「さわり」 という言葉の意味
4年前にも書いたこと (参照) なのだけれど、当時に比べてこのブログへのアクセスが 10倍以上になった今、改めて書く。「文化庁こそ言葉の意味を取り違えてるぞ!」 と。
毎年話題になって、毎年ツッコまれている、例の 「国語に関する世論調査」 で、「さわり」 の意味が誤解されているという話である。
文化庁によると、「さわり」 という言葉の意味は、正しくは 「話などの要点」 なのだが、そのように回答した人は 35.1%で、「話などの最初の部分」 との誤答が 55.0%と、半数以上を占めたというのである。(参照)
だが、「さわり」 が 「話などの要点」 とする文化庁的理解こそ、はっきり言って間違いなのである。以下に、Goo 辞書の 「さわり」 の項の説明をコピーしておく。(参照)
〔動詞「触る」の連用形から〕
(1)手や体でふれること。また、ふれた感じ。多く他の語と複合して用いられる。
「手―」「肌―」
(2)浄瑠璃用語。
(ア)〔他の節(ふし)にさわっている意。普通「サワリ」と書く〕義太夫節以外の先行の曲節を義太夫節に取り入れた箇所。
(イ)曲中で最も聞きどころ、聞かせどころとされている部分。本来は口説きといわれる歌謡的部分をさす。
(3)〔(2)が転じて〕(ア)話の中心となる部分。聞かせどころ。
(イ)演劇・映画などの名場面。見どころ。
「西部劇の―を集めて編集した映画」
(4)三味線の特殊な仕掛け。一の糸を開放弦として弾くときに、複雑なうなり音を出すようにしたもの。また、その音。琵琶(びわ)の仕組みが取り入れられたもの。
ご覧のように、どこにも 「話などの要点」 なんていう説明は出てこないのである。私は 4年前に、以下のように書いているが、悲しいかな、文化庁のお役人の誰も私のブログを読んでくれなかったようで、4年経ってまた同じ間違いを犯している。
「さわり」に関しては、「話などの要点」という「正解」よりも、「話などの最初の部分」という誤答が多かったと報告されている。
しかし、これは文化庁のチョンボだ。「さわり」という言葉の意味の「本当の正解」は、 「話の要点」ではなく、「話のクライマックス」である。
元々は「さわり」というのは、文楽・義太夫(人形浄瑠璃の語り物)の一番の「聞かせどころ」のことを言うのであって、決して
「要点」という意味ではない。 「さわりだけ聞かせてよ」と言ったら、本来は「時間がないから、前の方は端折って、一番グッとくる最高潮のところを演ってよ」という意味合いである。それを「話の要点」と言ってしまうと、「かいつまんだ要約ポイント」というニュアンスが強い。「一番いいところ」を演じてもらいたくて、「さわりだけ、お願い」と言っているのに、「話の要点」を淡々と聞かされたら、しらけ果ててしまう。
まったくもう、文化庁関係者の、一体誰が "「さわり」 の意味は 「話などの要点」" だなんてあほなことを言ってくれているのだ? 困ったものである。文化庁さん、お願いだから、4年後にまたしても同じことをしでかさないようにしておくれではあるまいか。
そして、4年前に書いて、もう一度書くけど、「マスコミも、このくらい気付けよ」とも言いたいのである。なんで、こんなことを垂れ流し的に、何の批判もなく報道するのだ。
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コメント
こんにちは。
私の理解も正しいのかどうか微妙なのですが。
私は「さわり」というのは、「話し手(歌い手・書き手)が相手に最も聞いて(読んで)欲しいところ」なのだという感じで捉えています。
舞台や歌曲なら一番盛り上がる部分でしょう。これにはあまり異論は出ないと思います。
これが評論などの文章になってくるとだんだん微妙になってきます。
「結論」を読んで欲しいのか、それとも「結論に至るまでの道すじ(考え方)」を読んで欲しいのかが曖昧になってくるからです。
「結論」なら簡単です。結論を述べている部分とその前後辺りがさわりと言えると思います。
しかし「結論に至るまでの道すじ(考え方)」ならばどうか。
文章全体の根底に流れている思想のようなものを、特定のどの部分というわけではなく、文章全体から読み取って、それが最もキモなのだ、と言われたら。
文章の中にさわりの部分はない、となるのかもしれませんし、あるいはそのキモを簡潔にまとめた内容が(文章中にそのような部分はないけれども)いわゆる「さわり」と言えるかもしれません。
後者の場合は、つまりそれが「要点」に似たものになっているのではないでしょうか。
・・・書いててだんだん自信なくなってきたw
投稿: 風花 | 2008年7月29日 11:11
風花 さん:
さっそくのコメント、ありがとうございます。
>これが評論などの文章になってくるとだんだん微妙になってきます。
そもそも、評論とかの文章に関して、「要点」 を聞きたいのなら、素直に 「要点」 と言えばいいのであり、「さわり」 なんていう言葉を使うのは、不適切だと思うわけです。あいまいになっちゃいますから。
また、言葉も生き物ですので、長い間に 「話などの要点」 という意味合いももつようになってきているのかもしれません。その可能性は否定しません。
