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2008年9月27日

母方の祖父のこと

私は父方の祖父と同様、母方の祖父にも会ったことがない。ずいぶん早死にしてしまった人のようだ。

母方の家は印刷業を営んでいて、当時、田舎ではなかなか羽振りがよかったらしい。父方が田舎の貧乏寺だったので、経済的にはえらい違いである。

二日前にも書いたように、私の母はこの羽振りのいい家で生まれたものの、今から思えばずいぶん乱暴ないきさつから、私の実家の養女になった。私の実家の祖父母は貧乏人だったが、母の生まれた家から経済的な援助があったのかどうか、私は知らない。

それについては聞いてみたこともないが、印象としては、たとえ援助があったとしても、大したものではなかったと思う。何しろ、我が家はかなり貧乏だったから。

で、今日の本題の、母方の祖父の話に移る。

と言っても、私は母方の祖父は私が生まれる前になくなっているから、まったく縁遠い。どんな人だったかも知らない。ただ一つの手がかりは、祖父が亡くなって 16年後に縁者たちが出版した「句集」である。自費出版だが、なにしろ家業が印刷屋だから、お手の物である。

その句集に寄せられた「故人の思い出」のような文章を読むと、祖父はなかなかの文才で、若い頃から全国紙の俳句欄に投稿して、しょっちゅう入選していたらしい。その才能を見込まれて一時は東京に出て俳句の修行も志したようだが、やはり家業を継がねばならぬとて、俳句で身を立てるのはあきらめたという経歴のようだ。

印刷屋になってからは、あまり俳句は作らなくなったようである。もったいないなあ。

で、その俳句のスタイルというのが、伝統的な五・七・五の定型ではなく、自由律というものなのである。自由律俳句というのは、今ではあまりやる人がなくなっているが、大正から昭和初期にかけてはけっこう盛んだったらしい。山頭火がその代表格である。

句集は、我が家にも一冊あるのだが、実家にあるので、今は気軽に手に取ってみることもできない。高校時代に初めてじっくり手にとって読んでみたが、正直言って、自由律というのはあまりぴんと来なかった。

私は「和歌ログ」という別サイトで、下手くそながらネット歌人もやっているのだが、歴史仮名遣いにこだわって、一見伝統派である。しかし、そのくせ時々、歌の中にカタカナを多用したり、下手すると英語をアルファベット表記そのままで使ってみたりして、伝統破壊をしている。このあたりは、自由律の血が流れているせいなのかもしれない。

句集の中で、印象に残っている句は、こういう句である。

種蒔ひて土覆へば種隠れたり

う~む、これにはちょっとかなわないなあ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント


自由律俳句、好きです

放裁と山頭火、素晴らしい

投稿: alex | 2008年9月27日 16:33

alex さん:

>自由律俳句、好きです

>放裁と山頭火、素晴らしい

う~ん、そう言われてみれば、俳句だったら型にはまるより自由律もいいかもという気もしてきましたが、三十一文字の方は、やっぱり様式美がいいなあと。

投稿: tak | 2008年9月28日 21:06

 数の川を隔ててカオスコスモスに

 πと一□と〇のなぞり逢

 数ならぬ一な思ひそ玉祭

 十牛図ヒフミヨつくる獺祭に 

投稿: 数哲句([1]の存在量化(∃)) | 2023年12月 4日 13:22

数哲句([1]の存在量化(∃))さん:

いやはや、私は数は苦手なもので冷や汗かきました (^o^)

>数ならぬ一な思ひそ玉祭

何となくいいですね。魂祭でもあるかな。

投稿: tak | 2023年12月 4日 17:28

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