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2008年12月31日

「徳山托鉢」 を考えてみる

大晦日なので (どうして「なので」なのかはどうでもいい)久しぶりの「無門関」ネタである。今日は第十三則「徳山托鉢」だ。

この公案は、実はまったくもってよくわからんのである。わからないのだけれど、何となく想像力を刺激されて、ちょっと楽しくなってしまう話で、私は好きなのだよね。

ある日、徳山老師が托鉢して(食器をもって)ノコノコと食堂の方に降りてきた。すると、食堂係の筆頭、雪峰という生意気盛りの禅僧が「まだ食事の時間じゃないっすよ。合図の鐘も太鼓も鳴らしてないのに、一体どこに行らっしゃるわけ?」となじった。すると、徳山老師は何も言わずに、素直にそそくさと自分の部屋に帰って行った。

この徳山という人は、実はすごい人で、若い頃は「徳山の棒、臨済の喝」と言われたほど、厳しい指導をする禅師だったのである。そのすごい人をやりこめちゃったので、雪峰は得意になって、先輩の巌頭に 「どんなもんだい」と自慢した。巌頭はそれを聞いて「ふぅん、あのじいさんも、まだ末後の句をものにしてないみたいだね」と言った。

巌頭は、徳山の跡継ぎになったほどの偉い坊さんなのだが、どういうわけか、こんな乱暴なことを言ったのである。「末後の句」というのは、悟りの最終段階の言葉というような意味らしい。つまり「さすがのじいさんも、まだ悟りが足りないのかもね」と言っちゃったのだ。

そんな話を聞き及んだ徳山老師は巌頭を呼びつけ、「お前、一体どういうつもりじゃ」と問いただした。すると巌頭は徳山老師にひそひそと耳打ちした。すると徳山老師、なんだかしらないが納得してしまった。

その翌日の陞座(しんぞ: 講壇での説法)で、徳山老師の説法が尋常ではなかった。この「尋常とは同じからず」というのが、「いつもよりずっと素晴らしかった」という解釈と、「ボケボケで居眠りしてしまった」という解釈とがあるようなのだが、私はどっちが正しいんだかわからない。どっちもありと思う。

で、この尋常じゃない説法」に接した巌頭は、拍手、大笑いして「老師は末後の句をものにしたぞ。今後、誰も老師に敵わない」と喜んだというのである。

そして無門和尚はこれを評して、いつもの辛口で「こんなのが末後の句というんなら、大したことないね」と言っている。「安っぽい人形芝居みたいなもんじゃないか」と。

この無門和尚の評から類推すると、徳山と巌頭は、近頃ちょっと生意気の過ぎる雪峰をやりこめるために、一芝居打ったんじゃないかという気もするのである。演出は巌頭。素晴らしい天然アドリブによる主演は、徳山老師。

徳山老師、歳のせいで食事の時間を間違えちゃって、それを指摘されたら素直に引き下がった。このあたり、「棒の徳山」なんて言われていた頃と違って、すっかり丸くなっていたようなのだ。

何か言われたら何倍にもして言い返すという臨済禅のメソッドを超越したのか、単にボケが入ってたのか、どっちだかわからないが、ともかく間違いは間違いとして素直に認める度量を身につけていたわけだ。

というような状況で、雪峰はそのあたりに思いをいたさず、「あの徳山をやりこめちゃった俺が、ここにいる」てな感じで舞い上がってしまったわけだ。こいつ、全然まだまだなのである。で、巌頭は徳山老師に耳打ちして、「明日はちょっといいとこ見せてやってください」とかなんとか言ったのかもしれない。

そんなことがあった翌日の陞座、徳山老師は素晴らしい説法をしたんだか、ぐうぐう居眠りしちゃったんだかしらないが、まあ、どっちにしても、他に真似のできないパフォーマンスをした。それを見て、巌頭は「やってくれちゃったね!」と、大笑いして喜んだというわけなのだ。

私は、徳山老師が壇上で堂々と居眠りしちゃったという説の方がおもしろいと思う。「じいさん、近頃めっきりボケちゃったね」と思われてるんなら、いっそボケボケ・パフォーマンスでたたみかけた方がいい。悟りもいい加減深まっちゃうと、こんなにもこだわりがなくなるもんだという、最高の表現だ。

まあ、この天然ボケパフォーマンスを評して、無門和尚は「人形芝居みたい」と言ったのかもしれないが、その裏には、徳山老師と巌頭禅師の深い信頼関係があると思う。「師匠のボケボケは、並のボケボケじゃない。私はそこに深い意味を見出しちゃうよ」ってな感じだ。

こういうの、私は好きだなあ。「末後の句」は、それまでの人生の中で既に語られているのである。

というわけで、みなさん、よいお年を。

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