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2008年11月 2日

個別の落とし前と、全体の利益

そういえば、世の中は秋の三連休なのだと思い当たった。私はといえば、そんなのは全く関係なく、バタバタの 3日間になりそうである。

今日も朝から自宅の仕事部屋の PC に向かいっぱなしで、ふと窓の外を見れば、もう秋の日は暮れてしまっているのである。明日も多分こんな具合で暮れるだろう。

明日、文化の日は昔から有名な晴れの特異日で、毎年大体晴れる。晴れるのがわかっている連休なのに、仕事が重なってどこにも出かけられないというのは、残念だがまあ仕方ない。そのうちしっかりと、あちこち出かけよう。

ところで、「お産を扱う病院が、1年で 8%減少」というニュースには、ちょっと驚いた。産科医不足という話は前々から聞いてはいたが、1年で 8%減少となると、ちょっと異常だ。外科と産科医はリスキーだからなり手がないというが、極端すぎる数字である。

最近は医療関連でも、何かあるとすぐに訴訟沙汰になる。それに嫌気がさして、リスキーな外科と産科は敬遠される。すると、ますますこの分野の医療のリスクが高まる。困った悪循環だ。

だったらごく単純に言えば、医療関係の事故では訴訟しなければいいのである。訴訟がなくなれば、少しは産科医と外科医のなり手が増える。そうすれば、医師不足による過労に紛れた事故も減る。

実際問題として、医療事故で肉親が死んでしまったら、慰謝料を取りたいのは人情である。それをいかんというつもりはない。それなら、医者がそれなりの保険に入って、何かあればさっと慰謝料を払えるようにしたらいい。

刑事事件にしないで、保険会社が粛々と代理交渉をして、さくさくと相場の慰謝料を払うというシステムにしてしまえば、問題はかなり減ると思うんだがなあ。

患者を殺したくて殺す医者はいないだろう。いちいち警察が出しゃばって刑事事件にしてしまうと、話はかえって面倒になる。詳しい法律的問題は知らないので、これ以上は言えないんだけれど、なにか難しい規制でもあるんだろうか?

あるいは、問題なのは遺族のウェットなメンタリティなんだろうか。遺族が「金の問題じゃない、医者の責任を追及したい」なんてことを言い出したら、日本の産科医不足は解消しない。

個別の落とし前にこだわりすぎると、全体の利益が損なわれる。

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コメント

現実には、現在の病院での産科医療では妊婦はかなり人間性を無視された扱われ方をしています。
私も、妊娠中のトラブルが元で後遺症に悩まされました。
それでも「無事生まれれば文句ないだろう」という対応なんですよね。
医師も、助産師も、看護師も、周りの人間も。
だから「無事に生まれなかった場合」に余計こじれるんじゃないかと思います。

問題は、未だに「妊娠・出産は病気ではない」という考えが幅を利かせているということではないかと思います。
実際は、女性は命懸けで産むのに。

投稿: karin | 2008年11月 2日 18:35

karin さん:

>現実には、現在の病院での産科医療では妊婦はかなり人間性を無視された扱われ方をしています。

ふぅむ、医療現場はなかなか面倒な問題をもってるんですね。

我が家の長女は、妻の実家の近くの個人の医師が経営する病院で、とても呑気に自然に生まれました。
次女は、近所のラマーズ法の産婆さんの指導で、自宅出産。これはとても楽しかった。
三女はその産婆さんの経営する産院で産まれました。
いずれも、とても自然な出産ができまして、次女と三女の出産のときは、私も立ち会いました。

我が家の場合は、医師や産婆さんとの信頼関係があり、とても恵まれていたと思います。
こうした環境を、日本中が持てないのが残念です。

投稿: tak | 2008年11月 2日 23:16

医療訴訟ばかり報道され、それに伴っての医師不足とかマスコミは煽るが、日本独特の教育制度「医局」の問題は、山崎豊子の白い巨塔でノンフィクション的に描かれて周知の通りになったが、改善されるような気配はない。

