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2008年12月12日

「マーフィの法則」を巡る冒険

世の中には「マーフィの法則」というのがある。この法則の定義は諸説あるが、一般的には「失敗する余地があるなら、失敗する」という至ってシンプルなものだ。

発展型として、「落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」というのもある。

この素晴らしい定義は、Wikipedia の説明のしょっぱな辺りに紹介されている (参照)。この他にもいろいろなことが言われているが、私としては、「起こってほしくないことは、起こってほしくないタイミングで起こる」という風に定義している。

「1円玉マーフィー」ということについては、2003年 3月 9日の記事として書いた(参照)。コンビニやスーパーで買い物をすると、持ち合わせの 1円玉が、10回に 8回は 1枚足りないという法則である。以下に引用する。

コンビニでミネラルウォーターを買う。レジのお姉さんが 「136円です」 と言う。財布の中には、小銭は一杯あっても、5円玉は 1枚だけで、普段はあれだけ邪魔になる 1円玉が、そのときに限って 1枚もない。あぁ、1円玉がたった 1枚あればすっきりするのにと、ちょっとくやしい思いがする。

しかたなく、140円出して、4円のお釣りをもらう。財布の中には、小銭が 789円貯まる。かさばって仕方がない。しかし次は半端な金額でも大抵は払えるぞ。

お昼に讃岐うどんを食う。奮発して、トッピングにかき揚げと春菊天と玉子を付ける。そして、レジのオバサンいわく 「790円です」

このオバサンは悪魔である。仕方なく 1000円札を出して 210円のお釣りをもらう。これで、財布の中の小銭は、999円。次の買い物こそ、どんな半端な金額でも、気持ちよく、ちょうどの金額を払えるはずだ。

帰りにスーパーに寄り、ケータイで妻に頼まれたしょうゆと胡椒を買う。レジのお姉さんいわく。「ちょうど1000円です」

ことほど左様に、人生というのはなかなか機微に満ちたものなのである。さらに近頃、私は、「狭い道で対向車が来るタイミングのマーフィ」 というバリエーションも発見した。

私は朝、常磐線取手駅の近くに借りた駐車場まで車で行く。県道は混雑するので、田んぼの中の抜け道を通る。距離にしたら少し長くなるが、信号がなく渋滞しないので、時間的にはずっと早く着けるからだ。

ただ、この道は狭い。そしてところどころ、自転車通学の高校生たちが走っている。この自転車の一群は、普通はあっさりと追い越せるのだが、向こうから対向車が来るとそうは行かない。

そして、不思議なことに、この自転車の一群を追い越そうとするときに限って、必ず対向車が来るのである。田んぼの中の、がらがらに空いた道なのに、対向車は私が自転車の一群を追い越そうとするのを見計らったように現れるのだ。

そしてさらに、その対向車は私が無理矢理はみ出してきはしないかと用心するらしく、極端にスピードを落として、なかなか行き過ぎてくれないのである。私は「さっさと行けよ!」と心の中でつぶやきつつ、しばらく自転車の一群の後ろに付いてのろのろ走ることになる。

それだけではない。田舎道とて、ところどころ路肩が崩れて少し陥没している。その部分は左端を走るのが危険なので、真ん中に寄らなければならない。しかし、そんなときも必ず、見計らったように対向車が来るのである。私は陥没地点の直前で徐行し、対向車が行き過ぎるのを辛抱強く待たなければならない。

そしてこんな時も、対向車は私が徐行するのを見て、とりあえず用心するらしく、自分もスピードを落とす。私はまたしても「 さっさと行けよ!」と心の中でつぶやくことになる。マナーの悪い車は、対向車に急ブレーキをかけさせてまで障害物をよけて真ん中に寄りたがるので、向こうも用心するのだろうから、しかたがないのだが。

これらは時間にすればほんの数秒なのだろうが、朝の急いでいる時間帯だけに、妙にイライラしてしまうのである。そしてこの程度のイライラだからこそ、「マーフィの法則」とか言って、ちょっとだけ楽しめるのである。

ところが、命に関わるような重大な問題は、あまり「マーフィの法則」とは言わない。逆に、ちょっとした巡り合わせのおかげで、大怪我や事故死に至るのを救われた経験が、私には少なからずある。

そういえば、例の地下鉄サリン事件の時だって、私はその前年に転職して勤務先が変わっていたために、被害に遭わずにすんだ。妻はあの時、私と連絡が取れるまで死ぬほど心配したらしいが、私は妻からの電話を受けるまで、事件についてまったく知らずにいた。

「マーフィの法則」と言いたくなるようなほんの小さな不運は、大きな幸運を得るため、あるいは大きな不運を避けるための貯金みたいなものかもしれない。そう思えば、それほどイライラしなくても済む。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

国道迂回の細道で、電信柱が出ているところで、すれ違いしているのは、アタクシぐらいなもんだと思ってました。


妙に合点がいきやしたぜ。

投稿: 乙痴庵 | 2008年12月12日 14:22

そうです。そうです。そんなことがありますねえ。
納得。納得。でもいつでも私は、
 『女の下手な運転!』と思われたくない。
 『おばちゃんの無神経な運転!』と思われたくない。
と、そのマーフィーの法則に私は付け加えて考えてしまうのです。だからいつでも運転の常識を意識してはいるのですが。
でもその常識よりも基本の基本は、安全への配慮ですよね。
なんだか、今日の拓明さんの記事は心理を突いてて面白い。

