副都心線というのが開通するんだって
40歳前まで、繊維の業界紙記者をしていた頃は、東京中に出向いて取材するのが仕事だったから、地下鉄路線図がすべて頭の中に入っていた。
目的地に行くのに、何線の何両目に乗って、どこの駅でどう乗り換えればいいのか、すべてわかっていた。
今でも昔取った杵柄で、銀座線、丸ノ内線、日比谷線、東西線、千代田線、そして都営地下鉄の浅草線、三田線、新宿線といった路線なら、すいすいと利用できる。しかし、それより新しい路線になると、さっぱりわからない。
有楽町線と半蔵門線は、当時ほんの短い区間で営業開始したばかりで、ほとんど使い物にならなかったので、あまり利用しなかったし、ましてや、南北線や都営地下鉄の大江戸線なんて、影ぐらいはあったのかもしれないが、少なくとも形はなかった。
さらに、明日は東京メトロの副都心線というのが開通するんだそうだ。埼玉の和光市から、池袋、西早稲田を通り、新宿三丁目、明治神宮前を経て渋谷に行くらしい。ああ、私が大学時代にこの路線があったら、どんなに便利だったろうか。
昭和 46年、上京してワセダに通い始めた頃は、東京の地下鉄はほとんど大手町と銀座と霞ヶ関を中心にして伸びていた。丸ノ内線なんか、池袋から大手町、銀座を通って新宿に行く。
要するに、郊外から都心に通勤するためとか、都心のオフィスの連中が、山手線で遠回りせずに、池袋、新宿、渋谷に行くためという発想だったのである。山手線の西側で自由に行き来するためのものではなかった。
だから、ワセダから新宿だの渋谷だのに行くのは、結構面倒くさかった。東西線で高田馬場に出て、山手線に乗り換えなければならない。滅多には行かなかったけれど、六本木に行くときなんか、はるばる茅場町まで行って日比谷線に乗り換えるという、実に馬鹿馬鹿しい経路を辿らなければならなかった。
あの当時と比べると、東京の街の構造が変わってしまったのだと思う。都庁が新宿に移転したのが決定的な契機となったんだろうが、比重が山手線の東からかなり西に移ってしまった。
おかげで、今は山手線の西側を移動するときなんか、ケータイの路線案内で検索すると、思いも寄らなかった近道のルートが表示される。しかし、そんな路線はあまり乗ったことがないから、私なんか、まるでお上りさんである。
道理で、近頃のワセダの学生が妙に都会的すぎると思ったよ。
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