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2008年9月28日

特攻機のボイスレコーダー

24日付で "「天皇陛下万歳」か、「おかあさん!」か" という記事を書いた。「実は、兵士はみんな、『おかあさん!』 と叫んで死んだのだという「都市伝説」への疑問である。

この「最強のセンチメンタリズム」をもっともらしく主張する人を、私は信用しないと書いたのである。

インターネット上に、自衛隊基地内部にある原則非公開の「資料館」で、「特攻でアメリカ軍に突撃していった戦闘機から奇跡的に回収されたボイスレコーダー」に録音された特攻隊員の声を聞いたという話がある。

それは、「戦争の真実」というブログ記事だ。

その記事には、「テープの最後に残された激突時の衝撃音。その音の直前にはっきりとおかあさん!という声が入っていた」 (改行調整済み) とある。

このブログの管理人がでたらめを書いているとは思えない。また、「兵士はすべて『おかあさん!』と叫んで死んだ」というような極論を述べておられるわけでもない。しかし、私は自分自身の知識不足からと思うのだが、とても割り切れない感想を抱いてしまった。

まず、太平洋戦争末期において、ボイスレコーダーが使用されていたのだろうかと、疑問に感じたのである。この疑問に直接答えてくれそうな記述は、残念ながら発見できなかったが、Wikipedia で「ボイスレコーダー」を調べると、次のような記述があった (参照)。

この機器は、古くはエンドレス・テープレコーダー(始点と終点の無い輪になったテープを巻いて用いる)を密閉容器に組み込んだ物であったが、磁気テープが熱に弱く、また長時間利用すると劣化しやすい事から、近年ではフラッシュメモリーを発泡樹脂で包んで記憶媒体とし、(以下略)

つまり、フラッシュメモリーが開発される前は、テープレコーダーを使用していたということだ。では、テープレコーダーはいつ頃から実用化されていたのかと、また Wikipediaで調べると、ちょっと長くなるが、次のようにある (参照)。

この磁気記録の媒体をより扱いやすく耐久性のあるプラスチックテープにしたのは、ドイツ人のフロイマー(Frits Pfleumer)で、1928年に原型を完成した。以後電機メーカー・AEGの手で改良され、1935年に「マグネトフォン(Magnetophon)」の名で市販されたものの音質が悪かった。

その後、化学メーカーBASF社の協力によるテープ材質の改良(アセテート樹脂)と、1938年の永井健三、五十嵐悌二による交流バイアス方式の発明で、1939年~1941年までに音質が飛躍的に改善され、実用に耐える長時間高音質録音が可能となった(電気録音)。

この結果、第二次世界大戦中にはドイツの対敵放送に有効活用され、フルトヴェングラー指揮によるベルリン・フィルの演奏もテープ録音された。

この記述からすると、太平洋戦争末期の日本軍の戦闘機に、貴重品であるテープレコーダーが搭載されていたとは、にわかには信じられないのである。何しろ物資不足で、ボルトの本数までけちって組み立てたという、哀しい戦闘機にである。

いや、もしかして 1939年~1941年までの間に飛躍的に進んだという技術開発で、1945年頃の特攻実施時期までに、テープレコーダーは戦闘機のボイスレコーダーとして広く採用されるまでに普及していたのかもしれない。それは否定しきれない。

しかし、敵艦に激突することが目的の特攻機に、ボイスレコーダーは不要である。ましてや、航続距離を伸ばすために、少しでも無駄なものは積まないようにしていたという特攻機に、当時貴重であったはずのボイスレコーダーを搭載していたとは、これまた、にわかには信じられないのである。

私はここでは「にわかには信じられない」としか言えない。この疑問が私の無知故のことでしかないことを願う。どなたか、「なんだ、お前はそんなことも知らなかったのか」と指摘してくれたらありがたい。

【追記】

陰でコソコソ言うのは嫌いなので、紹介したブログ記事にトラバを送ろうとしたが、どうも先方はトラバを受け付けていないようなのだ。どうしたものかなあと思ったが、コメントでお知らせ申し上げた。

 

