父方の祖父のこと
昨日付で、私には祖父母が 3人ずつ、合わせて 6人いるということを書いたが、この 6人すべてに会ったことがあるわけではない。
会ったことがあるのは、実家の (血のつながりのない) 祖父母と父方の祖母の 3人だけである。母方の祖父母と父方の祖父は、私が物心つく前に亡くなっていた。
で、3人の祖父のうち、私が毎日顔をつきあわせていた実家の、血のつながりのない祖父は、まあ、大酒飲みだけが取り柄のお人好しのじいさんだったのだが、父方と母方の祖父というのは、なかなかに偉い人であったようなのだ。
父方の祖父は曹洞宗の和尚だったというのは昨日もちょっと触れたが、母方の祖父は地元ではちょっとは名の知れた俳人だったらしい。私の身体の中には、宗教者と文芸人の血が流れているというわけだ。
で、今日は父方の祖父である和尚さんについて少し書いてみようと思う。
父方の祖父は金銭欲、名誉欲の全然ない人だったらしい。「そりゃ、坊さんなんだから当たり前」 と言われるかもしれないが、決して当たり前じゃない。それは、廻りを見ればわかることだろう。世の中には欲丸出しの坊さんがずいぶん多いじゃないか。
私の父は、「俺の父親は、好んで貧乏した人だった。坊主は貧乏でいいんだという考えの人だった」 とよく述懐する。曹洞宗の総本山である永平寺で長年修行して、坊さんとしての位は結構高かったらしいが、わざわざ選んで田舎の貧乏寺の住職になった。
お経を読ませたら皆がうなるほどの朗々たる名調子で、近所のお寺の坊さんも、「あんなにお経の上手な人はいなかった」 と述懐する。それに、「慈悲喜捨」 を絵に描いたような人で、自分の寺がいい加減貧乏なのに、困った人があれば自分を捨てても助けようとする。
とにかく、毎晩水分の方が多いみたいなトロトロのお粥しか食えなかったのだが、ある日、近所のもっと貧乏な家の人が 「今夜食う米がない」 と泣きついてきたらしい。すると、和尚は炊きたてのそのお粥を釜ごと、「持ってけ」 と言って与えてしまった。
驚いたのは私の父を含めた家族である。そのお粥を人にあげてしまったら、今度は自分の家で食う米がない。「いくら坊主でも、なんてことを……」 と思ったが、和尚は悠々たるものである。「心配するな。坊主は托鉢すればその日の米は手に入る」 と言って、しばらく外出したかと思うと、少しばかりの米をもって帰ってきたという。
まあ、永平寺で修行してた頃から、托鉢には慣れていたということなんだろうが、見事な話である。
この祖父が亡くなったのは、私の生まれる前のことである。亡くなったとき、近郷近在の曹洞宗の寺の和尚が集まって、「世の中に坊主は多いが、彼こそは、本当の坊主だった」 と、口を極めて賛嘆してくれたという。
祖父は冗談に 「俺が死んだら、戒名は 『一生貧乏残念居士』 と付けてくれ」 と言っていたという。しかし、父は 「とんでもない、ありゃ 『一生貧乏満足居士』 だよ」 と、今でも言う。
というわけで、私は父方の祖父に直接会ったことはないが、その系譜にあるというのは内心とても誇りに思っている。私如きは祖父にも父にも敵わんと思っているのだが、できれば少しは近づきたいと思うのである。
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コメント
>祖父は冗談に 「俺が死んだら、戒名は 『一生貧乏残念居士』 と付けてくれ」 と言っていたという。しかし、父は 「とんでもない、ありゃ 『一生貧乏満足居士』 だよ」 と、今でも言う。
最高です!到達したい…。
到底おじい様の境地には至らぬことと思いますが、おじい様とお父様の間柄は、なんとも温かい!
そのご薫陶、心の糧にします!ご紹介ありがとうございました。
投稿: オッチャン | 2008年9月26日 13:01
オッチャン さん:
コメント、ありがとうございます。
まさにそういうわけで、私は祖父と父のレベルにはなかなか達せられない気がしているわけなのです。
投稿: tak | 2008年9月28日 21:00