投稿: keicoco | 2008年12月12日 15:47

「マーフィの法則」とは、本人にとっては深刻でも、社会的には取るに足らない偶然をことさら
取り上げて、笑ってしまうということですね。
命に関わる重大なことは、「運命」とか「奇跡」とか言われるんでしょうね。
(どうも「運命」という言葉を使うのは好きではありませんが。)

ところで、これは私の実体験ですが、
「外食でカレーを食べた次の食事は、かなりの確率でまたカレーである。」

というのも、私がカレーが大好きということだけなのですが。
(毎日一食はカレーでもかまわないぐらいなので)

投稿: 雪山男 | 2008年12月12日 15:55

マーフィの法則を回避するには、常にハインリッヒの法則を。
1件の運が悪い事には、29件のちょいヤバがあって、300件の取るに足りないヤバ!があるそうです。って、法則関連で無理やりこじつけてしまいました。

投稿: やっ | 2008年12月12日 16:44

「1円玉マーフィーの法則」は、数学の得意な人なら証明できるかも知れませんね。
私は小銭入れを使わず直接ポケットに入れているので、わりと切実な問題です。
こないだ買い物を済ますと奇跡的に小銭が全くなくなるということがありました。が、すぐ買い忘れたものに気付いてしまったので、その快感は数分間しか維持されませんでした。

投稿: きっしー | 2008年12月12日 18:09

乙痴庵 さん:

>国道迂回の細道で、電信柱が出ているところで、すれ違いしているのは、アタクシぐらいなもんだと思ってました。

やっぱり、みんなちょっとだけいらっと来てるのね ^^;)

投稿: tak | 2008年12月12日 18:30

keicoco さん:

>『女の下手な運転!』と思われたくない。
>『おばちゃんの無神経な運転!』と思われたくない。

一番目はとくに背伸びして意識する必要はないと思いますが、二番目は、正直に言うと、意識してもらいたいなあと思うことがよくあります。

意識されている keicoco さんは、立派です。

投稿: tak | 2008年12月12日 18:33

雪山男 さん:

>「外食でカレーを食べた次の食事は、かなりの確率でまたカレーである。」

あるある (^o^)
カレーを食べた日に限って、夕食はカレーだったりします。

家族の心理として、「そろそろカレー食いたい」 とシンクロして思ってしまうんでしょうか。

投稿: tak | 2008年12月12日 18:36

やっ さん:

1件の事故の裏にはかなりの数の 「ひやり、はっと」 があるとも言われますが、ハインリッヒの法則というのは初耳でした。

ただ、マーフィの法則は、その 「ひやり、はっと」 の方を重視しているような気もします。

投稿: tak | 2008年12月12日 18:39

きっしー さん:

>「1円玉マーフィーの法則」は、数学の得意な人なら証明できるかも知れませんね。

いやはや、計算が得意なくらいなら、苦労はしません ^^;)

>こないだ買い物を済ますと奇跡的に小銭が全くなくなるということがありました。が、すぐ買い忘れたものに気付いてしまったので、その快感は数分間しか維持されませんでした。

これぞ、まさにマーフィの法則を体現してますね。

投稿: tak | 2008年12月12日 18:42


私はこういう姑息な (笑) 法則には興味がありません
ピーターの法則とか、パーキンソンの法則には敬意を払いますが、これはただの遊びだったり、皮相的な・・・
まあ、いいや

言い過ぎかな?

投稿: alex99 | 2008年12月12日 21:41

alex さん:

>ピーターの法則とか、パーキンソンの法則には敬意を払いますが、これはただの遊びだったり、皮相的な・・・

確かに、遊びです (^o^)

投稿: tak | 2008年12月12日 22:25

はじめまして。いつもコラムを感心しつつ、楽しませてもらっております。

車は(わざわざ)狭くなったところですれ違う、というのは、ある程度説明がつけられます。

電柱などで狭くなっているところを通るとき、スピードを落とす(傾向がある)ので、普通に走っている場合に比べて、距離あたりに通過にかかる時間が長くなります。

したがって、対向車とすれ違う確率も高くなるのです。対向車も同じように速度を落とすので、余計に重なってしまいます。

さらに、狭いところですれ違いたくないのにすれ違わざるをえない、という、心理的なストレスからも、余計にそのことが記憶に残り、いつもそうなってしまう、という気になってしまうのではないかと思います。

投稿: hiji | 2008年12月13日 18:54

hiji さん:

なるほど。
そういうことなんでしょうね。
得心しました。

投稿: tak | 2008年12月14日 16:28

新橋にある以前食べた餃子専門店に再度行ったら、閉店してました。
どうしても『餃子』!的気分になってしまったので、青梅街道沿いにある某有名餃子店に行ったら、予約でいっぱいで入れませんでした。
じゃぁ、と言う事で、良く行く近所の割と旨い中華料理屋に行って餃子を頼もうという事になり、行ったら、改装中でした。
これって、マーフィーの法則でしょうか。
それとも普段の行いでしょうか。

投稿: sna | 2008年12月23日 23:20

sna さん:

お気の毒に ^^;)
決して普段の行いじゃなく、マーフィの法則だと信じてください。

投稿: tak | 2008年12月24日 08:34

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