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2008年12月 7日

オバサンたちの不思議な世界

先月 13日の "消費者からの不思議な電話" というエントリーでもちょっと振れたが、世の中には、"「お友達と同じ服が欲しいの」という女性" が結構多いようなのだ。

わざわざ品番を控えて、店に探しに行く。店で見つからないと、メーカーに電話してまで「どうしても同じのが欲しいの」なんて言う。

で、私は件の記事で、そうしたタイプの女性とは「あまりお近づきになりたくない」と書いた。だってそうだろう。「あなたの着てるそのお洋服、素敵ね」と言われたらうれしいだろうが、「同じお洋服、私も欲しいから、どこで買ったのか教えて」と言われ、あまつさえ、服をひっくり返してケアラベルに表示された品番まで調べられて、うれしい人がいるだろうか。

そもそも私は、「お友達と同じ服が着たい」というメンタリティからして理解できないし、信じられないのである。普通は、「お友達と同じ服は避けたい」と思うものじゃないか。

ところが、私は最近になって気付いたのである。「お友達と同じ服を着たい」と思うメンタリティは、もしかしたらあり得るのかもしれないということに。

私が以前ちょくちょくお邪魔していたブログ(今は消滅)を書いていた女性は、洋服を買うとき、店員に「これなんか、今、よく売れてますよ~」なんて言われた途端に、「いくら気に入ったデザインでも買う気がしなくなる」と書いていた。

それを読んだ私は、「それこそ普通の感覚」と思った。だって、他の多くの人と同じ格好なんて、したくないではないか。しかしよく考えると、それは「普通の感覚」ではなく、「ちょっとしたこだわり感覚」と言っていいぐらいのものかもしれないということに、最近になってようやく気付いたのである。

もしかしたら彼女は、「私はファッションに関しては、ちょっとこだわり派だからね」ということを、言外に表現したかったのではあるまいか。そのあたりをくみ取れなかったというのは、私はちょっとぼんやり過ぎたのかもしれない。

ただそれは別として、そもそも「今、よく売れてますよ~」というセールストークが頻繁に使われ、しかもそれが効果的なものであると多くの店員に信じられているということ自体、「他の人と同じ服を着たい」と思っている女性が多いということの証左なんだろう。

まあ、確かにそのシーズンのトレンドに乗ったスタイルをしたいという欲求はあるだろう。店員としては、「これが流行ですよ」という意味で言っているだけで、その言葉に乗ってしまえば、安心して服が買えるということはあるのだろう。

そして、「あなたの着てるのと同じお洋服、私も欲しい」というのは、そうしたメンタリティがちょっと高じたものなんじゃあるまいかと思い当たったのである。あるいは、そう言うことで、相手のファッション・センスを褒めたつもりになるのかもしれない。

ただ問題は、自分は 「あなたと同じお洋服、私も着たい」と思っても、相手の方が「同じ服をお友達に着られるなんて、嫌だわ」と思っているかもしれないということを、そうしたメンタリティの人は理解していないということである。その無神経さは、困ったものだと思うのである。

で、この問題に関する考察はここまでで一件落着だと思っていた。ところが、私の想定を遥かに超えるケースが、それほど珍しいことではないと最近知って、目が点になるほど驚いてしまったのだ。

というのは、「私の買ったお洋服をお友達 3人が気に入っちゃって、どうしても同じのが欲しいって言うから、売ってちょうだい」なんて、お店に言ってくる女性が結構いるらしいのだ。俄には信じられないが、本当らしい。

そのお店で売り切れだったりすると、案の定、今度はメーカーにまで電話して「同じ服を 3着売ってちょうだい。在庫がないなら、また作ってちょうだい」なんて言ってくるのである。

ちなみに、アパレルメーカーに直接電話して「服を売ってちょうだい」なんて言うのは、前にも書いたように、森永製菓本社に電話して「キャラメル売ってちょうだい」とか、ソニー本社に電話して「テレビ売ってちょうだい」とかいうのと同じナンセンスなのだが、オバサンとしては、そんなことお構いなしである。

話が横道に逸れかかったが、要するに私は、「あなたと同じ洋服が欲しい、着たい」 というお友達の不思議な要請を快く受け入れ、自ら店に掛け合ったり、メーカーにまで無茶なことを言ってきたりする女性が少なからず存在するということに、心の底から驚いてしまったのだ。このメンタリティをどう説明したらいいのか、私にはわからないのである。

