日本の道路の制限速度って遅すぎない?
発表されたのは昨年の 11月だが、内容的には決して古くなっていない記事を見つけた。「道路の制限速度は 誰がどうやって決める?」というものである。
「環七は制限速度 40km/h!」という副タイトルまで付いていて、「確かに、ちょっとねえ」と思わせられる。
ちなみに、「環七」というのは、首都圏在住の方にはお馴染みだろうが、そうでない読者のために一応説明しておくと、本来の名称は「東京都道318号環状七号線」というもので、東京 23区内の一番外側をぐるっと回っている。なかなか利用しがいのあるルートである。
この環七の制限速度が、40km/h なんだそうだ。へぇ、そうだったのか、知らなかった。
はっきり言って、環七は昼間はいつも渋滞していて、物理的に 40km/h 出せないということも多い。それに、どうやら信号の設定自体が 40km/h に合わせてあるようで、それ以上の速度を出しても、信号のたびに頻繁に停められてしまうようになっている区間も多い。
それでも空いてくると、大抵の車は 60km/h とか、それ以上のスピードを出していて、うまくタイミングが合うと、先の信号でも止まらずに済んで、どんどん先に行くことができる。
ということは、環七があんなに渋滞するのは、常識的なスピードで走ると、信号のたびに停められてばっかりだからということもできそうな気がする。件の記事を書かれた星野陽平氏は、ちょっとおとなしめに以下のように結んでいる。
明らかに制限速度が遅すぎると感じることが多い日本の道路事情ですが、騒音や公害などにも配慮しなければならないし、環七の40km/hもしかたないのかもしれません。
しかし、星野さんほどおとなしくない私は、「しかたないのかもしれません」とは思えない。むしろ環七の制限速度が 60km/h ぐらいで、信号がそれにうまく同期してくれれば、あんなに混まなくても済むんじゃなかろうかと思う。
制限速度をそんなに低く抑えなくても、どうせ渋滞すれば 40km/h 以上出せないんだし、スムーズに走行できる条件下ならば、60km/h は出させてもらう方が、ずっと効率がいい。信号のたびに停められて、青信号に変わるたびにアクセルをふかして加速するということになると、かえって騒音はひどくなるし、CO2 排出も増えるし、燃費も悪くなる。
ちなみに、件の記事の参考として添えられた 「各国の制限速度事情」 という表は、かなりおもしろいので、ここにも転載させていただこう。

日本の一般道の(高速道もだけれど)制限速度って、ずいぶん遅すぎるみたいな気がするのだ。
それに、フツーは制限速度の 10キロぐらいオーバーして走らないと、後ろからあおられてかえって危なくて、ただし「目に余ると捕まる」という恣意的運用も、ちょっとなあという気がするし。
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コメント
はい、私もそう思っています。
以前ドイツでアウトバーンを走行した時、高速道路を走る乗用車の速度が150キロより上でした。トラックはほんの少しの車間距離でまるでくっ付いた様に走っているのが印象的でした。
私たちの車は始めはどぎまぎしていました。
自己責任が当たり前の国と、日本とは土壌が違うのですね。
いつも、運転中に速度を意識して制限速度を守る時に『狭い日本、そんなに急いでどこへ行く』という以前流行ったコピーを心の中で暗唱しますけど。3人の親の面倒を見ねばならないならどうなりますかねー。もちろん今は一人の母を見るだけですから、40キロです。
投稿: keicoco | 2008年9月 7日 12:27
keicoco さん:
ドイツは、車のマナーが洗練されてますね。
もっとも、洗練されたマナーでないと、命が危ないですからね。あのスピードでは。
つまり、洗練されたマナーがあれば、ある程度のスピードを出してもそれほど危険じゃないということです。
日本の道路をみると、マナーがめちゃくちゃ。
追い越し車線をトロトロ走る車が多くて、走行車線を使って追い越しをかけなければならなかったりします。
それならまだましな方で、登坂車線を使って追い越しをかけるときもあります。
トロトロ走る車ほど、自分が登坂車線を走らなければならないスピードだとは、気付かないようで ^^;)
>いつも、運転中に速度を意識して制限速度を守る時に『狭い日本、そんなに急いでどこへ行く』という以前流行ったコピーを心の中で暗唱しますけど。
私はこの標語を思い出すたび、「日本はそんなに狭くない」 と思います ^^;)
「早く着きたい人もいる」 と。
投稿: tak | 2008年9月 7日 20:51
アメリカ(ボストン、ロードアイランド、NYなど)へ行った時、日本では見られないマナーの良さに驚きました。
横断歩道のそばに何気なくつっ立っていただけで、車が停車して「渡るのか?」とドライバーにジェスチャーされたり。
日本では歩行者優先なんて守られないですよね。
(フリーウェイでは平気で150マイル以上出して、勝手に横転してる車とかもいましたが・・;)
逆に、来日した米国人を案内した時、日本のタクシーは狭い道でもスピードを出すので、とても怖がっていたというのも印象に残ってます。
ようは道幅でしょうか?
