モノ地獄からの脱出
朱鷺子さんが「病室隅っこの生活」という記事を書いておられる。以前、ご主人が入院されたとき、20日間ほど病室に泊まり込んだときの経験だ。
ベッドと壁の隙間にせんべい布団を敷き、洗面器一つですべてが間に合ってしまう生活というのも、なかなかいいものである。
私は若い頃にしょっちゅう、背中にバックパックを背負ってあちこち放浪したり山登りをしたりしていたので、本当に「モノは少ない方がいい」と思っている。
日常生活だって、食器なんて箸と皿 1枚、カップ 2つあれば十分だ。あとは、下着 3セット、夏冬用の衣類各 3セット、布団があればいい。願わくはノート PC とインターネット回線が加われば、それほど不自由なく暮らしていける。
ところが、モノというのは魔物である。特別なことは何もしていないのに、知らぬ間に増える。収納しきれないほど増える。捨てても捨てても増える。それに、これが人間の業というものか、滅多に使わなくても、「愛着」なんて称して捨てられないものもいくつもある。
以前、実家の引っ越しをするときのことを書いた(参照)。あれには参った。昨年死んだ母が寝込んでしまう前にやや認知症っぽくなり、同じモノを何度も何度も買い込んでいたせいで、押し入れと納戸の奥が大変なことになっていたのである。以下にちょっと引用する。
一度納戸の奥にしまいこんでしまうと、その品物は「ない」ということになってしまって、また新たに買い求めてしまう。そしてその新たに買ったものをまた押入れの奥にしまい、またまた「ない」ということになってしまって、さらに同じものを買う。
かくして、引越しのときには、あちこちから同じようなものが、次から次に発掘されることになる。充電式小型掃除機、スリッパ山ほど、魔法瓶型の水筒、タオルケット、毛布、小鉢セット、湯呑みセット、土鍋、卓上コンロ、座布団カバー、目覚まし時計、灰皿、花瓶、旅行バッグなどなど。
その他、いかにも贋作っぽい掛け軸十数本、武者小路実篤の「仲よきことは美しきかな」の額、中元で貰ったタオルが熨斗紙付きのまま百数十本、結婚式の引き出物で貰った陶器、漆器の類は数知れず、何とか友の会の積み立てで買ったまま、使いもしない電気毛布、健康器具の数々。
ああ、モノがありすぎるというのは、一種の地獄である。モノ地獄である。あるいは、今の日本自体が、地獄の様相を帯びているのかもしれない。モノは溢れるほどあるのに、それを維持するために金を使わなければならない。それで「貧困」なんて言っている。「モノ持ち貧乏」だ。
娘たちがすべて嫁に行ったら、夫婦二人で慎ましやかに暮らしたい。最小限の鍋釜、食器、衣類、寝具、本ぐらいのものさえあればいい。今ある家の部屋の半分は、たまの来客が泊まれるように、がらんどうにしておきたい。
ちょっと考えてみると、慎ましやかに暮らすためには、PC は有力なツールである。これさえあれば、モノはかなり減らせる。まず既に、百科事典なんてものは要らなくなった。私の本棚を見ると辞書類だけでも相当並んでいるが、これだって 4分の 1ぐらいに減らすべきだろう。
リビングルームに鎮座ましましている大型液晶テレビだって、あんなものは要らない。テレビを見たかったら、PC で見ればいい。音楽だって PC と iPod でいける。書類の山は、デジタル化しておこう。
デジタル・ファイルはそんなに長持ちしないという説もあるが、どうせ一つのメディアが主流から消える時には、必要なものだけ新しいメディアに保存し直すのだから、あまり気にしなくてもいいと思っている。10年経っても必要なファイルなんて、そんなにあるものじゃない。
食事は、でっかい中華鍋と小鍋がいくつかあれば米だって炊ける。食器もあんなにたくさんの種類はいらない。日本人は和洋中でそれぞれ食器を変えたがるが、別にそんなことをする必要はない。
私の身体の中には禅坊主の血が流れているので、「起きて半畳、寝て一畳」というライフスタイルへのあこがれがある。強烈にある。ああ、それなのに、周りを見ると、モノ、モノ、モノである。こんなにモノがあるというのは、肩の荷が重すぎるということだ。
ああ、今日から要らないモノは処分することを心がけよう。とはいえ、最近は捨てる時でさえ金がかかる。再利用してもらうために、フリーマーケットが盛んになってくれるといい。
| 固定リンク
「住まい・インテリア」カテゴリの記事
- 「強盗に狙われやすい家」というのがあるらしい(2024.10.23)
