気持ちの悪い日本語
私は 「気になってならない」 というブログのファンで、よく巡回する。そこには 「日本語を読み書きするときにおかすマチガイを中心にした読み物」 という副題がついている。
変な日本語に遭遇すると、本当に気になってならなくなる。ああいう日本語を使う人は、自分で気持ち悪くならないのだろうか。
日常的によく見かけるのは、「だ、である」と「です、ます」の混在である。これは、まったく混在させてはならないというわけではない。意識的にまぜてしまう場合だっていくらでもある。しかし、明らかに無意識にやられると、読む方は気になってならない。
センテンスがだらだらと長く続いているうちに、いつの間にか主語と述語が一致しなくなっている場合もよく見かける。これは、文章をよく書く人もたまにやらかしてしまうことなので、注意が必要だ。これを予防するには、センテンスを短めにして、ハードボイルドな文体にしてしまうのが一番である。
受動態と能動態のごちゃ混ぜも気になるところだ。元々日本語は自他の区別が曖昧な傾向があるので、無意識のうちにこれをやってしまいがちだが、必要があって英文に翻訳する場合など、事情を知らない人が機械的に直訳してしまうと、意味がまったく逆になってしまったりする。
それから、対になる構造を強調する場合、読み方で、その 「対」 の部分をさらりと読み流して、他の部分にアクセントを置くというのも、とても気になる。私だったら、そんな読み方をしたら気持ち悪くてどうしようもなくなる。
ちょっと前から気になってならないラジオ CM がある。コスモ石油の「あいさつはなくとも、生きてゆけるけど、あるとしあわせ。」というものだ。
あいさつというものが、「なくても別にいいけど、あるともっといい」という構造である。つまり「ある」と「ない」の「対」が重要なのだ。ところが、CM のナレーションの 「あいさつはなくとも」という部分は、「なくとも」がさらりと流されてしまっている。ごくフツーの 「あいさつがない」のバリエーションだ。(急に文語体なのも気になるといえばなるし)
微妙なところだが、私ならもう少しだけ「なくとも」の部分にアクセントを置きたいものだと思う。そうでないと気持ち悪さが残る。このナレーションで、ディレクターはよく NG にしなかったものである。
最近の CM は、猫なで声がはやりのようなので、雰囲気としてのホンワカ志向に意識が行きすぎて、ロジックの方がおろそかになってしまったんだろうか。ロジックはロジックとして、雰囲気の犠牲になってはならないと思うのだが。
ちなみに、上記の「あいさつはなくとも、生きてゆけるけど、あるとしあわせ。」という記述は、コスモ石油のサイトからそのままコピペしたものだが、よくみると、もともと読点 (「、」)の位置がおかしい。
この読点だと、あのナレーションになるのも無理からぬところかもしれない。厳密にいえば、あいさつなしで生きていった上で、唐突に「あるとしあわせ」ということになる。意地悪な人なら、「何があると幸せなの?」とツッコむかもしれない。
私なら、「あいさつは、なくても生きていけるけど、あるとしあわせ」と、「あいさつは」の下に「なくても……」と「あると……」を対照的な並列関係で記述したいところである。(さらに、「なくても」、「生きていける」と、フツーの口語体にしておいた)
コスモ石油の CM は、好感度調査で上位にランクされるそうで、 「血液と葉緑素」 篇なんて、私もちょっと感動してしまった。それだけに、「ひと言のあいさつ」 篇はちょっと残念である。
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コメント
お邪魔します。オッチャンです。
大昔、生理用品のコマーシャル(生理用品がいかなる目的で使用されるかについては、大人になってから知りましたが…ポッ!)にて、「ぜ~んぜん平気~!」という言葉が引っかかっていました。
やがて大学生になり(生理用品の使用目的も十分理解しているころですが…ポッ!)、「ぜんぜん」のあとには否定語が続くことが通例ということを学び、スッキリした感がありました。
その頃(1990年ごろ)から気になっている言葉は、「カラオケしたりとか、」の「たりとか」です。
「たり」も、「とか」も、前の言葉と次に続く言葉を並列させる言葉で、「出たり入ったり」や「東京とか埼玉とか」と、使い分けるものだと思ってました。(広く浅い国語なもんで、厳密な分け方はできませんが…)
大学の放送部の先輩に、「アナウンスでたりとかは厳禁!」と厳しく法度が出ておりましたので、お蔭様で今でも「たりとか」は使いません。
…しかしながら、オッチャンの日本語のお手本、NHKのアナウンサーにも…、最近「たりとか」を平気で使う輩がいて…。自信なくした。
ググッてみても400万件超!「当たりとか…」の用法を除いても、結構メジャーな言葉なんですね。
オッチャン一匹狼で「たりとか」使いません!(なんのキャンペーンじゃ?)