わたしの兄弟は、7人で全て産婆さんにとりあげてもらったそうです。その母曰く、仕込む時はイイけど、生むときは何回産んでも死ぬ思いだそうです。昭和30年半ばから40年半ばにかけても、7人兄弟は多いと驚かれていましたが、今、孫が15人。もうすぐひ孫が生まれます。子は宝とはよく言ったものです。方言で「タカラモノ」と、アホな奴を指しますが、孫達は、年金生活者から有無を言わさず金を剥ぎ取って行く。可愛そうな子沢山。

母子手帳を受給した日から覚悟を決めてかからにゃならんと思う。色々な危険が潜んでいる事を。

投稿: やっ | 2008年11月 2日 23:19

やっ さん:

面倒なしがらみが多いのは、医者の世界でもやくざの世界でも同じですね。

あぁ、やだやだ。

「どうして医者はみんな開業医にならないんだろう」 なんて思ったりします。

>仕込む時はイイけど、生むときは何回産んでも死ぬ思いだそうです。

ウチは、母が私を生んだときも、妻が三人の子を産んだときも、けっこう安産でしたけどね。

私の母なんか、ヘルシンキ・オリンピックの水泳の実況を夢中で聞きながら、1500メートル自由形の橋爪四郎の応援をしていて、ふと気付いたら私が生まれてたというぐらいの安産だったといいます。

私が次女と三女の出産に立ち会ったときも、ラマーズ法の呼吸法で、「はい、ひーひーはー」とか適当なことを言っているうちに、するりと生まれました。

これって、確かに恵まれてるんだろうなあ。
みんなが恵まれてくれればいいのに。

どうして、わざわざ、大量生産的なコンセプトの病院で生みたがる人が多いんだろう?

投稿: tak | 2008年11月 3日 00:11

ベット数が多い=良い病院と思いがち?。それよりも何よりも権威に弱い日本人。私だけかな?たとえば、末期ガンを患っていても、ガンの権威とか呼ばれる医師に「大丈夫、きっと回復する」と言われたら、直っちゃうみたいな感じで、量産産科であっても、妊婦数が多い=良い病院=安心みたいな感じじゃないでしょうかね。

安産家系(でも、奥さんは家系じゃないですね)なんですね。うちのは、うえの子の時は、そりゃもう大変。陣痛の苦しさを私に逆ギレ。怖かったっす。感動も何もあったもんじゃありませんでした。出産中に夫婦喧嘩ですよ。下の子の時は、仕事の都合で不在でした。義母に嫌味をさんざん言われ、出産には良い思い出はありませんでした。ドラマでやるような感動も無かったし。「このサルは何?」って感じでした。中々、出なくて吸引されまくって頭がとんがってるし、ミスタースポックかと思いましたよ。それが、初めて我が子を見たときの印象でした。3ヶ月が過ぎ、半年、一年、三年と時が過ぎるに従って、可愛くて可愛くて、情が湧くというのは、こんな事でしょうね。今の愛情は、ノーコメントになりがちです。

投稿: やっ | 2008年11月 3日 00:41

私は庄内に住んでいて、最近お産をしました。酒田には今2つしかお産出来る病院がないらしいですよ。以前はたくさんあったのに。だから酒田の方々も遊佐の方々も鶴岡の産院を選ぶ場合がとても多いんです。高齢出産は増えるばかりでとてもリスキーな上に少子化でどんどん産院が減ってきてます。この度生まれた私の娘がお産するころには、陣痛がきたら山形市まで行かなくちゃならなくなってるんじゃないかと、とても心配です。
ローカル色たっぷりですみません。

投稿: shun | 2008年11月 3日 00:44

やっ さん:

出産って、個人差が大きいんですね。
(出産に限ったことじゃないんでしょうけど)

ただ一つ言えることは、私たち夫婦は、大きな病院での出産はしたくなかったということです。

何が悲しくて、そんなところで出産しなければいけないんだ? という感覚でしたね。

だから、次女の時は自宅出産にしたんです。
周りには驚かれますが、ちょっと前までは当たり前のことでしたからね。

投稿: tak | 2008年11月 3日 01:18

shun さん:

>酒田には今2つしかお産出来る病院がないらしいですよ。

酒田もそんな状況ですか。

これはもう、自宅出産しかないな。
何も、病院で産まなきゃいけないなんて法律はないんですから。
(もちろん、定期的な検診はした上での話ですが)

投稿: tak | 2008年11月 3日 01:21

「自然なお産」がしたくても、体質的にそうできない女性もたくさんいます。
もしくは、体質的に問題がなくても前置胎盤のようなトラブルで自然出産できなくなってしまうとか。
昔なら母子共に死んでいたような事例が医療の力で助かっていて、乳幼児死亡率や産婦死亡率が少ない結果になっているわけですから、何でも「自然が一番」で片付けて欲しくないと思います。
私も個人産院での出産を予定していましたが、体質的なトラブルのために病院で産まなくてはならなくなったクチです。下手すればもっと大きな病院(新生児救急医療のある所)に搬送されるところでした。
好き好んでこんな目に遭ったわけじゃないんですけどね。

投稿: karin | 2008年11月 3日 14:56

karin さん:

>「自然なお産」がしたくても、体質的にそうできない女性もたくさんいます。
>もしくは、体質的に問題がなくても前置胎盤のようなトラブルで自然出産できなくなってしまうとか。

言葉足らずだったかもしれません。
そうだったとしたらごめんなさい。

別に問題がなくても大きな病院でお産をしたがる風潮に、疑問を呈しました。

フツーのお産だったら、自宅でもできる。
そうでない人のために、病院は開けておけと、
私の意識は、そういう感じなんですよね。

地震などの大災害が起きると、
電話がつながりにくくなります。
本当に必要な人のために回線を確保するという意味で、
単なる義理みたいなことで電話なんかするなと、
そういうのと似てます。

投稿: tak | 2008年11月 4日 01:10

>刑事事件にしないで、保険会社が粛々と代理交渉をして、
>さくさくと相場の慰謝料を払うというシステムにしてしまえば、
>問題はかなり減ると思うんだがなあ。

医師用の賠償保険はあるんですが大赤字だそうです。
制限を1日当たりの患者数に掛けたりと、頑張るお医者さん=リスキーな顧客とみる傾向もあります。

医療訴訟(民事)自体も、過失の立証が困難なので審理は長期化しがち。
半分くらいは今でも和解で済んでますが、どうしても最後まで突っ走るものも残ります。(その場合、医療を知らない人間が下した判例が残るので別の面倒を引き起こしたりします)

なので相場を決めても、どれに該当するかを判断する必要があるので
今と手間はさほど変わらないか、よほどシンプルなもの、それこそ医療訴訟の禁止と併せねば機能しないものになりそうです。
結局、本当に過失があった場合の扱いが難しく、その他の要因が絡んで話をこじらせている気がします。十分な資金があれば「お金で解決」という楽な道も選べるんですが、現状の保険ではそれも難しい。


まずは医療の透明化をすすめて、審査の高速化・不信から訴訟に至るケースを減らす事が必要だと思います。ただ医療事故の4割はヒューマンエラーという話もあり、透明化に伴い明らかになる過失の扱いも注意が必要です。委縮・防衛医療などはそれに失敗した最たる例でしょう

おそらく医療崩壊に対する特効薬は湯水のように資金を注入する以外ないと思います。それが出来ないのであれば対処療法。医師と患者の関係を改善することに力を注いだものであるべきだと思います。
まさにtak様のエントリー通り、
「個別の落とし前と、全体の利益」
医師・患者の両方で考える必要があるんでしょうね。

投稿: ニット帽 | 2008年11月 5日 07:04

ニット帽 さん:

私の知らなかった情報、いろいろとありがとうございます。

いやはや、難しい問題なんですね。

一番深いところにあるのが、「医療不信」 なのかもしれません。
医者って、全てではないですけど、滅茶苦茶エラソーで、客商売と思えないようなところがあるから ^^;)
さらに、忙しすぎるので、つっけんどんにもなるんでしょうけどね。
悪循環ですね。

単純に医師を増やしても、耳鼻科と内科ばかり増えてもしょうがないですからね。

投稿: tak | 2008年11月 5日 12:07

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