- 一瞬心が動いてしまった「積ん読タワー」というもの(2024.02.10)
- 「タワマン」って、やっぱり幻想の産物なんだね(2023.03.13)
- KURE 5−56 は鍵穴に使っちゃいけないんだそうだ(2022.03.25)
- デスクの周囲は結構な「たこ足配線」だが(2022.03.09)
コメント
週末ごとに伊豆に通って友人のログハウスを作り始めたとき、最初にあったのはテントと寝袋だけでした。
七輪で煮炊き焼き物をやると効率が良い事を発見し、しばらくは大工仕事をしながら、数枚の皿、数個のカップ、数個の鍋だけで、質素な食事と大量のビールでミニマル生活をしていました。大晦日には、星空の下で七輪の火に当たりながらラジオで紅白歌合戦を聞きました。
やがて屋根が出来、室内に色々収納できるようになると、自分の家や友人たちの家から要らなくなった家具や食器、電気製品などがどんどん持ち込まれ、広いはずの家の中がそう広くも感じられなくなってしまいました。
ときどき、家ごと焼き払って、またゼロからやり直そうかという話になります。
投稿: きっしー | 2008年10月 7日 13:21
こんにちは~~
やってきました。
庄内さん!
こんなすてきなブログに紹介していただいて、
恥ずかしいです~~
ありがとうございました!
ほんとに人間は、物の山で押しつぶされる暮らしで
苦しいですね~~。
ホームレスの方々でさえ、
大荷物をかかえておられますよね?
私は、晩年の母の引っ越しのとき、
荷物が入ったままの家ごと
倒して
ゴミ処理してもらいました。
でも、
今頃になって、
あの、大量の写真だけは、
持ってきたらよかったな~~とか
思うのです。涙
人間のこころは、一筋縄ではいきませんね?
投稿: 朱鷺子 | 2008年10月 7日 14:34
昨年30年過ごした家を取り壊し、家を新築したとき、不要なものがでるわでるわ、仮住まいに
引っ越すときと、新たな家に帰るとき、冗談でも何でもなく2トントラック一台分は不要なもの
を捨てたり、人にあげたりしました。
その後、新たに買うものがほとんどありませんでしたので、30年もいるといかに不要なものに
囲まれていたか、痛感しました。
しかし、いろいろ細々としたものを物欲に負けて買ってしまう自分は、曹洞宗の檀家でありな
がら「起きて半畳、寝て一畳」の悟りにはほど遠いようです。(笑)
投稿: 雪山男 | 2008年10月 7日 15:07
きっしー さん:
>ときどき、家ごと焼き払って、またゼロからやり直そうかという話になります。
そう言い出したくなる気持ち、わかります。
広かったはずの隠れ家が、日常に埋もれて狭くなるってのは、複雑な心境を呼ぶでしょうね。
投稿: tak | 2008年10月 7日 15:57
朱鷺子 さん:
>私は、晩年の母の引っ越しのとき、
>荷物が入ったままの家ごと
>倒して
>ゴミ処理してもらいました。
私の実家も、そんなようなものです。
運び出したものなんて、三分の一もなかったと思います。
>今頃になって、
>あの、大量の写真だけは、
>持ってきたらよかったな~~とか
>思うのです。涙
それがあるんですよね~。
今なら、デジタルデータだけで済むので、全然手間がかかりませんが。
投稿: tak | 2008年10月 7日 16:01
雪山男 さん:
>その後、新たに買うものがほとんどありませんでしたので、30年もいるといかに不要なものに囲まれていたか、痛感しました。
我が家も、そろそろ 三十年に近くなるので、2t トラック一杯分のゴミがありそうな気がします。
恐ろしい。
>しかし、いろいろ細々としたものを物欲に負けて買ってしまう自分は、曹洞宗の檀家でありながら「起きて半畳、寝て一畳」の悟りにはほど遠いようです。(笑)
雲水になって托鉢の旅にでも出ないと、モノの誘惑には勝てないかも ^^;)
投稿: tak | 2008年10月 7日 16:05
ぼくも曹洞宗ですが、父親は亡くなる数年前からものをどんどん捨てたり人にくれたりしていたようです。
着道楽だった親父のスーツが一着も無くなっているのには驚いた。
生前から、「金を持っていると頭が痛くなる」といってました。
お金も残さなかったから姉弟仲良くできますし、物というものは罪作りなものだと思います。
投稿: osa | 2008年10月 8日 01:52
osa さん:
えらいお父様ですね!