しかし、それならそれで、文化庁の基本的なコンセプトが疑われます。「檄を飛ばす」 という言葉は、本来の意味にこだわっているのに、「さわり」 は、その反対のコンセプトになっていますから。
そのあたりは、4年前の記事で指摘しています。
投稿: tak | 2008年7月29日 11:19
>そもそも、評論とかの文章に関して、「要点」 を聞きたいのなら、素直に 「要点」 と言えばいい
これは全くその通りなのですが、私の想定では例えば
A「この本面白いなあ」
B「なになに? さわりだけ聞かせて(教えて)よ」
という会話をするときに、Bはそれが戯曲なのか評論なのか何なのかを知らないことが大いにあり得る。しかし「さわり」という言葉を使うことがある。
まあ、Aが答えるときに「評論だからさわりというよりも要点なんだけどね、・・・。」と答えればいいのですが。
こういったところから、だんだん「さわり」という言葉の意味が曖昧になっていくのかなと。
なお、単に「さわり」という言葉に対する私的感想であって、「国語に関する世論調査」へのツッコミ(さわり≠要点)に関しては全く異論ございません。
さわり≒要点と言えそうな事例があるとすればどのようなものかという思考実験的な試みです(笑
投稿: 風花 | 2008年7月29日 16:08
風花さん:
>さわり≒要点と言えそうな事例があるとすればどのようなものかという思考実験的な試みです(笑
う~ん…
私としては、「さわり」 という言葉は、ロジカルなものではなく、ひたすらエモーショナルなものという位置付けなのです。
まあ、それはとりもなおさず、浄瑠璃の 「さわり」 の印象が強いからなんですが。
そんなわけで、「要点」 というのは馴染まないんですよね。
どろっとしたものを無理矢理乾燥させちゃったみたいで。
投稿: tak | 2008年7月30日 00:32
「さわり」がエモーショナルなもの、というのは同感ですが、風花さんの思考実験も、なかなかに興味深いです。それを拝読して、改めて考えました。
そもそも、何も知らない本(映画、ドラマ、等)のさわりを教えてもらっても、筋がわからなければ理解できないし、変に知ってしまうと、ちゃんと読んだ時の感激が薄れる可能性がある。いわゆるネタバレは、むしろ嫌われるのはないか。
じゃあ「さわり」が見たいのはどういう時かというと、既によーく知っている話の場合ですね。恐らく義太夫なんかは昨今の映画のように常に新作を追いかけるのではなく、同じ話を毎回毎回演じて、それでも人は集まり、そのたびに笑ったり泣いたりしたのでしょう。それで、今日は時間がないからさわりだけ見て帰ろうとか、そういうことになるんじゃないでしょうか。
先日、テレビで「全員集合」のダイジェスト版をやっていました。私は「全員集合」を見た記憶がありません。だから、「だめだこりゃ」とか「村山音頭~♪」とか、そこだけパッと出てきても、意味が分からないし、全然面白くない。でも(子供のころに見ていたという)同居人は、それだけ見てげらげら笑っているわけです。これこそがまさに「さわり」なんじゃないかと。
投稿: Reiko Kato | 2008年8月 1日 00:49
Reiko Kato さん:
お久しぶりです。
浄瑠璃に関していえば、同じ演目を何度も聞いてお馴染みになる必要は必ずしもなく、その 「元ネタ」 を知っているというのが、暗黙の了解となるように思います。
その昔、浄瑠璃がコンテンポラリーな芸能として機能して、盛んに新作が作られていた頃も、まったくの創作というのはほとんどなく、既に知られた古典的な題材 (「太平記」 など) や、世間で話題になったニュース (心中とか、敵討ちとか) をアレンジして趣向を加えるという手法が常套手段でした。
ですから、浄瑠璃などは、「新作でもお馴染み」 というケースが非常に多かったわけですね。その作品のバックグラウンド (歌舞伎や浄瑠璃では、「世界」 なんていいますが) を知っているという、ある意味 「論理的な基盤」 の上に、「さわり」 という情感的な感動が成立するわけです。
というわけで、新作でも筋はあらかた想像がついていて、「さわり」 だけを楽しむことが可能だったわけです。
共有知識 (あるいは、「共同幻想」?) の基盤がしっかりしていたわけですね。ゆったりした時代の福音です。
つい 20年とか 30年前のテレビ番組の再現で、笑い転げる人としらける人の差が出る現代というのは、「さわり」 にとって辛い時代ですね。
行き着くところまで行くと古典回帰というのは、芸術の世界ではいつもみられる現象ですが、お笑いの世界でも、落語が再び人気になっています。そうした現象の一つなのかもしれません。
投稿: tak | 2008年8月 1日 09:00
古い記事にコメントするのもどうかと考えたのですが、、、
もともとは浄瑠璃の聞かせどころの意味だったものが、転じて話の中心・聞かせどころ、映画の名場面・見どころという意味で使われるようになった。
・・・個人的には「要点」というのは間違いではないように思います。「概要」の意味としての使用は確かに誤りでしょうが、「重要な点」=「聞かせどころ」=「さわり」ではないでしょうか?
