記憶力というもの
今月初め、脳科学者の茂木健一郎氏がキング・オブ・サヴァンといわれるキム・ピーク氏を訪ねるというテレビ番組を見た。
キム・ピーク氏は映画「レインマン」のモデルになったといわれ、なにしろ、とてつもない記憶力の持ち主なのだが、ちょっと見は、かなりエキセントリックな人物である。
キム・ピーク(Kim Peek)氏に関する叙述は、Wikipedia の日本語版にはないようだが、英語版にはみつかった(参照)。かなり長いけれど、それほど難しい英語ではないので、彼について知らない人は、時間があったら読んでみていただきたい。英語を読むのが面倒くさかったら、一番手っ取り早いのは、こちらのサイトである。
なにしろ彼は、しょっちゅう町の図書館に通って、そこにある電話帳をすべて記憶しているのだという。
いや、彼の記憶しているのは電話帳だけじゃなく、これまで読んだ全ての本、経験したすべての出来事を詳細にいたるまで、まるで精密画像のビデオと、それを OCR しちゃったデータベース・システムのごとくに覚えているのだ。
しかし、この驚異の能力と引き替えするかのように、彼には日常的な能力が欠けている。自分でシャツのボタンも留められず、靴下もはけず、他の人とのコミュニケーションを普通にとることもできない。彼の能力を知らない人には、極度の自閉症にしか見えない。
この番組を見て、私は自分の記憶力について考えてみた。
実は私は、即物的な記憶力はかなり悪い。人の顔と名前を一致させて覚えるのが苦手だし、電話番号は語呂合わせにしなければ覚えられないし、同じ所に 3回行かないと道順を覚えられない方向音痴である。
逆に、一度会った人はすぐに覚えるという、営業マンにはかけがえのない能力を持ち合わせている人や、電話番号は何百件も記憶しているという人、一度行ったところの道順は明確に記憶しているという人も、私は何人も知っている。
私はこうした記憶を「即物的記憶」と呼んでいる。私はこの「即物的記憶」というのが、どうも苦手なのだ。
しかし、物事に意味を見いだし(あるいは与え)、それを抽象的に整理して覚えることは、自慢じゃないがとてつもなく得意である。だから私は物事の傾向を見定めて分類し、普遍的な意味に沿って脳みその中の引き出しに整理しておくというのは、とくに意識しなくても、日常的に常にやっている。
人の顔と名前を覚えるのが得意な人は、私のようなタイプをみると、「なんて物覚えの悪いやつ」と思うようだが、私からすれば、即物的記憶のみの発達して、それ以上の判断がからきしできない人と接するとイライラしてしまうということを、ここに告白しておく。
なまじ即物的記憶のいい人は、自分を「物覚えのいい人」と思っていて、あまつさえ「頭がいい」なんて思いがちでもあるようなのだが、それだけでは、決して「頭がいい」というわけじゃない。単なるカメラか録音機みたいなものである。それだけじゃ、やっぱり足りないのだ。
私にも即物的記憶の能力がまったくないわけじゃない。昔、繊維業界紙の記者をしていて、東京コレクションを毎シーズン取材していた頃は、その日見たファッション・ショーを、あたかもビデオで再生するように、脳内によみがえらせることができた。必要に迫られて鍛えられた能力である。
しかし私の脳内ビデオは、それを再現し、記事として文章化してしまうと、すぐに消滅してしまうのだった。即物的、映像的記憶は、文章化してメタフィジカルな「意味」に変換してしまうと、それによってほとんど上書きされてしまい、ボロボロになってしまう。
やっぱり、私は「即物的記憶型」の人間ではないようなのだ。
私のような人間でも、多分、潜在的にはものすごい即物的記憶力をもっているのだろうが、それに脳内リソースを取られすぎると、私の望むようなスタイルの日常生活がおくれなくなるので、敢えてその能力を制限し、次から次へと忘れてしまうようにしているのだろう。
そしてあまり忘れすぎるのも考え物なので、データを圧縮するごとくに、抽象的な「意味」として整理するということを学んだのだろうと思うのである。ただ、この圧縮された抽象的な記憶を、解凍して再現するのは至難の技で、圧縮の仕方にも各人のクセがあるので、なかなかやっかいなのだが。
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コメント
その圧縮の仕方こそが即ち「思想」なのでしょうね。サヴァン症候群の人たちみたいな無圧縮方式だとたぶん「思想」は生まれないと思います。
ただ、即物的記憶はどんどん機械に肩代わりしてもらえる時代なので、逆に少しはそちらにも脳内リソースを割いた方が良いのかも知れません。
同じ筋肉(=即物的記憶)ばかり鍛えすぎてもダメだけど、あまりに使わなすぎてもいけない、みたいな。
投稿: Adrienne | 2008年7月19日 13:52
