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2008年6月21日

鳩山法相のエキセントリックな怒り

鳩山法相が、アサヒに「死に神」呼ばわりされたことに、ひどくご立腹のようだ。確かに、公務を遂行しただけの人を捕まえて、全国紙のコラムで「死に神」 とはひどい。

ただ、それに対する鳩山法相の抗議というか、反論というか、それがちょっとエキセントリックで、やっぱりこの人らしい。

時事ドットコムによると、鳩山さんは「斎戒沐浴して(死刑囚に関する)記録を読む心境は穏やかではないが、社会正義実現のためにやらざるを得ないという思いでやってきた」と述べられたそうだ(参照)。斎戒沐浴とは、なかなか大時代的で驚いた。

ちょっとした揚げ足とりをさせてもらうと、私としては娑婆のゴタゴタを去って穏やかな気持ちになるために斎戒沐浴をするんだと思っていたが、それでも心境が穏やかにならないというのでは、鳩山さん、あんまり意味のないことをしているようだ。

揚げ足とりでなく、正真正銘わけがわからないのは、「彼ら(死刑囚)は 死に神に連れて行かれたのか。違うだろう。執行された方に対する侮辱で、軽率な記事に抗議したい」 という発言である。

「死に神に連れて行かれた」 と言ってしまうと、死刑を執行された人間に対する侮辱になるのだそうだ。そうかなあ。私が死に神だったら、「俺が死刑囚を連れて行って、なんで侮辱になるんだ !?」と、名誉毀損で怒るところである。死に神がいるとすれば、それこそまさに、粛々と公務を執行しているだけのことだ。

「死に神」 呼ばわりされたことに対する怒りなら、「公務を執行しただけの大臣に対して『死に神』とは何だ!」とフツーに怒ればいいのに、「彼らは死に神に連れて行かれたんじゃない」なんて、エキセントリックなレトリックで、机を叩いて怒ってみせるというのは、まあ、この人らしいということなんだろうなあ。

さすが、「友人の友人がアルカイダ」とか「秘書時代はペンタゴンにご馳走になってた」とか、エキセントリック発言の名手であると、ちょっと感じ入ってしまったのである。

記事を書いた記者たちも、法相の発言にまともなストーリーが通らないことに、少しは戸惑ったんじゃないかと思う。とはいえ、とくにサンケイなんか、怨敵のアサヒ叩きのためにしっかり書いたんだろうが、それでも発言に関しては、「まあ、言ったとおりに書いとくか」ってな感じだったと思う。

私の記者経験に照らしてみても、エライ人の子供じみた発言の取り扱いって、ちょっと困ってしまうことがある。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

あまり知りませんが、この政治家のレトリックは独特とは聞いております。また朝日新聞のそれも全文は見ておりませんがそちらの書き方も相変わらずとは聞いております。

そうした前提で想像させて頂くと、この政治家のレトリックを読み取って紹介する事もなく、面白半分に書き綴る姿勢のジャーナリズムだから同程度の政治家しか育たないのではないかと考えます。全く言論にもならない。

それもその筈、政治家もジャーナリストも同じ穴の狢と言うか教育程度も似通っているので当然です。鶏が先か卵が先かと言えば、やはりジャーナリズムは市場の制約があるとは言っても、政治家を言論で率先しなければいけない筈なのですが、どうも特に朝日新聞などはつまらない茶番劇を演じているだけのようにしか感じないのです。

それにしても死神などと言う発想をするお馬鹿さんのジャーナリズムとは一体何なのか。俳諧を気取っているのか?

投稿: pfaelzerwein | 2008年6月21日 16:09

pfaelzerwein さん:

>そうした前提で想像させて頂くと、この政治家のレトリックを読み取って紹介する事もなく、面白半分に書き綴る姿勢のジャーナリズムだから同程度の政治家しか育たないのではないかと考えます。全く言論にもならない。

このコメントを読んで、自分の本文を顧みたところ、

>記事を書いた記者たちも、法相の発言にまともなストーリーが通らないことに、少しは戸惑ったんじゃないかと思う。

という部分に、ちょっと自信がなくなりました ^^;)

案外、素直にそのまま書いちゃったのかも知れませんね。

投稿: tak | 2008年6月21日 21:54

この大臣を擁護するわけではありませんが…。

>「死に神に連れて行かれた」 と言ってしまうと、死刑を執行された人間に対する侮辱になるのだそうだ。そうかなあ。私が死に神だったら、

私は読解力が低いので読み違えでしょうが、大臣が言う「執行された方」って「執行を実行した人」ですよね? もし私が死刑執行の職務に就いている人間なら、「死に神」と言われたらいい気はしないと思うのですが。

投稿: ruigaru | 2008年6月22日 01:00

ruigaru さん:

>私は読解力が低いので読み違えでしょうが、大臣が言う「執行された方」って「執行を実行した人」ですよね?

恐縮ながら,おっしゃるとおり、読み違いです。

その解釈だと、アサヒの記事に端を発したストーリーが、そもそも成立しません。

投稿: tak | 2008年6月22日 17:47

すみません。私は益々判らなくなってきました。何故に、組織の長が「首切り役人」に「される」という敬語を使うのでしょうか?

この「される」は被執行者に対する受身です。被執行者の尊厳が問題なのであって、それに対して被害者の家族会などが可笑しなことをいうから、ますます執行権を持つ法務大臣がジャーナリズムと「怨念と勧善懲悪しか理解しない」一般大衆を舐めて、この程度の曖昧な発言しか出来ないのではありませんか?

なぜ、被執行者の遺族の発言が報道されないのでしょう?

投稿: pfaelzerwein | 2008年6月29日 22:27

pfaelzerwein さん:

おっしゃる通りだと思います。

>何故に、組織の長が「首切り役人」に「される」という敬語を使うのでしょうか?

>この「される」は被執行者に対する受身です。

私としては、あまりにもしらけてしまったので、「読み違え」 とだけ指摘して、あえて説明しませんでしたが、補完して下さり、感謝です。

>なぜ、被執行者の遺族の発言が報道されないのでしょう?

ここまで来たら、ロジックとしては報道すべきなんでしょうけど、日本のマスコミはそこまで踏み込むほどの根性はないでしょうね。

投稿: tak | 2008年6月30日 10:30

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