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2008年6月15日

一周忌の翌年が三回忌という不思議

母が亡くなったのが昨年の 5月 10日で、早いもので、先月一周忌をした。そして、来年の 5月は三回忌になる。

母の法事に限らず、昔から不思議に思っていたのが、「なんでまた、一周忌の翌年が三回忌なんだ?」ということである。本当に、いくつになってもわからないことってあるものだ。

いくつになってもわからないのは、わかろうとしないからである。わかろうとしないのは、疑問にすら思わないからである。疑問にすら思わないのは、思考が怠惰だからだ。ああ、反省である。

そりゃ、不思議には思っていたのである。不思議には思っていたが、まあ、世の中そういうものなんだと、これまでずるずると、調べようともせずに来てしまった。そんなことって、案外あると思う。

で、この「一周忌の翌年が三回忌」というのも、この年になってようやく、「単なる不思議」から「まともな疑問」に昇華して、初めてインターネットで調べてみたのである。自分の母親という最も近い親族のケースなので、その気になったのだ。

調べてみれば、何のことはない。単純な話なのであった。一周忌は「満」で数え、三回忌は「数え」で数えるのというのである。なるほど、だから、「一周忌」と「三回忌」で、呼び方が微妙に違っているわけだ。

「一周忌」というのは、「死んでから一周年」ということで、「三回忌」は、死んだ時が既に「一回目の忌日」だから、二年後は「三回忌」ということになるわけだ。

三回忌以後の年忌法要は、五回忌、七回忌、十三回忌、二十三回忌、二十七回忌と続き、普通は三十三回忌で年忌止めとして、打ち止めになる場合が多いらしい。三十三回忌といったら、あと三十一年後だから、私だって米寿に近い。生きてるかどうか、知れたものじゃない。

まれには五十回忌をする場合もあるらしいが、そりゃ、孫の世代に任せるしかない。よっぽど偉大なじいさんかばあさんでないと、そこまではやってもらえないだろう。私としては、親の法要はやってあげたい気がするが、自分が死んだら、そこまで引きずってもらわなくてもいい。

時々思い出したようにセレモニーをするよりも、普段から親しく語りかけるように線香をあげて供養することの方が大切だとも思う。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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