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コメント

コメント拝見いたしました。
まず、ボイスレコーダーの件については、
私が「ボイスレコーダー」という表現を使っただけで、実際に戦闘機に搭載されていたかは定かではありません。飛行機に搭載された録音機器、という表現の方が正確だったのかも知れません。
また、私が聞いたのはその録音された物本体ではなく、おそらくダビングされた物なので、どのような機器で録音されたかどうかも、わかりません。
そんな、いい加減な知識で公開されるブログを書くな、というお叱りを受けるかも知れません。
私が言いたかったのは、特攻の命を受けてなくなっていた方の中に、最期の瞬間「おかあさん!」と叫んだ方がいたのだという事実。もちろんお国のためにと使命感を持って、自らの死も厭わず戦った方もいらっしゃるのでしょう。
どんな出来事も一面だけでは語ることができない、そこに存在する人の数だけのそれぞれの真実がある、ということです。
ですから、貴ブログでも仰っているように全ての兵士が「おかあさん!」と叫んだと言っているわけではありませんし、第一「天皇陛下」か「お母さん」かという論争があることすら知らなかったのですから。
私の書いたことは、私が聞いた、見た事実です。
繰り返しますが、私は戦争に対しての批判を述べたかったわけではありません。巡り合わせで知ることになった「ひとつの真実」を伝えたかっただけなのです。
貴殿の質問にお答えできたかどうかは分かりませんが、
私自身は、私のブログによって人の思想を扇動しようと思っていたわけではない(もちろんそんな力はありませんが)ことを、ご了解いただけたら、と思います。

投稿: ななこX | 2008年9月28日 21:52

毎日楽しみに拝読しております。記事に関係ないのですが、Safariで閲覧していますが、今日の一撃の窓内の記事が新しい物になりません。
ずっと「「天皇陛下万歳」か「おかあさん!」か」のままなのです。
こちらの不調なのでしょうかー。

投稿: Macユーザー | 2008年9月29日 01:07


私は敗戦時、幼児だった、いわば戦中派のひとりです

果たして死に行く兵士が「天皇陛下 バンザイ!」土佐犬だのか?または「お母さ~ん」と叫んだのか
私はどちらもありだと思います
「天皇陛下 バンザイ!」で死んでいった兵隊も多かったと想像します
そういう事を強制された時代でしたから

ただ、現在の日本で自衛隊員が同じような状況にあったとして「天皇陛下 バンザ~イ!」などと叫ぶはずはありませんよね
いかに戦前の天皇崇拝の強制がすごかったかです
天皇陛下を直接見ると目がつぶれるとか言われ、学校には必ず昭和天皇の写真(ご真影)が飾られ、毎朝、それを全員が拝んだ時代です
あの時代、天皇は正に現人神、あらひとがみでした
この現代で、正気の沙汰ではありませんでした
ほんの数十年ちがうだけですから、日本は果たして今の北朝鮮を笑えるものでしょうか?

そういう時代背景ですから、まして悪名高い日本軍の中での事ですから「天皇陛下 バンザイ!」と叫んで死んでいった兵隊も多い
それは確かだろうと思います
少なくとも「天皇陛下の御ために!」と言う事でみなは戦場に狩り出されたのです

そうして、それを知りながら昭和天皇は戦争責任を問われる事もなく、自ら戦争責任にふれる事もなく、退位もせず、国民に畏敬?されながら崩御されました

ノブリス・オブリージなんて言葉は日本にはありませんからね
西洋とちがって、日本の総大将は安全な戦線の最後尾で指揮を執る

日本ではだから不祥事があってもトップが責任をとる事は無い
下級役人が自殺するなどの、トカゲのシッポ切りで決着がつく

第二次世界大戦でもどれだけ多くのB級・C級戦犯が処刑されたか


投稿: alex | 2008年9月29日 08:06

ひとつだけ、事実。
1966年に起った全日空羽田沖墜落事故、乗員乗客133人全員死亡で当時世界最悪の航空機事故になってしまったのですが、生存者なし、機体もばらばらで海の底、と、事故原因はいよいよ不明のままで調査が終わったそうです。
当時はどの旅客機にもボイスレコーダーなどは搭載されていなかったので、墜落事故の原因をつかめるのは容易でなく、有名な「もく星号墜落事故」をはじめ、66年以前の大きな航空機墜落事故のほとんどが「原因不明」。
しかし、この事故を契機に日本では、全ての飛行機にボイスレコーダーとフライトレコーダーの装備がようやく義務づけられ、以降、航空機墜落事故の全容が掴めるようになり、空の安全が一気に高まった、と、そんな空の歴史があるのだそうです。
と、考えると、それを先駆けること二十年以上前、ボイスレコーダー(――のようなもの)が物資不足の戦争末期のしかも使い捨ての特攻隊に搭載されていたというのは、ちょっと眉唾だなあ、というのがわたしの意見ですが、はたして真実はどうなのでしょうね。

