『唯一郎句集』レビュー #1
9月 27日の記事で、私の祖父(母の実父)が自由律の俳人だったことを書いた。当時は天才とまで呼ばれていたらしい。
句集は長く私の実家の本棚にあったのだが、先日帰郷した際に、「じっくり読んでみたいから貸して」と、つくばの地に持ってきた。折を見てちょっとずつレビューしてみたい。
祖父は俳号を「唯一郎」と称した。本名が「猪一郎」だからそれにちなみ、「唯一」 (uniqueness) という意味もかけてこの俳号にしたんだろうと思う。ちょっとしたセンスだ。
生まれたのが明治 36年で、17~18歳ぐらいの時に、朝日俳壇に投稿を始め、10~12句が掲載される中で、いつも欄頭の 4~5句を占め、「地方都市に天才現る」と騒がれたらしい。
ところが、唯一郎が句作に没頭したのは 25歳ぐらいまでのことで、そのキャリアは 10年に満たない。自身も句帳というのをもたず、作りっぱなしだった。「私の俳句は排泄物に過ぎない、その場限りのもので、書き残すことも、記憶に留める用のないものだ」と言っていたと聞く。
句作を男子一生の仕事とも思っていなかったようで、20歳で父を亡くしてからは家業の印刷屋を継ぎ、自身も昭和 20年の終戦の年に 48歳で死んだ。昭和 27年生まれの私は、だから祖父の顔を句集に載っているたった 1枚の写真でしか知らない。なかなかハンサムで、どこか母に似ている。
生前の同人が中心になって、昭和 36年に「唯一郎句集」が自費出版された。遺族の家業が印刷屋なのだから、印刷そのものはお手の物だが、なにしろ、句帳を持たない人だったので、作品はあちこちに散逸していて、集めるのが大変だったらしい。
その中で、"「朝日俳壇」時代" (大正 10年頃と思われる)というカテゴリーにある俳句の中から、「これはとくにいいな」 と思ったものを以下に挙げてみよう。
湯豆腐つつく箸先の光りこの夜
うすら淋しきは淡雪の日の暦はぐり
冴えし夜の四つ角にて嘘を言ひしが
若い神楽師が何か淋しくて祭りの街中
ひそかに蚕室に入ればわが命いみぢく
桑の葉一枚摘み桑の葉かたかりけり
夏の海を見下ろしてから階段を飛ぶように下り
私は基本的には、自由律俳句というのはあまりぴんと来ない。何しろ、別宅サイトの和歌ログで、歴史仮名遣いの歌を詠んでいるぐらいで、どちらかといえば様式美が好きなのだ。
しかし、そうした偏見なしに改めて句集を読み返すと、なるほど、いい句がたくさんある。その中でとくに気に入ったものを、今回は七句選んでみた。まだ二十歳前のみずみずしさの中に、どこか老成したような透明感も漂っている。
「桑の葉~」 の句のように、何でもない即物的な言葉の中に感慨を込める手法というのは、なかなかのものだ。このレビューを繰り返すうちに、私の和歌の方もなんだか影響を受けてしまいそうな気がする。血がつながっているのだから、受けて当たり前という気もするが。
ちなみに、「和歌ログ」の方では近頃、自分の三十一文字を英訳したバージョンを加えるという試みを始めた。英訳版では、一応きちんと韻を踏むことを優先しており、そのせいで元の和歌とは似て非なるものになって、我ながらおもしろい。これなんか、国際版自由律和歌かもしれない。
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コメント
私には「冴えし夜の」が時代を超えて、打たれる感がありました。
相手は誰か?によっては
大正浪漫の趣も馥郁と。
すばらしいですね。
明治時代もそうですが、昔は精神年齢が高い(というか、今が低い)ということを再認識しました。
投稿: jersey | 2008年12月31日 01:17
jersey さん:
>私には「冴えし夜の」が時代を超えて、打たれる感がありました。
>相手は誰か?によっては
>大正浪漫の趣も馥郁と。
さて、相手は誰でしょう?
艶っぽく読めば、かなり艶っぽいですね。
でも、多分、酒田商業学校時代の作だし。
商都酒田では、私の父の出た酒田中学(旧制) よりも、商業学校が先にできて、できのいい子はみんなそこに入ったみたいです。
とはいえ、昔の学生さんもませてたのかもしれません。
私もけっこうませてましたから。
投稿: tak | 2008年12月31日 02:02
はじめまして。
いつも楽しく拝見させてもらっています。
重箱の隅つつきのような指摘ですが、
>生まれたのが明治 36年
>昭和 20年の終戦の年に 48歳で死んだ。
明治36年は1903年、昭和20年は1945年ですので、
おじいさまは42歳で亡くなられたことになります。
個人的には、
「うすら淋しき」「若い神楽師」「ひそかに蚕室」の3句には、
日常にふと感じられる哀感が込められているように思われ、
これを20歳前後で詠まれたおじいさまは
格調高い俳人だったのでは、と思いました。
投稿: escape | 2009年1月 8日 06:36
escape さん:
>明治36年は1903年、昭和20年は1945年ですので、
>おじいさまは42歳で亡くなられたことになります。
ありゃ、そうですね。
享年48歳と聞いていた気がするので、ついそう書いちゃったんですが、後でよく確認してみます。
ご指摘ありがとうございます。
>これを20歳前後で詠まれたおじいさまは
>格調高い俳人だったのでは、と思いました。
ちょっとヤバイぐらいですね。
早死にするのも道理みたいな気さえしてしまいます。
投稿: tak | 2009年1月 8日 09:06