もしかしたら「それ素敵ね。私も同じの欲しいわ」と言われることで、自分のファッション・センスが褒められたと思って舞い上がり、さらにお店やメーカーにまで掛け合うことで、「何て面倒見のいい私!」と、一種の女王様的陶酔感を味わうことができるのかもしれない。しかし、この程度の試論では、説明しきれているようには思えない。

こうしたケースを生じさせるオバサンの心理を上手に説明できる人がいたら、ぜひコメント欄に書き込んでもらいたいと、最後にお願いしておこう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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世間話」カテゴリの記事

コメント

おばさんです。
・・・が、オトモダチ同士で同じ服を着たがる心理はわかりませんね。
ストラップとか、その手の小物くらいならわかりますけど。
「お揃い」が好きな人って、学生時代にチームスポーツやってたとか、現役でソフトバレーやおかあさんコーラスとかやってて、ユニフォームを揃える感覚なのかもしれません。
子供の入ってるスポーツ少年団のお母様には「お母さんみんなでお揃いの応援Tシャツ作りましょ」って仕切ってる人とかいますし(勘弁して下さい!)

投稿: karin | 2008年12月 7日 15:54

えー
ファッションなんて、他人のマネはアレですけど、他人に「マネされる」のはすごーくカッコいいことなんじゃないですか。ファッションリーダーなんて。

投稿: Reiko Kato | 2008年12月 7日 16:11

あの人があんなに綺麗に見えるのだから、私が着たら更に美しく映える。という”あの人”を見下した心理?それが、おばさん。ゆえにおばさん。

投稿: やっ | 2008年12月 7日 16:24

ふと思ったのですが、同じものを欲しがるのは、
雑誌のモデルを見るのと同じ感覚なのではないでしょうか?

「この雑誌のモデルさんが着てるのと同じのが欲しい」
っていう心理と似てるのかと。
ファッション雑誌が売れるというのは、そういう事なんじゃないでしょうか。
ちなみに私は雑誌はほとんど読みませんが・・
(エスニックな格好が好きなため、自分に合う雑誌が無いのも理由のひとつ)

同じものが欲しいとまでは思いませんが、アジアン雑貨・服飾のお店の店員さんなんかのファッションを参考にしたりします。
ああいうストールいいな、私も買おうかとか思ったりします。

やっぱり、オシャレも最初は真似から始まるのかも。

投稿: シロ | 2008年12月 7日 19:59

補足です。
お友達というのは、手の届かないファッションモデルと違って、
身近なモデルになりうるのではないでしょうか?
体型も似ていれば、自分もあんなファッションいけるかも、みたいな感じで。

投稿: シロ | 2008年12月 7日 20:04


私は・・・と言う話になってしまって恐縮ですが

私はドレッシーなら英国のトラディショナルな服装、カジュアルなら、アメリカ風のジーンズにスニーカー、旅行中は探検家風?
そんな典型的な範疇で着こなしているつもりです

その範疇の範囲内でオシャレにしていたいのですが、自分なりの個性などほとんど意識したことがありません
強いて言えば、時計はカルティエとか、スニーカーはニューバランスとか、ドレスシューズはリーガルとか、そんな好みはあります
服装で自分の突出した個性を主張したいなどと思ったことがない、控えめだけれど趣味のいいもの、オーセンティックなもの、が好きな、保守派なんだなと今はじめて気がつきました

投稿: alex99 | 2008年12月 7日 20:34

karin さん:

>「お揃い」が好きな人って、学生時代にチームスポーツやってたとか、現役でソフトバレーやおかあさんコーラスとかやってて、ユニフォームを揃える感覚なのかもしれません。

祭りやイベントの 「何とか連」 で、揃いの浴衣とか半被とかを着るのと同じ感覚でしょうかね。

>子供の入ってるスポーツ少年団のお母様には「お母さんみんなでお揃いの応援Tシャツ作りましょ」って仕切ってる人とかいますし(勘弁して下さい!)

