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2008年10月23日

静かな文化と、にぎやかな文化

毎日新聞某地方版の記者が、「韓国の電車内は携帯電話自由でとてもにぎやか 日本でも思う存分通話してもいいのでは」と署名記事を書いて、話題になっている。(参照

元記事削除のため、オリジナルは確認できないが、毎日新聞、時々「飛んで火にいる夏の虫」的役割を演じるのがお好きなようだ。

私は何と、韓国には一度も行ったことがない。中国本土にもない。アジアで行ったことのある外国は、返還前の香港に数度行っただけである。だから、韓国の地下鉄の中の事情なんて、全然知らなかった。

ただ、香港の庶民的レストランの圧倒的喧噪を(参照)知っているので、ソウルの地下鉄もそれほど遠くないという事情も、なんとなく想像できる。毎日新聞の記事によると、こんな様子らしいのである。

ソウルの地下鉄に乗ると、大声で女性用のストッキングなどを売り歩く男性らがいて、とてもにぎやか。寝入った2歳の息子を抱いて乗車すると、席を譲ってくれる男性がいて、さりげない心遣いに感心させられた。

車内では、若者からお年寄りまで携帯電話でおしゃべりしていた。日本には静かに乗車するよう努める暗黙のルールのようなものがあり、電車内で通話すると、他の乗客の冷たい視線を浴びるが、韓国の習慣では問題がない様子。

そして、記者はすぐにこう続ける。

日本でも「せっかく外出時に重宝する道具なのだから、思う存分、通話してもいいのでは」と思った。

ちょっと細かいことを言えば、後の方は、文章のプロのくせに、「日本でも」 という言葉の位置とカギ括弧の使い方が適切ではないので、「韓国で通話するのは OK だと、日本に帰ってきてからも思った」みたいに受け取られかねないが、記者の本意は「日本人も電車で思う存分ケータイで話してもいいんじゃないか」ということのようなのだ。

それに対して、2チャンネルでいろいろな意見が書かれている。ざっとみると「どうして韓国に合わせる必要があるのか」といった否定的なものが圧倒的に多いが、「電車内の会話は OK なのに、どうしてケータイがいけない?」「電車内のおばちゃん同士の声高な会話の方がうるさい」といった問題提起的なものもある。

基本的なことを言えば、同じ程度の声の大きさなら、ケータイでしゃべるのを聞かされる方が、普通の会話に比べてずっと癇(かん)に障る。ある聞き取り調査でもそんな結果が出たという記事を読んだ覚えがある。それは、実感に即しても理解できる。

ケータイで話す一方通行的な言葉は、そばで延々と聞かされると、やはり不自然でイライラする。ただ、大声の会話は OK だが、ケータイは小声でもうるさいというわけじゃない。大声の会話は、「今、電車内なのでかけ直します」という数秒間の控えめで小声の通話より、当然にもずっと迷惑である。

要は程度問題で、小声のケータイ通話でも延々とやられると、声のボリュームの割にはかなり迷惑ということなのだ。これぐらいのことは、誰でも実感しているんじゃないかと思う。

ただ、ソウルの地下鉄の場合は、基本的な環境がかなり違っているようなのだ。何しろ、地下鉄内で物売りがにぎやかにモノを売り歩いているらしい。そして、周り中ケータイで遠慮なくしゃべりまくっているようなのだ。

そんな環境の中で、「ケータイの話し声が癇に障る」なんて言ったら、神経過敏扱いされる。とにかく全体的ににぎやかなので、ケータイで何をしゃべろうが、そのにぎやかさの中に埋没してしまうということのようなのだ。

毎日新聞の記者さんのチョンボは、その基本的な「環境」、言い換えれば「文化」の違いを無視して、「せっかく外出時に重宝する道具なのだから、思う存分、通話してもいいのでは」なんて、ノー天気に書いてしまったことである。

世界には「静かな文化」と「にぎやかな文化」というのがある。どちらがいいとか悪いとかではなく、基本的には慣れと好きずきだ。日本はどちらかといえば「静かな文化」圏に入り、祭りとか酒を飲んだときに、急に「にぎやか文化」に振れてバランスを取っている。

この「ハレ」と「ケ」の区別というのはなかなか重要なもので、それをごっちゃにすると大変なことになる。日本の電車の中は、祭りでも酒場でもないので、そこに急に「にぎやか文化」を持ち込まれたら、そりゃ、一悶着起ころうというものである。

毎日新聞の記者さんの言い分は、「電車内でもケータイで思い切りしゃべりまくりたいから、日本文化を捨ててしまえ」と言ってるようなもので、まともなマスコミとも思えない暴論なのだが、問題は、書いた当人もデスクも、それに気付いていないらしいことである。

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