「特攻機のボイスレコーダー」 の教訓
28日付の「特攻機のボイスレコーダー」という記事は、意外な展開を見てしまった。先方の該当記事が削除されてしまったのである。私は攻撃したつもりは毛頭ないんだがなあ。
当初は、先方のブログの管理人さんが、後世の創作物(ドラマか何か)の録音を勘違いされたんだと思ったのだが。
ことの顛末を手短に記そう。
あるブログ(今となっては、あえてリンクしない)の、今は削除されてしまった「戦争の真実」という記事に、自衛隊基地内の一般公開されていない「資料館」を、特別に紹介してくれる関係者がいたおかげで見学することができたという記述があった。
その記述によると、太平洋戦争末期の特攻隊が搭載していた「ボイスレコーダー」が奇跡的に回収され、それがガラスケースに入れられて陳列されていたというのである。そして、直接ではないが、ダビングされた録音でその内容を聞くことができた。
その録音は発進基地での出撃前のセレモニーの様子から始まっていたという。プロペラの音がして、最後の激突の衝撃音の前に、特攻隊員が 「おかあさん」と言う声が、確かに録音されていたというのである。
この記事の筆者は、それ以上のことに言及しているわけではない。「あの戦争で死んだ兵士はみな、最後に『天皇陛下万歳』なんて叫んだのではなく、『おかあさん』と叫んだのだ」という都市伝説を強弁しているわけでもない。ただ、この録音を聞いて感動したという慎ましい記述である。
確かに感動的な記事である。しかし、へそ曲がりな私は、ついこの記事に疑問を抱いてしまった。太平洋戦争末期の特攻機に、ボイスレコーダーなんて搭載されていたはずがないじゃないかという疑問である。しかし、28日の時点ではその辺りの調べが不十分だったので、「にわかには信じられない」と書くにとどめておいた。
私の 28日の記事には、ちょっとした数のコメントが寄せられ、私自身も録音技術の歴史などを調べてみた結果、当時の飛行機に録音機器が搭載されていた可能性はほとんどないということがわかった。
そういえば当時の録音技術なんて、あの玉音放送ですら音盤録音だったのである。しかも、たかだか 5分間の玉音が 1枚の音盤に収まりきれず、2枚になったぐらいである。そんな時代に、戦闘機に録音機器を搭載するなんてできるはずがなかったのだ。
結論を言おう。太平洋戦争末期の特攻隊員が、自身の乗った特攻機に積載された録音機に自分の最期の声を録音したという可能性は、ゼロである。だから「戦争の真実」 という記事は、何らかの勘違いか、そうでなければ何らかの意図による作り話であると断定せざるを得なくなったのである。
この奇妙な顛末から導かれる教訓を、以下に記そう。
まず、今のハイテク時代の常識は特殊なもので、いくら最近の歴史でも、そのまま適用してはとんでもない勘違いをしてしまうということだ。いくら近い過去にあたる歴史でも、ハイテク時代の常識で作り話をすると、すぐに破綻するのである。
もう一つの、そして最も大切な教訓は、まこりんさんのコメントの言葉を借りれば、「歴史はこのようにして物語化される」ということだ。そして、いわゆる「歴史」の中にも、多くの「物語」が混入していないはずがないのである。我々は歴史を読むときには、せいぜい行間を読み取らなければならない。
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