たしかに「話の要点」と言い切ってしまうのも問題があるように思えます。が、「一番いいところ」と言い切ってしまうのも違うように思えます。
辞書が言うところの「話の中心」。
これを「要点」ととらえることも出来るし、「結論」「骨子」とも受け取ることも出来る。
「歌のさわり」ならサビの部分、実に簡単ですが、
「映画のさわり」とかになると、聞いてくる人がすでに間違えてますよね。
「ラスト20分前からの決闘シーンだよ」
「ありがとう」
なんて会話はありえませんもの。
・・・何を言いたいのかが伝わるかどうか心配ですが、これ以上の長文は控えます。
投稿: aym | 2010年11月18日 16:57
aym さん:
>・・・何を言いたいのかが伝わるかどうか心配ですが、これ以上の長文は控えます。
申し訳ありませんが、伝わりそうで伝わってきません。
プロセスばかりで結論がないというか。
投稿: tak | 2010年11月18日 22:49
現在のgoo辞書は、件の文化庁による世論調査を補説という形で引用していますよ。
投稿: yuka | 2011年2月 5日 21:16
yuka さん:
>現在のgoo辞書は、件の文化庁による世論調査を補説という形で引用していますよ。
情報、ありがとうございます。
確認しました。
ただ、Goo辞書としてはまだ 「要点」という語釈を加えてはいませんね。
投稿: tak | 2011年2月 5日 23:41
ここに来て文化庁は、文化庁月報23年7月号で「さわり」の意味を「話や物語の要点」にしたことについて、広辞苑を援用して苦しい言い訳をしてきましたね。二番目に「最大の聞かせ所」とあるのに、わざわざ三番目に書いてある「話や物語の要点」を正解とするのはちょっと苦しい。
http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2011_07/series_08/series_08.html
投稿: ハマッコー | 2011年8月23日 02:42
ハマッコー さん:
情報ありがとうございます。
リンク先を読んでみましたが、「それがどうした?」 というような内容ですね。
投稿: tak | 2011年8月23日 12:51
確かに一般的な用語で使われるのはあなたの意見の通りですね。
しかし、これは語句の意味を間違えて使用していった結果浸透してしまったものです。
語句の説明にもあるように『見どころ』『聞き所』『話しの中心』など『話しの要点』に繋がる所が幾つも見当たります。
それこそ見所、聞き所が話しの最初にきたらシラケてしまわないですか?♪
自分の考えを通すのは自由ですが、日本語を間違って使っていると恥ずかしい思いをするのは自分ですよ(*^^*)
投稿: お触り禁止 | 2012年2月16日 12:08
お触り禁止 さん:
「見どころ、ききどころ、話の中心」と、「話の要点」とは違います。
情緒的、感覚的なものと、論理的なものという違いがあります。
>それこそ見所、聞き所が話しの最初にきたらシラケてしまわないですか?♪
いろいろな演目の「さわり」だけを集めたダイジェスト版みたいな CD がいくらでもあるぐらいですから、心配無用です。
投稿: tak | 2012年2月16日 17:26
> 話の中心となる部分
要点じゃん。馬鹿?
投稿: アンチ | 2012年9月 2日 11:57
アンチ さん:
同じ言葉を返しときましょう。
投稿: tak | 2012年9月 2日 20:10