私は怒るのが苦手
世の中の風潮やお上の施策に、怒ってばかりという人がいる。怒ることでしか、自分の正義感を満足させられないといわんばかりだ。
そういう人をみると、まことに申し訳ないけれど、「ああ、怒っていられるだけ呑気でいいなあ」と思ってしまう。私はどちらかというと、怒るのが苦手な人間である。
以前、会社勤めをしていたとき、仕事の進行が他部署からの余計なお世話ともドジともいえる横やりで、おじゃんになりかけたことがあった。私は血相変えて、その仕事の復旧にとりかかった。
当時の上司は「あいつはまったく、とんでもないことをしやがって」と、カンカンになって怒っている。あまりカンカンなので、すぐそばで冷静に仕事の復旧に集中している私まで気に入らないらしい。
「お前はどうして、そんなに冷静でいられるんだ? 怒れよ、もっと怒れよ!」とわめくのである。あまりうるさいから、私はついに、こう一喝した。
「今は、呑気に怒ってる暇なんかありませんよ。こっちも必死なんですから、ちょっと静かにしててください!」
こう一喝したときだけ、私はちょっと怒っていたかもしれない。どうせ必死になって尻ぬぐいをするのは、私なのである。上司はそばで怒ってさえいればいい。まったく呑気なものである。
長距離ドライブをしながらラジオを聞いていると、政府の施策などについて、聴取者にアンケートを取り、その反応を紹介する番組がある。ちょっと極端なことを言わせてもらうと、そうした番組にわざわざ電話をかけて自分の意見を言いたがる人なんていうのは、基本的に暇な人が多い。
で、さらに極端に言うと、暇な人ほど世間に不満を抱いている。だから、そうしたアンケートの反応の大体 65%以上は、お上の施策に否定的なものである。そして否定的な答えをした半数ぐらいは、ただ単に、感情的に怒っているだけである。
今回の麻生さんのホテルのバー通いなんかがテーマだと、「麻生さんはどうせ金持ちのぼんぼんだから、我々庶民がいかに生活に困っているかなんて、わかろうはずがない。そんな人には何の期待もできない。さっさと辞めてもらいたい」というような、怒りにまかせたコメントが必ず紹介される。
あまりにも予想通りの、ステロタイプの極みみたいな論調なので、つい苦笑してしまうほどだ。「そんなに生活に困ってるんなら、呑気にラジオ局に電話して愚痴なんか言ってないで、もっと生産的なことでもしたら?」なんて思ってしまう。
はっきり言って、呑気に怒っていられるのは、当事者意識がないからである。悪いのは他の誰かさんであって、自分には責任がない。自分は善人であり、弱者であり、一方的な被害者である。だから、どんどん怒る権利がある。彼らはそう思っている。
逆に、当事者意識があると、呑気に怒ってなんかいられない。怒るより先に「何とかしなきゃ」と思う。何とかならない場合は、自分の力不足を痛感してしまうので、他に対して怒りを向けることもできない。
いや、私は怒る人全てを非難しているわけじゃない。「怒ってみせる必要がある時」というのも、確かにある。そのことについての一端は、こちら にちょっとだけ書いてある。つまり、「怒ってみせないと通じない鈍感な人」には、怒ってあげないといけないのである。
世の中には、そうした「怒りの専門家」みたいな人もいて、それはそれで存在価値がある。ただ、感情にまかせて愚痴を怒りに転化させるのだけは、みっともないから止めとくほうがいい。
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コメント
またまた私のことを言われているようで居心地が悪い(笑)
人それぞれですが、私は日本人は政治的な意見を持って怒るべきだと思って思っています
アクションが無ければなにも始まらないと
ブログもその一助
庄内さんの禅的諦観は私には出来ない事です
私にとって禅的な安寧は個人の心の平和に留まって、社会的な広がりがないように思えるのです
パソコンの調子が悪くて思ったことを書けません
(そのほうがいいかもしれませんが)(笑)
投稿: alex99 | 2008年11月 3日 21:21
夜分に恐れいります。
怒る程でもなく、腹を立てる程度にしても、周りを巻き込むタイプは、かなりいらっしゃいます。
(先にお断り申し上げます、メートル上がってます!)
『とにかく(怒りを)表明して、第1次満足ゲット』
続いて、
『ワシはこんなことを考えているんだぁ!わかったか?(これを聞いている)クソ愚民!』
という構図が見え隠れ…。
満足するのはアナタだけ。聞いている方は迷惑千万!