投稿: まこりん | 2008年9月29日 09:30

ななこX さん:

さっそくのレス、ありがとうございます。

ただ、申し訳ないんですが、それでも私の疑問は晴れないのです。

>私が「ボイスレコーダー」という表現を使っただけで、実際に戦闘機に搭載されていたかは定かではありません。飛行機に搭載された録音機器、という表現の方が正確だったのかも知れません。
>また、私が聞いたのはその録音された物本体ではなく、おそらくダビングされた物なので、どのような機器で録音されたかどうかも、わかりません。

「どのような機器で録音されたかどうかも、わかりません」 とのことですが、あなたは、実際の録音機器をご覧になったのではありませんか?
下のように書いていらっしゃいますね。

>それは
>これから特攻でアメリカ軍に突撃していった戦闘機から
>奇跡的に回収されたボイスレコーダーである。
>実物はガラスケースの中に保管されていたが、
>テープレコーダーにダビングしたものを聞かせてくださった。

恐縮ですが、論理に混乱があるように思えます。

あなたの記述を読みますと、聞かれた録音は、特攻隊員が飛行機に乗り込む前の、セレモニーのようなところから始まります。

ということは、仮に当時、録音機器が普及していたということを前提とすると、その特攻隊員が飛行機の外部から持ち込んだものと考えざるを得ません。

その特攻隊員は、自分の最期を録音して残すために、見咎められることもなく、そんなにかさばって重い物を、機内に持ち込んだのでしょうか。

それは、かなり大きな重い機器だったでしょう。私が小学生当時 (昭和 30年代)、テープレコーダーは教科書を一杯に詰めた通学鞄より重い物でした。

それより10年も前ですから、おそらく 10kg 以上あったでしょう。

そして、激突の衝撃と熱からテープを守るためには、相当丈夫で断熱性のあるパッケージが必要でしょうから、それよりもまたずっと重い物であったはずです。そうでなければ、ペラペラの録音テープは焼けるか溶けるかしてしまいます。

テープレコーダーを衝撃と熱から守るというだけのために、貴重な資源を使用したのでしょうか?

軍需物資や兵器を作るために、日本中の家庭から鍋釜鉄瓶などを供出させていた時代にですよ。

というわけで、まだ私は素直に信じられないでいるのです。

>私が言いたかったのは、特攻の命を受けてなくなっていた方の中に、最期の瞬間「おかあさん!」と叫んだ方がいたのだという事実。もちろんお国のためにと使命感を持って、自らの死も厭わず戦った方もいらっしゃるのでしょう。
>どんな出来事も一面だけでは語ることができない、そこに存在する人の数だけのそれぞれの真実がある、ということです。

これについては、とても共感します。

私が疑問に思っているのは、特攻隊員が録音機器を特攻機に持ち込んだのかという一点だけなのです。

投稿: tak | 2008年9月29日 10:24

上のななこXさんのコメントを読んで思ったのですが、この録音された特攻兵の音声というのは、戦闘機に積み込まれたボイスレコーダーではなくて、
特攻の瞬間、兵士が無線機に叫んだ音声を、周辺の機体が偶然拾って録音したものという可能性はどうでしょうか?

飛行機なら無線は必要ですし、周辺にいるのは米軍の戦艦等ですから、そちらならテープレコーダーを載せていても不思議ではないと思います。

それに、「日本軍が特攻機の残骸からテープを回収しに行く」よりも、
「特攻を退けた米軍が、戦闘中に受けた謎の日本語の無線音声を、解析に回すためテープを持ち帰った」という方が合理的に感じます。

ただ、何故そのテープが自衛隊内部にあるのかは謎ですが、
そもそもレコーダーが軍物ではなく、従軍記者の所有品であったとすれば、この辺も説明が付くと思います。
(従軍記者がそんな前線にいるのかは分かりませんが)

投稿: セイ | 2008年9月29日 10:29

Macユーザー さん:

