ワークライフバランスの裏表
「ワークライフバランス」 という言葉が、にわかに注目されてしまっている。内閣府の調査によると、この言葉も内容も知っている人は、10%しかいなかったんだそうだが (参照)。
私もそんな言葉知らなかった。そりゃ、言われればざっとした内容の想像はつくけど、そんなにオフィシャルな言葉だったなんてね。
これ、なんとなく和製英語っぽいが、さにあらず、元々は欧米で言い出された言葉らしい。で、こういうケースでありがちなのは、言葉だけ輸入して、意味とかニュアンスとかが変わってしまっているというか、こっちの都合だけで変えてしまってるというか、まあ、そんなことが多いということだ。
英語から輸入されて日本語のカタカナ語になったとたんに、微妙に意味が変わった言葉には、最近では「カミングアウト」や「メタボ」なんていうのがある。やや古いところでは「カウチポテト」である。あれ、「寝椅子でポテトチップスを食べながらビデオを見ること」ということになってしまっていた。なんだかなあ (参照)。
内閣府主導の 「ワークライフバランス」キャンペーンは、もろ直訳の「仕事と生活の調和」を謳っていて、だったら初めから日本語でそう言えばいいじゃないかと思うのだが、まあ、目新しいカタカナにしないとそれらしくないという意識があるんだろう。
で、このキャンペーンは内閣府のサイトをみると実に総花的な意義を網羅していて、なんだかピントがぼやけている気がするのだが、一般的には「少子化対策の柱の1つ」とみられているようなのだ。
実際の運用では「カエル! ジャパン」キャンペーンが飛び抜けて訴求されているという印象だ。要するに、「残業ばかりしてないで、さっさと家に帰って、やることやれ!」ということに行き着くようなのだ。これが「ワークライフバランス」 の日本的意味らしい。
それでは、本家米国の「ワークライフバランス」はどんな意味合いなのか?
つい、「本家米国」と書いてしまったが、Wikipedia によると、この言葉が最初に登場したのは、1970年代の英国なのだそうだ。米国で使われ始めたのは 1986年で、以後、仕事と家庭生活の区別が薄れるにつれて、この言葉への注目が高まっているという (参照)。
しかしアメリカ人の多くは元々、自分の生活の方が大切で、仕事というのは金を稼ぐために仕方なくやっているという意識が強い。だから 「残業ばっかりしないように」なんて、言う必要がない。そうでないのは、アメリカの仕事人間たち、キャリア層である。
彼らの中には、「日本人は勤勉で働き者」なんて寝言にしか聞こえなくなるほどの「ワーカホリック (仕事中毒)」が多い。嘘だと思ったら、マンハッタンのホテルで早起きして窓の外を見てみるがいい。朝の 6時前から仕事に没頭するビジネスパーソンのオフィスの煌々と明かりのついた窓が、あちこちに見える。
さらに、「ワークライフバランス」のコンセプトが定着してしまった米国社会においては、彼らビジネスパーソンは、寝る間を惜しんで仕事をするだけでは社会的に評価されないという風潮になっている。「仕事もできて、なおかつ家庭も大切にする」ということでないといけないみたいなのだ。
フツーの労働者にとっての「ワークライフバランス」は、日本も米国もそれほど大きな違いはないみたいだが、米国のビジネス社会(つまり高所得者層ね)においては、仕事も必死にやって、家庭生活も必死でないといけない。大変なことである。
つまり、ちゃんと週に一度以上は夫婦でレストランで外食して、時々は話題のミュージカルなんかにも足を運び、きちんと子供の送り迎えをして (米国では子供が一人で歩いて学校に行くなんてありえないので)、夫もちゃんと皿洗いして、クリスマスや結婚記念日のプレゼントにも気を遣って …… などなど。
なにやら、米国のビジネスパーソンの「ワークライフバランス」というのは、かなり大変なことのようで、ますますストレスが貯まってしまいそうな感じなのである。
で、Google なんかでは社員が会社の中で充実した生活まで送れてしまうように、社員食堂がめちゃくちゃ安くてうまかったり、福利厚生に大変な力を入れていたりする。これはこれでまた、「なんだかなあ」という気がするのである。
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