潜在的欲求としては『相手を凌駕したい』がための発言です。
猛省!!!
投稿: 乙痴庵 | 2008年11月 4日 01:02
alex さん:
>またまた私のことを言われているようで居心地が悪い(笑)
そんなことは決してありませぬ。
alex さんの論調は、決して感情にまかせたものではなく、充分に論理的ですので、怒りというよりは、「義憤」 だと思ってます。
>庄内さんの禅的諦観は私には出来ない事です
>私にとって禅的な安寧は個人の心の平和に留まって、社会的な広がりがないように思えるのです
う~む、「禅的諦観」 ですか。う~ん。
個人の心の平和に留まっては、決して 「安寧」 ではないと思ってるんですがね。
そんな意味では、私も結構怒ってますよ ^^;)
ほかのエントリーを見てもらえばわかって頂けるかも。
ただ、感情 (とくに嫉妬) にまかせた怒りは、みっともないと思っているわけです。
投稿: tak | 2008年11月 4日 01:17
乙痴庵 さん:
「単なる個人的な気晴らし」 っていうのもあるんでしょうね。
確かに。
投稿: tak | 2008年11月 4日 01:19
以前クレーム処理の研修会を受けたのですが、その際お客様の納得の仕方に2種類あるそう
です。
一つが、本当にこちらの説明や対応に納得される方、そしてもう一つのパターンが、とりあえず
抱かれた怒りについて、話を聞いてもらったので、論理的には納得をされていないのですが、
その対応に納得したという方だそうです。
おそらく、マスメディアで出てくる一般市民代表というのは、後者の方なのでしょう。
論理的に納得していないから、付和雷同的にまた別な情報が出ると、それに怒りを覚えると
いう繰り返しなのではないでしょうか。
製品やサービスに対するクレームは、クレームでしか改善しないところもありますが、政治
だったら自分で参加すれば変えられる可能性もあるのに、と思うのですがね。
「yes we can」というのは、民主主義の真理であると思うんですがね。(まあオバマさんの肩を
持つわけではないですけど)
投稿: 雪山男 | 2008年11月 4日 09:50
雪山男 さん:
>以前クレーム処理の研修会を受けたのですが、その際お客様の納得の仕方に2種類あるそうです。
>一つが、本当にこちらの説明や対応に納得される方、そしてもう一つのパターンが、とりあえず抱かれた怒りについて、話を聞いてもらったので、論理的には納得をされていないのですが、その対応に納得したという方だそうです。
まったくそれは言えますね。
とりあえず、「もぉ~~しわけございません!!」 と言ってもらえれば、「私はエライ!」 と、満足しちゃう人も多いんですよね。
どうでもいいところで、「俺にアイサツがねえ」 とか 「私にヒトコトもなかった」 とか言ってへそ曲げちゃうタイプと共通します。
投稿: tak | 2008年11月 4日 10:27
もうイッチョ、お邪魔します。
>「今は、呑気に怒ってる暇なんかありませんよ。こっちも必死なんですから、ちょっと静かにしててください!」
>呑気に怒っていられるのは、当事者意識がないからである。
以前勤めていた会社。なんだか発生すると、上のほうの人たちが“報復8割含有”の『対策』を協議していました。…下々(現場作業者)交えて。
そして最後は悪口を飛ばして気分スッキリ!
「あとやっとけよ」と核心は(アタクシに)丸投げ。
>ただ、感情にまかせて愚痴を怒りに転化させるのだけは、みっともないから止めとくほうがいい。
それこそ、身の周りで発生している“怒り”ってば、よ~く考えると、だいたいこれッスよね。
じっくり考えずに脊椎反射の如く怒りをあらわにすると、あとあと損をしているということに…、気づいてないよなぁ。
投稿: 乙痴庵 | 2008年11月 4日 12:46
乙痴庵 さん:
>以前勤めていた会社。なんだか発生すると、上のほうの人たちが“報復8割含有”の『対策』を協議していました。…下々(現場作業者)交えて。
>そして最後は悪口を飛ばして気分スッキリ!
>「あとやっとけよ」と核心は(アタクシに)丸投げ。
よくある光景。
ありありと思い浮かべられます。
必要なのは、現実的で妥当な対処ではなく、「気が済む」 こと。
気が済んでしまえば、後は、対処がうまくいくかどうかは、大した問題じゃない。
ただ、現場としては、エライ人の気が済むか済まないかより、さっさと対策を講じることの方が大切なんですけどね。
投稿: tak | 2008年11月 4日 15:05