いつもお読み頂き、ありがとうございます。

>今日の一撃の窓内の記事が新しい物になりません。

24日から 28日夜まで、インターネット接続ができなかったため、ココログに予定稿をアップしておき、この間は自動で更新されるようにセットしました。

その間、本宅サイトのトップページは更新できませんでしたが、あなたのコメントを寄せてくださった時刻には、久しぶりの更新を終えていたと思います。

もしかしたらキャッシュが効いているのかもしれませんので、メニューバーの 「表示」‐「ページの再読み込み」をクリックしてご覧ください。

投稿: tak | 2008年9月29日 10:40

alex さん:

>果たして死に行く兵士が「天皇陛下 バンザイ!」土佐犬だのか?または「お母さ~ん」と叫んだのか
>私はどちらもありだと思います

私もそう思います。人生いろいろですから。

>ただ、現在の日本で自衛隊員が同じような状況にあったとして「天皇陛下 バンザ~イ!」などと叫ぶはずはありませんよね

いや、中にはいると思いますよ。
やはり人生いろいろですから、かなりハードなやつもいます。

ただ現実として、今となってはそういう状況はそうざらにはないと思いますが。

>そうして、それを知りながら昭和天皇は戦争責任を問われる事もなく、自ら戦争責任にふれる事もなく、退位もせず、国民に畏敬?されながら崩御されました

私は、戦争開始の原因は軍部の暴走にあると思っています。天皇は名目的には軍においても最高責任者ですが、立憲君主制 (limited monarchy: 制限された君主制、即ち、絶対君主制ではない) の元に、強権発動は行わなかったとみられます。

天皇は、軍部の始めた戦争を、御前会議で止めた (最初で最後の強権発動?) という功績の方が大きいとみることもできます。

御前会議では、戦争継続派とポツダム宣言受諾派が同数だったため、最後に天皇陛下のご英断を仰いだということになっています。

ということは、そういう切羽詰まった状況でもない限り、天皇が自在に国や軍を操ることはできないシステムになっていたと考えるのが自然です。

最後の最後まで軍部の暴走を容認した責任と言われれば確かにそれまでです。ただ、alex さんのおっしゃる 「自ら戦争責任にふれる事もなく」 というのは、公式記録ではその通りですが、私的な記録には残っているようです。

天皇は十分に 「自らの戦争責任」 を自覚されてはいたものの、それを公に表明することを許されなかったのだと、私は解釈しています。

投稿: tak | 2008年9月29日 11:06

まこりん さん:

事実に基づいたご指摘、感謝です。

他の可能性は否定し切れませんが、少なくとも当時、ボイスレコーダーはありえなかったと結論づけてもいいと思いますね。

投稿: tak | 2008年9月29日 11:09

セイ さん:

>特攻の瞬間、兵士が無線機に叫んだ音声を、周辺の機体が偶然拾って録音したものという可能性はどうでしょうか?

>特攻の瞬間、兵士が無線機に叫んだ音声を、周辺の機体が偶然拾って録音したものという可能性はどうでしょうか?

>飛行機なら無線は必要ですし、周辺にいるのは米軍の戦艦等ですから、そちらならテープレコーダーを載せていても不思議ではないと思います。

その説では、出撃前のセレモニーまで録音されていたということの説明がつきませんね。

>そもそもレコーダーが軍物ではなく、従軍記者の所有品であったとすれば、この辺も説明が付くと思います。
>(従軍記者がそんな前線にいるのかは分かりませんが)

従軍記者が、当時のごっつくて重いテープレコーダー (小型化されたのは、ずっと後の時代ですから) を担いでいたとは、到底思えません。

投稿: tak | 2008年9月29日 11:16

自己レス 失礼。

玉音放送に使われた機器を製造した 「日本電気音響株式会社: 電音」の後身、Denon の Denon Musium というサイトに、日本の録音の歴史が記されているのを見つけました。

http://denon.jp/museum/history_enban.html

それによると、テープ録音が日本で本格的に開始されたのは、1951年以後のことのようです。終戦から 6年後のことです。

Wikipedia によると、玉音放送ですら音盤 (レコード型) に録音する方式だったようで、そのため、1枚の音盤に収まりきれずに、2枚に分かれていたとのこと。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%9F%B3%E6%94%BE%E9%80%81

「この録音盤は1枚で3分間しか録音できず、約5分間分の玉音放送は2枚に渡って録音された」 とあります。

5分間の玉音放送ですら、わざわざ 2枚の音盤に分けざるを得なかったという時代に、特攻機に超貴重なテープレコーダーを搭載したとは、到底考えられません。

ましてや、音盤型録音機を戦闘機に搭載して録音することなどは不可能です。

というわけで、私としては、ななこX さんの聞かれた 「録音」 は、後世のドラマか何かの録音ではなかったかと思わざるを得ないという結論に達しました。

太平洋戦争末期は、「録音」 というのはそんなに簡単に行えるものではなかったようです。

>特攻の瞬間、兵士が無線機に叫んだ音声を、周辺の機体が偶然拾って録音したものという可能性はどうでしょうか?