投稿: tak | 2008年10月 8日 07:44
ハッキリ言って私は物欲が強いようです
といって、何が何でもどんどん欲しいというタイプでもありません
私なりの、愛でる事のできる「逸品」を掌中にしたいという気持ちが強い
逸品を手に入れると、もう逸品でなくなったものを処分したくなる
その他にもいろいろクセがある、
考えてみれば複雑です
そのうちに、このエントリーを紹介して、ネタにして、考えた事をブログを書かせていただきますのでよろしく
朱鷺子さんの
>ホームレスの方々でさえ、
大荷物をかかえておられますよね?
笑いました
しかし、私は毎年、ホームレスの人たちに衣類や不要品を寄付しているのです
ただ、真冬には凍死者も出る彼らの生活ですから、衣類だけは確実に彼らのためになっていると信じたい(笑)
投稿: alex99 | 2008年10月 8日 10:33
alex さん:
ペダンチストの alex さんのことですから、さぞかしいろいろな逸品をお持ちなんでしょうね。
>朱鷺子さんの
>>ホームレスの方々でさえ、
>>大荷物をかかえておられますよね?
私が以前新宿で見かけたモノ持ちホームレスの住まいには、どこで調達したものか、応接三点セット、キャビネット、ガラスケース入りの藤娘の人形なんてのがありました。
囲いは段ボールなのに。
>しかし、私は毎年、ホームレスの人たちに衣類や不要品を寄付しているのです
>ただ、真冬には凍死者も出る彼らの生活ですから、衣類だけは確実に彼らのためになっていると信じたい(笑)
なんと素晴らしい善行!
どこに持ち込めば寄附できるんですか?
知りたいです。
今後、サビルロウで調達したビスポーク・テーラード・スーツを着ているホームレスを見かけたら、その服は alex さんが寄附したものと思うことにします。
あの藤娘の人形は、alex さん経由ではないと思いますが (^o^)
投稿: tak | 2008年10月 8日 11:09
tak-shonai さん
藤娘はちがいます
私ではありません(笑)
ホームレスへの寄付先ですが大阪での例を書きます
大阪なら、この二つのオプションがあります
1) NPO 釜ヶ崎支援機構
http://www.npokama.org/
釜ヶ崎は旧地名で、現在は愛隣地区と改名されています
東京の山谷にあたります
2) 西成署
愛隣地区は大阪市西成区にあり、西成署でも受け付けているそうです
私はNPOの方に送っています
同志と思われてか?会報が送られてきます(笑)
送った衣類、アクアスキュータムのブレザーをはじめ、古いものですが海外で買ったブランドものをたくさん送りました
禅宗の方々には敵いませんが、物欲だらけの私も、たまには身軽になりたくて(笑)
投稿: alex99 | 2008年10月 8日 12:20
alex さん:
なるほど、NPO に送ればいいんですね。
それにしても npokama.org というドメイン名、シャレがきつい。
(詳細はあえて避けます ^^;)
大阪には、アクアスキュータムのブレザーを着たホームレスの人がいるわけですね。
すごい。
投稿: tak | 2008年10月 8日 14:26