« 赤塚漫画よ、永遠なれ | トップページ | 夏バテを乗り切る呼吸法 »

2008年8月 3日

死刑制度では旗幟鮮明じゃない私

内閣改造で法務大臣になったばかりの保岡さんが、記者会見で終身刑について、「希望のない残酷な刑は日本の文化になじまない」 と否定的な考えを示したという (参照)。

「日本は恥の文化を基礎として、潔く死をもって償うことを多くの国民が支持している」と、死刑制度維持の考えなのだそうだ。

死刑問題については過去に何度か書いているが、私は基本的にはニュートラルな立場だ。だが意識的に中立的というのではなく、態度を決めかねていて、なんとも言いようがないというのが本当のところである。

「死刑制度を廃止せよ」との主張には、私は懐疑的である。ヨーロッパ諸国が死刑廃止しているから、日本もそうすべきだというような、なんだかわけのわからない議論には、軽々しくは乗りたくない。

だからといって、死刑制度が是非とも必要と思っているわけでもない。さらにもう少しテンションを下げて、死刑を必要悪とみているわけでもない。要するに判断がついていないので、結論的なことは何も言えないという立場である。

死刑廃止を求める主張がある一方で、死刑を積極的に求める被害者家族の会みたいなものもあって、先日のアサヒ素粒子の「死に神」問題に関しては、この会が私には違和感を覚えるようなロジックの抗議を行った。(この記事の最下段参照)

このあたりの問題に関して私は、自分がたとえ殺人被害者の家族であったとしても、声高に死刑を求めるようなことはしたくないという考えを表明している。以下にその参照記事へのリンクを列挙する。

死刑で罪は償えるのか死刑の 「目的」死刑をめぐる煩悶

整理してみると、私は決して死刑廃止論者ではないが、積極的に死刑を求めるわけではなく、それはたとえ自分が被害者家族の立場に立ったとしても変わらないということになる。それは、お前が実際にそうした立場に立ったことがないから言えるのだと批判されそうだが、それに対しては、上記の 3番目の記事で答えている。

今回の保岡法相のコメントでひっかかるのは、「日本は恥の文化を基礎として、潔く死をもって償うことを多くの国民が支持している」という部分だ。「潔く死をもって償う」というのは幻想であって、実際のところは一概には言えない。あくまでも個別の死刑囚のパーソナリティによる。

池田小殺人事件の宅間某のように、「おぉ、俺は死にたいんじゃ、さっさと死刑にしてくれ」と開き直るものがいると指摘するだけで、保岡氏の論理は取って付けただけのものとわかるだろう。

自分で自分をコントロールできず、自殺すらできない者が、国家の手で強制的に処刑してくれることを期待して凶悪事件を起こすという可能性すらある。こうしたケースでは、保岡氏が終身刑についていう「真っ暗なトンネルをただ歩いていけというような」「希望のない残酷な刑」を採用することが、図らずも凶悪事件の抑止効果となるかもしれない。

というわけで、私は相変わらず死刑という制度に関してはフラフラした立場である。早急に態度を旗幟鮮明にしすぎない方がいいと思っている。

【死に神問題】 解説
矢継ぎ早に「死刑執行の命令」を出した鳩山邦夫法相(当時)を、朝日新聞がコラムで「死に神」と揶揄したところ、「全国犯罪被害者の会」(あすの会)は「被害者遺族も『死に神』ということになり、我々に対する侮辱でもある」と抗議した。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

|

« 赤塚漫画よ、永遠なれ | トップページ | 夏バテを乗り切る呼吸法 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント


私も基本的に庄内さんと同じ立場です
どっちちかずです(笑)

絶対死刑とか、絶対に死刑は廃止とか、断言する勇気はありませんね
ただ、えん罪というものが現実としてある限りは、死刑が行われる事に不安を感じます
怖いですよ

ただ、最近の無差別殺人とか、白日の公衆の目前での犯行であって、えん罪の可能性が皆無である事件での死刑に関しては、処刑されてもいいかな・・・と思っています


投稿: alex | 2008年8月 3日 16:14

alex さん:

>ただ、最近の無差別殺人とか、白日の公衆の目前での犯行であって、えん罪の可能性が皆無である事件での死刑に関しては、処刑されてもいいかな・・・と思っています

私も同感ですが、宅間某のように、「早う死刑執行せいや!」 なんて言うやつは、できるだけぐずぐずと、できれば獄内で寿命を全うするまで死刑執行しないで生き延びさせて、ちょっと意地悪してもいいかなと思ってます。

そのうち、少しは考えも変わるかも知れないし。

ところが、こういうやつに限って、1年足らずで死刑執行されています。よくわからない世界です。

投稿: tak | 2008年8月 3日 19:16

“血の池”、“針の山”様々ありますが、アタクシが『出来ることなら経験したくない』地獄…。

“無間地獄”

三食バストイレ付き(最低限度の人権として)でも、全くのコミュニケーション謝絶状態を作り出すことが出来るのなら、死刑よりも厳しいと思います。当然季節感も日の光も一切なしです。

でも、税金から賄われることを思うと、もったいないなぁ。

投稿: オッチャン | 2008年8月 4日 12:34

オッチャン:

倉庫の二階の「オールナイトチョメチョメ」で聞いた情報によると、未決拘留期間中は、面会や手紙を出すことなどがかなり自由のようですが、刑が確定して禁固期間に入ってしまうと、なかなか不自由になるようです。

とはいえ、外部との連絡がまったく取れないというわけでもなく、屋外での運動もできるらしいので、無間地獄というわけではないようです。

ご安心ください。
(何が?とつっこまれそう ^^;)

投稿: tak | 2008年8月 4日 14:36

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 死刑制度では旗幟鮮明じゃない私:

« 赤塚漫画よ、永遠なれ | トップページ | 夏バテを乗り切る呼吸法 »