私も庄内さんと似たタイプだろうと思います
たとえば海外旅行をするたびにパスポート番号を覚えられないのでゴソゴソとパスポートを取り出さねばなりません
過去の出来事も時系列的にはあまり覚えていなくて、時々必要に迫られる「何年の何月の出来事」・・・なんてほとんど覚えていません
う~~ん
なんとも情けない
これでは自分史などとても作れません(笑)
ただし私も方向音痴気味ですが、私の場合、ほぼ一回行けばOKです(笑)
しかし、電話帳など覚えるとは無駄な
せっかくの能力がもったいないですね
投稿: alex | 2008年7月19日 16:20
Adrienne さん:
>その圧縮の仕方こそが即ち「思想」なのでしょうね。
なるほど、「圧縮した結果」 が思想と思いがちですが、そうではなく、「圧縮の仕方」 も、確かに思想なんでしょうね。
あるいは、思想とは 「圧縮のプロセス」 だったりして。
投稿: tak | 2008年7月19日 22:45
alex さん:
パスポー番号とか、何月何日に何をしたとかは、ちょっとしたメモ (=外部記憶装置)にしておけばいいので、すべて脳内に記憶する必要はないですよね。
ただ、上の Adrienne さんがおっしゃるように、少しはそこに脳内リソースを割いておかないと、その部分が萎縮しちゃうかもしれません。
>しかし、電話帳など覚えるとは無駄な
>せっかくの能力がもったいないですね
これは多分、否応なしに入ってきちゃうというか、焼き付いちゃうんだと思います。
これって、「能力」 なのかどうか。
忘れる能力のない記憶力は、ブレーキの効かない車みたいなもので、かえって扱いにくいんでしょうね。
投稿: tak | 2008年7月19日 22:52
>少しはそこに脳内リソースを割いておかないと、その部分が萎縮しちゃうかもしれません。
そういう機能(単純記憶力)が貧弱だからと言って、困った経験がほとんど無いし、忘れてしまう事柄は結局、私にとって脳内で記憶する価値の無いものだと思っていますので、(これ以上に)萎縮しても平気です
言い換えれば、とても興味のあることなどはかなり記憶していますから、記憶できないことは興味が無いことなのかもしれません
投稿: alex | 2008年7月19日 23:35
この番組私も見ました。
私もどうやらこの即物的記憶ってやつが苦手な人で、自分の携帯番号とか相手に教える時なんかにもしどろもどろになるタイプです。一度頭の中で語呂合わせを数字に変換しながらじゃないと駄目なんで、もうつっかえつっかえになります(汗)
事象的な記憶(例えば嫁さんと初めてキスした日だとか)みたいなものが全然定着しないので、これはこれでなかなか困った事ではあるんですが、根付かないものは根付かないですね。で、どうやら”もの忘れな人”というレッテルになってしまっています。
女性って比較的こういうなんたら記念日みたいなものに強いような気がして、脳の使い方の違いがあるのかもしれませんね。
サヴァンの人達は、意味的記憶(言語的記憶)への変換プロセスがあまり発達しなかった為に記号的に記憶出来ているんでしょうね。うまく意味的記憶と即物的記憶を使い分けられれば、たしかこの事はあの本に書いてあったぞというときも本棚の中の目的の本をささっと取り出したり出来るんでしょうが。
パソコンやネットの検索性がもっとあがれば、ある程度はこういう即物的記憶をもっと補完してくれると思うのだけれど、こと個人的な生活の記憶に限ってはIT化はまだまだ進みそうもないのでなかなか生きづらい時間は続きそうです(笑)
投稿: きんめ | 2008年7月20日 05:59
alex さん:
私の場合も含めて、「記憶の偏食」 だったりするかもしれませんね。
少しはバランスを考えないといけないような気もしますが、少しぐらいバランスを失ったからといって、大した悪影響もないんじゃないかも思えます。
さて、どうなんでしょうね。
投稿: tak | 2008年7月20日 20:31
きんめ さん:
私も、自分の電話番号や車のナンバーさえ語呂合わせでないと覚えられないし、結婚記念日すらおぼろげです。
同じ傾向の人がいて、なんとなくほっとしています。
個人的記憶は、ひたすらメモに頼るしかないですが、どこにメモしたか忘れたりするんで、大変です。
最近は、大切なことはエクセルの一つのファイルにまとめるようにしています。
分野別に別のワークシートにしてますが、バラバラのファイルだと、探すのがえらいことになりますので、絶対に一つのファイルであることが肝要です。
その一つのファイルが外部に流出したら大変なんて言われますが、知られて困るのはキャッシュカードの暗証番号ぐらいのもので、その銀行口座だって大した残高があるわけじゃなし、まあ、大丈夫でしょう。
投稿: tak | 2008年7月20日 20:39