「仕切りたがり」 のオバサンの存在というのは、無視できないような気がしてきました。

投稿: tak | 2008年12月 7日 21:19

Reiko Kato さん:

>ファッションなんて、他人のマネはアレですけど、他人に「マネされる」のはすごーくカッコいいことなんじゃないですか。ファッションリーダーなんて。

ファッションの 「マネ」 と、「まったく同じ洋服を着る」 というのは、似て非なるものじゃないかと思うんですが。
どうなんでしょう。

投稿: tak | 2008年12月 7日 21:21

やっ さん:

>あの人があんなに綺麗に見えるのだから、私が着たら更に美しく映える。という”あの人”を見下した心理?それが、おばさん。ゆえにおばさん。

そういう心理がまったくないとは言えないでしょうね。
少なくとも、同じ服を着て 「あの人」 より見劣りすると思ったら、避けるでしょうからね。

投稿: tak | 2008年12月 7日 21:23

シロ さん:

>「この雑誌のモデルさんが着てるのと同じのが欲しい」
>っていう心理と似てるのかと。

モデルとしてのレベルを別とすれば、あり得るかもしれませんね。

>お友達というのは、手の届かないファッションモデルと違って、
>身近なモデルになりうるのではないでしょうか?
>体型も似ていれば、自分もあんなファッションいけるかも、みたいな感じで。

そうか、なるほど、ものすごく安心感のある (低リスクの) 模倣対象というわけですね。

>同じものが欲しいとまでは思いませんが、アジアン雑貨・服飾のお店の店員さんなんかのファッションを参考にしたりします。

こういう話なら、とてもよく理解できます。

Reiko Kato さんへのレスでも書きましたが、ファッションの 「マネ」 と、「まったく同じ洋服を着る」 というのは、似て非なるものじゃないかということで。

投稿: tak | 2008年12月 7日 21:28

alex さん:

alex さんのファッションは、ある意味筋金入りですから、オバサンの不思議な世界とは、何となく対極にあるような気がします。

投稿: tak | 2008年12月 7日 21:29

類は友を呼ぶではないでしょうか?
影響力の強い女性を中心に、影響されやすい女性が集合、その結果好みの相似した、
トップの意志が末端まで浸透する集団の発生。
(銀河の成り立ちみたい(笑)

群れている女性をみていると、何となくそのようになっている気がします。特に働いてい
ない主婦層だと、社会が狭いですからね。より濃密な集団になるんじゃないでしょうか?

ちなみに私は、そういうメンタリティとは無縁でして。。。
何せ、周囲の同年代にはほとんどいませんが、「相棒」の右京さんより前から、スリー
ピースとサスペンダーの愛用者です。
向こうの方がはるかに男前だけど。(笑)

投稿: 雪山男 | 2008年12月 8日 00:47

takさん

島田一男先生(小説家ではなく、心理学者の方の)がこんな要旨で自著に記載されておられます。

「女は、周りが持っているからという理由でピアノを買い、男は、周りが持っていないからという理由でピアノを買う。」

あくまで傾向でありましょうし例外は存在するでしょうが、私としては頷ける印象ですし、妙に納得できるような気もいたします。

島田先生という方、(亡くなられて十数年になりますが)女子大の教授で女性に接する機会は庶人の比で無かったとのことでした。

ご本人は、周りが思うほど羨ましくないよ、と仰せだったとか。さぞや気苦労が多かったのでしょう。こちらも頷けますね。(苦笑)

さて、周囲との同一性に安穏するという部分が母性的な部分の象徴であるとするならば、和平的な社会(集団)の維持に貢献するという見方もありますね。
一般論ですが、母性的な社会は和平的であるとされますから。象(の社会)がよく引き合いに出されますが。

>不思議な要請

彼女たちにとっては決して不快ではないのでしょうね。
同一性=横並びを重視すればこその面倒見の良さでありましょうか。
端的な言い方をすれば「母性=○○してあげる事」と言っても過言ではないですから。

まぁ、母性の無い女性というのもそれはそれで困った存在でしょうから(少なくとも私は遠慮願いたい)、面倒見の良いおばちゃんを見た時は遠く見守るくらいが丁度良いかな、なんてのが私見ですが・・・

しかし、社会の仕組みを理解しないままの戯言や愚行はご勘弁願いたいところではあります。

投稿: 貿易風 | 2008年12月 8日 01:54

雪山男 さん:

>類は友を呼ぶではないでしょうか?
>影響力の強い女性を中心に、影響されやすい女性が集合、その結果好みの相似した、
>トップの意志が末端まで浸透する集団の発生。

うぅむ、仕切りたがり屋を中心としたオバサン軍団。
目に見えるような気がしてきました。
(お近づきになりたくないなあ)

>特に働いていない主婦層だと、社会が狭いですからね。より濃密な集団になるんじゃないでしょうか?