投稿: clark | 2008年9月 7日 22:27
ドイツの郊外での一般道路の無制限は誤りです。上のものは二十年も前の情報で、無制限は中央分離帯のある二車線以上のバンクのとってある最低速度制限時速50KM自動車専用道路でしか合法化されてません。
それどころか昨年近所で時速100KM以上で町の中を暴走していた愚連隊は、死刑廃止のドイツですが頭を警官に撃たれ射殺されました。
高速道路にも騒音規制はあり、混雑から優先車線の廃止まで議論され、絶えず制限速度設置の圧力はあります。しかし、我々の大手自動車クラブはロビイストとして自動車産業と共に戦っています。
要するに、法秩序は理性の中で初めて機能するので理不尽の社会では機能しません。日本の交通社会は、環七のような騒音問題を抱えていても標識に「騒音防止40KM」と明記しないJAFらの立ち位置と怠慢と理不尽さに、「スピードを悪」と見做す管理社会が影絵の如く映し出されています。そのような社会では、モラルというような得体の知れない規約が尊重され、理が尊重されないのです。
「大抵の車は 60km/h とか、それ以上のスピードを出していて、うまくタイミングが合うと、先の信号でも止まらずに済んで、どんどん先に行くことができる」ならば、信号のタイミングのとり方が間違っているだけなのです。抗議すべきは技術的未熟であります。交通事情によって定まる巡航速度を逸脱すれば必ず不利なように調整されていなければなりません。こうした所からお互いの信頼関係が薄れるのです。
つまり、「制限速度は破るべし」と理不尽な帰結となり、こうした所で自己責任どころか理性を蝕む市民を養成しているのです。「制限速度は我々の安全を保障する」となってこその信頼関係なのです。「自己責任」でなく「行政との他者との信頼関係」がそこにあってこそ、初めて時速250KMを越えての走行が可能となります。
本来は速度を出せる車の開発や生産も不可能にも拘らず、世界最大の自動車会社を持つ日本国の道路事情の悪さやその社会状況は、殆ど喜劇的です。
投稿: pfaelzerwein | 2008年9月 8日 06:43
clark さん:
>アメリカ(ボストン、ロードアイランド、NYなど)へ行った時、日本では見られないマナーの良さに驚きました。
アメリカ人は、歩行者としては、信号が赤でもどんどん渡りますから、ドライバーは慎重にならざるを得ませんよね ^^;)
>ようは道幅でしょうか?
