である。私はそれを一概に否定しないが、一応わかった上で、ちょっとだけ外すのがおもしろい生き方だと思っているのである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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