コワイです ^^;)

投稿: tak | 2008年12月 8日 10:12

貿易風 さん:

>「女は、周りが持っているからという理由でピアノを買い、男は、周りが持っていないからという理由でピアノを買う。」

ふぅむ、なんとなく納得。

むっときてしまったジェンダーフリー論者の方は、
まず、こちら↓ を読んで冷静になってください。

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2005/09/post_33de.html

>彼女たちにとっては決して不快ではないのでしょうね。
>同一性=横並びを重視すればこその面倒見の良さでありましょうか。
>端的な言い方をすれば「母性=○○してあげる事」と言っても過言ではないですから。

なるほど、オバサンの仕切りたがりとは、「過剰な母性」 という側面があるかもしれませんね。
それって、とてもエモーショナルなものだから、理屈が通じないという困った面があります。

>社会の仕組みを理解しないままの戯言や愚行はご勘弁願いたいところではあります。

それで、こうなりやすいってわけですね ^^;)

投稿: tak | 2008年12月 8日 10:21

やっ さん:

自分で付けたレスへの重ねレスです。

>>あの人があんなに綺麗に見えるのだから、私が着たら更に美しく映える。という”あの人”を見下した心理?それが、おばさん。ゆえにおばさん。

>そういう心理がまったくないとは言えないでしょうね。
>少なくとも、同じ服を着て 「あの人」 より見劣りすると思ったら、避けるでしょうからね。

どうも、「あの人」 より見栄えがするか、見劣りするかとかいう意識よりも、強力な仕切りたがりリーダーの傘下にいるという安心感の方が優先してしまうのではないかという気がしてきました。

外部から見ると、オバサン軍団が同じ服着てるなんて、「異様」 以外の何者でもないと思いますが。

投稿: tak | 2008年12月 8日 10:42

日本人は一方で“種の多様性が重要”と標榜しつつ、内側では“横並びじゃないと…”という意識を持つ、2面性の国民なのですね。(なんちゃって)

 どちらも土俵が違っているから、全くの比較をすること自体ナンセンスですが、生活スタイルや信条といったものが無責任に多様化しているので、『他人にかける苦労=迷惑』などお構いなしの動きが発生しちゃっているんでしょうねぇ。

投稿: 乙痴庵 | 2008年12月 8日 12:28

乙痴庵 さん:

>どちらも土俵が違っているから、全くの比較をすること自体ナンセンスですが、生活スタイルや信条といったものが無責任に多様化しているので、『他人にかける苦労=迷惑』などお構いなしの動きが発生しちゃっているんでしょうねぇ。

「いいじゃん、何やったって、自由じゃん」
「かまわないでくれよ」
「どうせ大人は俺たちのこと、わかってくれないし」

わかってもらう努力もしないで、わからない方の責任にするのは、「説明しないでも、以心伝心でわかるのが当然」 という「横並び意識」 の名残なんでしょうね。

でも、はっきり言って、ちゃんと説明しなきゃ、わからないって。

投稿: tak | 2008年12月 8日 13:09

はじめまして。このおばさんたちの心理を説明できているかどうかは不明ですが、

「この」おばさんたちには
・「とても仲の良い」友達が着ている=あたしも着たい←着ていると安心する
・それ以外の人間たちが着ている=あたしとは関係ない OR そういう服は着たくない

という周りの人間を2分化する傾向があるのではないかと想像します。着たい洋服と着たくない洋服を2分するのではなく、「友達が着てる服」と「それ以外の服」の区別しかないので、我々(とは誰でしょう?)の感覚とは全く違う服選びをしているのではないでしょうか。残念ながらおばさんになった経験がないため、想像の域を脱しませんが。以上、駄文にて失礼致します。

投稿: ふる | 2008年12月10日 19:43

ふる さん:

>着たい洋服と着たくない洋服を2分するのではなく、「友達が着てる服」と「それ以外の服」の区別しかない

ちょっと意表を突いた仮説で、彼女たちがそれを明確に意識しているとは思えませんが、無意識の中にはあるかもしれませんね。

「友達が着てる服」というのは、つまり 「あたしらの服」 ってことでしょうね。
これまた意表を突いた喩えかもしれませんが、「入会地」 みたいなもんだから、仲間なら誰が着たっていいのよってな感じかな。

投稿: tak | 2008年12月11日 00:00

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受信: 2008年12月 7日 15:24

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