赤塚漫画よ、永遠なれ
水戸で一日仕事をして、夜遅く家路につき、日付が変わる前に当ブログの更新をしてしまおうと、国道沿いのスタバに寄った。
和歌ログ の更新を終えてちょっとニュースをのぞくと、赤塚不二夫さんが死去したという見出しが目に入った。ああ、ついに逝ってしまったのか。ふと力が抜けた。
私が最初に触れた漫画は、毎日新聞に連載されていた「フクちゃん」だった。その後、ロボット三等兵の前谷惟光や、山根赤鬼、青鬼を経て、ついに、小学校高学年の頃に、「少年サンデー」に連載されていた「おそ松くん」にたどり着いた。
私にとっての漫画は、ここまでである。ここから先には「ちびまるこちゃん」ぐらいしかないのである。
「おそ松くん」は素晴らしかった。当時、イヤミの「シェー」が正しくできない子は、恥ずかしい存在だった。単なるギャグ漫画だけでなく、「ひみつのアッコちゃん」もそれなりによかったし、さらに「天才バカボン」「もーれつア太郎」に連なるキャラは、ひとつの世界を作り上げていた。
ひとつの世界であるだけに、すべての作品のキャラが集まって登場しても、ちっとも違和感などない。れれれのオジサンや目玉のおまわりさんは、どの漫画のキャラでもいいのである。それだけでなく、当時の少年たちの共有財産だった。
私が今でも「黒っぽい漫画」、すなわち、アミやベタを多用した画風の漫画になじめないのは、ひたすら、赤塚漫画になじみすぎたためである。そう、赤塚漫画は絵に白いところが多いのだ。とてもあっさりしているのである。
そう、赤塚漫画で育った少年たちは、くどいのはイヤなのである。赤塚さん、本当に、くどいところなく、あっさりと逝ってくれたものだ。合掌。
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コメント
ローソクでも灯して・・・
投稿: alex | 2008年8月 3日 00:50
alex さん:
>ローソクでも灯して・・・
イグアナのタモリに…
投稿: tak | 2008年8月 3日 12:43