>飛行機なら無線は必要ですし、周辺にいるのは米軍の戦艦等ですから、そちらならテープレコーダーを載せていても不思議ではないと思います。

上記は セイ さんのコメントからの抜粋ですが、調べてみると、当時ゼロ戦に搭載されていた無線機は、あまり使い物にならず、身振り手振りや小さな黒板に書くことで、編隊内でのコミュニケーションをしていたようです。

http://landinggear.hp.infoseek.co.jp/zero/reisen/zero.gisou.htm

「周辺にいるのは米軍の戦艦等ですから、そちらならテープレコーダーを載せていても不思議ではないと思います」 というのも、当時の戦艦がテープレコーダーなんて載せていたら、「不思議じゃない」 どころか、「奇跡」 ですね。

今の便利なハイテク時代の常識で戦時中のことを考えると、とんでもない錯覚に陥る危険性があります。

投稿: tak | 2008年9月29日 13:28

すいません。
リンク先のブログを読まずに、takさんの記事だけを読んで、思いついたまま書き込んでしまいました。

投稿: セイ | 2008年9月29日 14:46

続きです
お昼のtakさんのコメントを受けて自分で調べてみたのですが……

…上でtakさんが自己レスしてるものとほぼ同じ内容です。
あの時代、テープ録音はありえないですし、アコースティック録音にしても無理がある内容でしたね。

ですから私もテープの内容は後世の人による物と思いました。
人魚のミイラみたいな継ぎ接ぎかも知れませんね。

自分の無知と妄想でコメント欄を汚してしまい、申し訳ありませんでした。
不快でしたら私のコメントは削除してください。

投稿: セイ | 2008年9月29日 15:20

ラジオドラマ全盛の昭和30年代、各ラジオ局には本物よりも本物っぽい効果音を作り出す「音屋」がいたそうです。
文化放送の玉井和雄氏が効果音を担当したラジオドラマ「戦艦大和」(昭和40年)の砲声は、大和の関係者の多くが本物の砲声だと勘違いするほどの見事な完成度だったそうです。
今でもまことしやかに「あの大和の音」として遺族の涙を誘っているのだとか。
そんな話をふと思い出しました。歴史ってこんな風に都合よく物語化されていくんだなあ、と。

投稿: まこりん | 2008年9月29日 16:54

ちなみにラジオドラマ全盛期の作品は初期は円盤録音、次第にテープ録音に移行したそうですが、NHKは「テープ代がもったいない」とのことでせっかく録音したテープを次々上書きして、現存はほとんどないそうです。あの「君の名は」ですら第一回と最終回ぐらいしかないとか。

投稿: まこりん | 2008年9月29日 17:03


tak-shonai さん

トップの責任というものは、実際に直接的にその過失を自ら手を染めて犯さずとも、ただその組織のトップの地位にいたという事だけで問われるものなのです


投稿: alex | 2008年9月29日 17:55

>alexさん

>トップの責任というものは、実際に直接的にその過失を自ら手を染めて犯さずとも、ただその組織のトップの地位にいたという事だけで問われるものなのです

 それはとても正しい論理だと思います。
 無知であることを承知で書くのも愚かかもしれないとは思いますが、しかしながら昭和天皇も含め”天皇”という職を退位する事が認められているのかどうかが私には分からない所です。
 意志をもって存命中に退位が可能であれば、まさしくalexさんの言われることに理があると感じます。GHQは戦後日本の復興の為に天皇制を残したと聞きますので、GHQの意向の元、その責任は無かった事にされたのでしょうね。
 戦後の復興が終わった時期に、もし自身の戦争責任について思う所があったのならば、退位が可能であれば、”自身の戦争”について語る事が許される時代になっていたとは思います。皇太子のご成婚以降であればそれは可能であったのではないかという事を。

 大変、考えさせられました。

投稿: きんめ | 2008年9月29日 23:50

セイ さん:

>ですから私もテープの内容は後世の人による物と思いました。

と、結論づけざるを得ませんね。

ただ、録音が 「創作」 であったとしても、その表現したい意図はわかるような気がします。

投稿: tak | 2008年9月30日 00:21

まこりん さん:

>歴史ってこんな風に都合よく物語化されていくんだなあ、と。

物語化して、歴史は初めて残るのだともいえそうです。
歴史こそ行間を読まなければいけないような気がしてきました。

投稿: tak | 2008年9月30日 00:23

alex さん:

>トップの責任というものは、実際に直接的にその過失を自ら手を染めて犯さずとも、ただその組織のトップの地位にいたという事だけで問われるものなのです

昭和天皇ご自身は、そのことをよくわかっておいでだったと思います。

歴史として残されているのは、そうした次元から離れた高度に政治的な動きのようです。

投稿: tak | 2008年9月30日 00:27

きんめ さん:

天皇という存在は、徹底的に 「受け身」 としての長い長い歴史があるのだと思います。

西欧的 「ノブレス・オブリージュ」 とは全然別の文化ですので、それをして 「責任回避」 ということはできないと思うのです。

天皇論は書き出したらきりがない (理論的結論もない) ので、ここではこの程度にとどめたいと思います。

投稿: tak | 2008年9月30日 00:33

ボイスレコーダーってねえ…。
眉唾な話だなあと感じましたが、takさんのようにきっちり調べもしないでコメントするのもどうかと思っておりました。
「おかあさん!」というか「天皇陛下万歳!」っていうかどうかなんて。
ななこXさんの記事は削除されてるようだし、「『天皇陛下万歳』なんてだれもいわないよ」ということにしときたい、そういうふうに操作したい人がいるんだろう。
自分じゃあなんてゆうか。
「おかあさん!」っていわなくてもいいんじゃないか?
カミサンでも子どものなまえでも愛人でもいいし、ぼくだったら「ぶっころしたる!」とかなんとかいってそうですよ。
なんで「おかあさん」にしたがるのか分からん。
「天皇陛下万歳!」のどこがいかんというのでしょうかねえ。

投稿: osa | 2008年9月30日 02:17

tak-shonai さんときんめさんへ一言だけ

たしかに天皇という地位はご自分ではいかんともしがたい色々な縛りがあるものだという事は十分承知しているつもりです

しかし、敗戦からサンフランシスコ平和条約締結までの時期は、GHQの完全な支配下にあり独立国ではありません
特に敗戦直後はそれまでの憲法・諸法規もいわば機能停止して空白の超法規的状況だったと私は認識しています
この時期においては天皇退位も可能であったでしょう
また、天皇の退位を望む声も多かった
米国国内では天皇の戦争責任を問う声が非常に多かった
とにかく日本は歴史放初めて敗戦して武装解除された状態なのですから特殊な状況であった

ノブリス・オブリージが欧州の封建制度下のもので、即、日本に適用できるものでないことは私もわかっています
しかし、トップの人間が責任を取らないでどうして数百万人の犠牲や敗戦という未曾有の事態の決着をつけることができるのか?
そこが私には納得が行かないところです

ひとつには私のような戦争体験のあるものと戦後の年代との心情的な違いもあるのかも知れません

最後ということですので、返答は不要です


投稿: alex | 2008年9月30日 03:23

osa さん:

>ななこXさんの記事は削除されてるようだし、

あれ、本当だ。
私はななこX さんの記事に疑問を呈しただけで、攻撃したつもりはないんだがなあ。

もしかして、尻馬に乗った変なコメントがついちゃったりしたのかなあ。
昨日、私が確認した時点では、そんなことはなかったんだけど。

別に削除しなくても、後でよく調べてフォローしてくれればよかったのに。

投稿: tak | 2008年9月30日 09:12

alex さん:

返答は不要ということですが、一つだけ。

あの頃、日本国民の多くが、天皇の退位を望まなかったという、不思議なメンタリティを、私は重く捉えています。

夢から覚めても、天皇が悪夢の元凶とは思わなかったのはどうしてなのでしょうか。

まだ夢から覚めきっていないと捉えるべきでしょうか。
あるいはまた、別のメンタリティがあるのでしょうか。

このあたりが、日本人論、天皇論の理論的結論が出にくいところです。
(なにしろ、日本人、理論で動かないので ^^;)

投稿: tak | 2008年9月30日 09:20

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