投稿: オッチャン | 2008年6月17日 12:41
自分がやらかす間違いは案外気がつかないけれど、他人の話す言葉は気になりますねw
コスモ石油の原文の”生きてゆける”がすでに気になってしまってしょうがない訳です。生きて”いく”じゃないのかという感覚が私の中にはあります。生きて”いこう”はありで生きて”ゆこう”はNGな感じというか。
でも、年末の深夜番組は”ゆく年、くる年”だから”ゆく”でもOKなのかな。そういえば浪曲の出だしも”旅ゆけば”ですよね。
”そういう事”と”そうゆう事”はどっちが正解なんだろう?なんてのも微妙に疑問を感じてしまったりします。これは”いう”の方が正解らしいですが。
うーん、日本語難しいです。
投稿: きんめ | 2008年6月17日 14:31
オッチャン:
「全然」 が否定形とワンセットになったのは、それほど古い時代のことじゃないようです。漱石の小説なんかを読んでると、「全然+肯定型」の文がいくらでもあります。
「まったく ~ない」 という定型が強調されすぎているのかもしれません。元々は、「まったく」 は 「全し (またし)」 という形容詞から来てますから、「完全」 という意味ですしね。
「~たり」 は、ちゃんと繰り返してもらいたいですね。
近所のスーパーのエスカレーターで、「エスカレーターは危険ですので、歩いたり、駆け上らないようお願い申し上げます」 なんてアナウンスが流れっぱなしですが、とぉ~~~っても気持ち悪いです。
一方、「~とか」 は、個人的には 「~たり」 よりユルイです。
「まんじゅうとか、せんべいが好きです」 と言われても、私は 「~たり」 の場合ほどには気持ち悪くないです。「とか」 は、連語法則がユルイんでしょうね。
「~とかいう……」 とか (ほら、ここでも使う) 古語の 「~とかや」 なんて用法があるので、平気なんでしょうね。
投稿: tak | 2008年6月17日 15:45
きんめ さん:
>コスモ石油の原文の”生きてゆける”がすでに気になってしまってしょうがない訳です。
「ゆく」 と 「いく」 は、辞書的には同じ意味ですが、「ゆく」 の方が、具体的、空間的、時間的な 「推移」 や 「移動」 のニュアンスが強いように思います。
「いく」 は、「それでいこう!」 とか 「なんとか、やっていく」 とか、抽象的な意味合いの時に 「ゆく」 より自然だと思います。
ということは、やっぱり 「生きてゆく」 より 「生きていく」 の方が自然だと、私も思います。それで、本文中でもそうしました。
>”そういう事”と”そうゆう事”はどっちが正解なんだろう?
これは、「いふ」 が元々の形ですので、「いう」 が正解で、「ゆう」 は音便です。
「十本」 が 「じゅっぽん」 ではなく 「じっぽん」 だというのも、「十」 の元々の読みが 「じふ」 なので、そうなるわけです。
古語は日本語の元の形ですので、知っておくと言葉のなりたちがわかって、いいものです。
投稿: tak | 2008年6月17日 16:03