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2008年6月 6日

「足なり直角靴下」 着用レポート

先月 30日の記事で無印良品のコンセプトについて触れた際に、「足なり直角靴下」 についてちょっとだけ言及した。

早速ネットで注文したところ、今月初めに届いたのだが、それっきり着用レポートをするのを忘れていた。端的に言えば、「便りのないのはよい便り」の類だということである。

商品が届いて、早速履いてみての第一印象は、「おっ、いい感じ」というものだった。普通の靴下をはくと、かかとの部分に少々のプレッシャーを感じるが、これにはない。かかとが解放されている感じがする。

それは当然の話だ。普通の靴下が、足首から上と下でほぼ 120度の角度で編まれているのに対して、これはほぼ直角になっているのだから。しかも、かかとの部分が少しはみ出すぐらいの余裕がある。

だが、「いい感じ」との印象は着用直後だけで、あとはすっかり忘れてしまっていた。履いている靴下を意識することなんて、全然ない。しかし「意識しなくて済む」ということは、実はなかなかのことであると、しばらくして気付いた。

人間、具合の悪いところがあると、そこに意識が集中する。歯が痛ければ歯が否応なく意識され、腹具合が悪ければ、腹ばかり気にかかる。意識されないというのは、とりもなおさず「快適」ということなのだと思い当たった。

なるほど、普通の靴下をはいていると、下手するとはいているうちにねじれたりしてしまうことがある。そこまで行かなくても、時々ずり下がってきた足首部分をたくし上げたりするのはしょっちゅうだ。

しかし、この「足なり直角靴下」は、そんなことは皆無である。もしかしたら、まだ新しくてリブ部分がしっかりしているからというだけのことかもしれないが、どうもそれだけでもなさそうな実感がある。

足首とかかとのラインを基準にして、足とすねのフィット具合がとても自然なのだ。自然なので余計なストレスがかからず、妙な引っ張り方をされないので、ずれないのだと思う。

従来の靴下が 120度の角度で編まれているのは、靴下を生産する編機の都合によるものらしい。靴下というのは編機が一つずつ編み上げていき、編み終わると、下にポトリと落とす仕掛けになっている。私は繊維業界の人間なので、それはお馴染みの光景だ。

しかしこの編機の都合で、直角というのは量産に不向きだったのだ。そりゃ、120度のゆるやかなカーブの方が、機械にとってはありがたいことだろう。90度にして、しかもかかと部分をふっくらと仕上げるなんていうのは、迷惑千万だ。

我々の足は、これまで機械の都合で履きにくい靴下を押しつけられていたのである。

というわけで、私はこの「足なり直角靴下」が大変気に入ってしまったのである。これからも履き続けようと思っている。それどころか、世の中のすべての靴下が直角になればいいのにと思うほどだが、多分、そうは決してならないだろう。

工業化社会というのは、革新的なようでいて実はなかなか保守的なものだというのは、私が PC のデザインについて時々触れている通りである(参照)。

そしてさらに、世の中というのは、いつも合理的な選択をするものでもないということも、私は経験則からして嫌というほどよく知っている。それは昨日の記事でも触れた通りである。

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