米国人は大ざっぱだから、道幅が狭いと車がキズだらけになるんじゃないかと、個人的には思ってます ^^;)
投稿: tak | 2008年9月 8日 10:20
pfaelzerwein さん:
>ドイツの郊外での一般道路の無制限は誤りです。上のものは二十年も前の情報で、無制限は中央分離帯のある二車線以上のバンクのとってある最低速度制限時速50KM自動車専用道路でしか合法化されてません。
おかしいとは思ってました。情報ありがとうございます。
それにしても、「最低速度制限」というのがあるというのは、素晴らしいですね。
日本の高速道路では、ちょっと雨が降ると、速度制限が 「50km/h」 になったりします。
そして、雨が止んで、道路が乾いても、その表示は延々と変わらなかったりします。
制限速度 「50km/h」 の表示がされている高速道路を、みんなフツーに 100km/h で飛ばすという、よくわからない光景が日常的に見られます。
一度、そうした状況下で、試しに遵法運転をしてみようと、50km/h まで落とそうとしてみましたが、ばんばんあおられるので、恐ろしくて 60km/h 以下には落とせませんでした。
当局は、どういう神経で 「50km/h」 なんていう制限速度を表示し続けているのか、気が知れません。
>要するに、法秩序は理性の中で初めて機能するので理不尽の社会では機能しません。
まさに。
隣の国は 「法治国家」 じゃなく 「人治国家」 だと言いますし。
>「大抵の車は 60km/h とか、それ以上のスピードを出していて、うまくタイミングが合うと、先の信号でも止まらずに済んで、どんどん先に行くことができる」ならば、信号のタイミングのとり方が間違っているだけなのです。抗議すべきは技術的未熟であります。交通事情によって定まる巡航速度を逸脱すれば必ず不利なように調整されていなければなりません。こうした所からお互いの信頼関係が薄れるのです。
えぇと、60km/h でタイミングが合うのに、下手な人がノロノロ走るから渋滞するのではなく、 元々は 40km/h に合わせてあるようなので、次の信号をギリギリで突破するつもりだと、80km/h 近く出すことになるという意味です。
で、そうしちゃう人が結構いるので、現状の設定では、フツーに走ると渋滞するし、それを嫌う人は、頻繁に車線変更しながら猛スピードですり抜ける危険運転になるし、ということで、個人的にはヤバイなあと思っています。
こうした現状の要因は、偏に当局の設定する制限速度が、非現実的だからだと思います。
>つまり、「制限速度は破るべし」と理不尽な帰結となり、こうした所で自己責任どころか理性を蝕む市民を養成しているのです。「制限速度は我々の安全を保障する」となってこその信頼関係なのです。「自己責任」でなく「行政との他者との信頼関係」がそこにあってこそ、初めて時速250KMを越えての走行が可能となります。
まさにその通りだと思います。
日本では事なかれ主義の当局と、現実的な一般ドライバーの間に、信頼関係がほとんどありませんね。
この構図は、道路の制限速度だけの話ではなさそうです。
投稿: tak | 2008年9月 8日 11:33
うーん・・・。
私は法定制限速度に結構納得していて、
自分で「安全だ」と思える速度で走っていると制限速度ぴったりくらいになるんですよね。
気がつくと制限速度-10kmくらい(50kmの道を40kmくらい)で走ってたりすることもあります。
確かに、道幅や路面状態、交通マナーなどにもよるのかもしれませんが、私は制限速度というのは自動車運転免許取得に必要とされる運転技術とのかねあいが大事ではないかと思います。
つまり、60km制限の道は60kmで、40km制限の道は40kmで安全に巡行できる運転技術があれば免許が取得できるのではないか、ということ。
緊急避難的な一時的加速は別にして、40kmの道を80kmで安全に巡行できるような技術は、免許の基準よりも上のレベルの運転技術を持っていれば可能でしょうが、そんな人ばかりではない。私はおそろしくてできません。
こういうドライバーもいるので、制限速度を上方修正しても、制限速度よりかなり遅い速度で走りそうです。
そう考えると「最低速度制限」は良い制度のように思えます。最低速度を満たしていれば、変に煽られることがないのであれば。
私の運転技術の自己評価だと、今の制限速度-10~-20kmくらいで最低速度を設けてくれれば、最高速度が上がってもストレスなく走れそうです。
速い車に煽られないかが少し心配ですが、そこはもうマナーの問題ですね。
例えばドイツなどで最高速度無制限、最低速度50kmの道を、ほとんどの車が120~130kmで走っているとき、自分の運転技術に合わせて60kmくらいで走っていても、マナーがしっかりしているので変に煽られたりしないのでしょうか。
少し気になります。
投稿: 風花 | 2008年9月 9日 09:20
風花 さん:
>自分で「安全だ」と思える速度で走っていると制限速度ぴったりくらいになるんですよね。
それで OK だと思いますよ。
ただ、その場合、片側 2車線以上ある道路なら、走行車線を走ってくだされば、問題ありません。
その速度で追い越し車線を走るのは、危険です。
それから、片側 1車線で、追い越し禁止区間が続く場合、慣れない道をゆっくりマイペースで走ると、後ろにずら~っとパレードが続いてしまいがちです。
そんなときは、左ウィンカーを出して道の端に止まり、後ろでイライラしている車に追い越してもらいましょう。
そうしないと、後ろの車が無理な追い越しをかけたりしがちですから、自分の身も危険にさらされます。
要するに、自分が邪魔になって車の流れをせき止めているという状態を作り出さなければいいのだと思いますよ。
まあ、せき止める人が多すぎるので、ちょっと困るんですけどね。
投稿: tak | 2008年9月 9日 09:59