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2008年12月17日

ハンコ・元号・縦書きについて

池田信夫氏がブログで 「ハンコ・元号・縦書きをやめよう 」 と主張され、それに対して松永英明氏が「絵文録ことのは」上で、 やんわりと反論(参照)しておられる。

伝統的保守派を自称する私としては、自分のサイトでは元号を使っている。ブログの方は、西暦がデフォルト仕様で仕方ないのだが。

まあ、私のサイト上の表記にしても、「平成〇年〇月〇日」という形式ではなく、「H〇年…」という略式なので、偉そうなことは言えない。7年近く前のサイトのスタート時に、なんで 平成」と書かずに「H」なんていう略式にしたのかという理由は、全然思い出せない。ふと気が付くと、こんな表記になっていた。

MS-DOS 時代の何でも省略してファイルサイズを小さくしたがる習慣から脱皮していなかったんじゃなかろうかとも思うが、行きがかり上、そのままで通している。私はその程度の「ゆるい」元号派といっていいだろう。

で、なんで私が「ゆるい」とはいえ元号派なのかというと、元号のもつ感覚が好きだからである。「平成〇年」という方が、なんとなくしっくりくる。さらに「安政〇年」とか「寛永〇年」とかの古文書なんかをみると、心が躍る。

それから、高校時代に(労働者でもなかったのに)たまたま聞きにいった某労組のオルグ集会で、「我々労働者は、元号という因習は廃して西暦を使わなければならない」なんて演説していたオッサンが嫌な感じのやつだったので、「元号のどこが因習なんだ?」と反感を覚えたことも、理由の一つかもしれない。

余談だが、若き日の私は自ら進んで労組のオルグを聞きに行くぐらいに左がかっていたこともあったのだが、左がかった人の話を聞けば聞くほど、そっちの世界に嫌気がさしてしまったのだった。

話を戻す。独自の年号を使うのは世界でも少数派だというが、それならかえって、その独自性を大事にしたいものである。レアものは、大抵値打ちがある。私の場合は、自分のサイトで元号を使っても、ブログが西暦表示してくれるので、変則的な「元号・西暦併記」になっているから、勝手によしとしておこう。

それからハンコに関しては、「ハンコにはハンコの便利さがある」と言っておこう。

サインでなければならない西欧型の外資系企業だと、「上司が 2週間の海外出張中」とかだったりすると、どうでもいい形式上だけの決済がもらえなくて、案件が滞ってしまったりする。これがハンコだったら、上司が出張先から秘書にメールを入れて、「ハンコ押しといて」と頼めば案件はサクサク進む。

私は団体勤務の経験が長いのだが、年次総会議事録を管轄官庁に提出する場合など、30数人の理事全員のサインが必要だなんていったら、大変なことになる。実際には全員のハンコ(もちろん三文判だが)を事務局で預かっているので、機械的に捺印して提出できる。こんなの、どうせ形式上だけのことだし。

ハンコ文化というのはいかめしいようでいて、結構ゆるい。この「ゆるさ」のおかげで、形式的などうでもいい部分は、サクサク運んで効率がいい。おかげで、手続きが単なる形式だけに流れがちで実体が伴わないというのは、また別の問題になるが。

縦書きについては、私は「和歌ログ」なんてこともやっているので、本来ならインターネットにおいても標準で縦書きをサポートしてもらいたいぐらいのものだ。

「和歌ログ」の横書きは、私としては不本意なことなのだが、無理矢理縦書きに変換するのは毎日のこととて面倒だから、横書きのままなのである。この辺りも、わたしのやり方 「ゆるい」と言えそうだ。

私としては、横書きの文章を読むより縦書きを読む方が、目が疲れないと思う。人間の目は、視線を左右に振りながら徐々に下に向かうより、(普通の本のサイズなら)上下に振りながら徐々に左に向かう方が楽なようにできているんじゃなかろうか。まあ、これは個人的印象なので、「俺は違う」という人がいても不思議はないが。

ただし、「人間の目は横長なので、横書きの方が目が疲れないはずだ」なんていう寝言は止めていただきたい。瞳孔が横長というなら納得するが。

さらに、手書きの場合、見るからに「達筆」というのは縦書きに限る。横書きの字を上手に書けても、きちんとした字のくずしかたができる人は少ない。やはり歴史仮名遣いの縦書き草書に親しんでおく方が、日本語の本質に迫れると私は思っている。

とはいいながら、ハンコの場合を除いて、究極的には好きずきの問題なんじゃなかろうかと私は思う。その上で自分の趣味としては、元号と縦書きを大切にしたいということだ。

ハンコの場合を除くというのは、こればかりは「好きずき」では済まないだろうからだ。日本社会がハンコを止めて完全にサイン文化になってしまったら、急にはまともに機能しなくなってしまうだろうと思う。

数年前のことだが、ある店でクレジット・カードで買い物をしてサインしたところ、店員に「これでは読めないので、ちゃんと読める字でお願いします」と言われ、目が点になるほど驚いたことがある。人格を否定されたような気がした。

「だって、それが私のサインなんだもの。ほら、カードの裏のサインと同じでしょ」と言うと、その店員は「上からの指示で、読みやすい字で署名していただけるようお願いしております」と言い張る。馬鹿な「上」がいるものである。

あまりのことにあきれ果てて、「どうしてもというなら楷書で書いてもいいけど、後になってから『それは私のサインじゃない』と言って、支払い拒否しちゃうよ。それでもいいんだね」と言ったのだが、どうも理解できてないようだった。

その時、もちろん私は自分のサインで押し通したのだが、言われるままに楷書で署名し直した人もいたに違いない。そして、その場合でもきちんとクレジットの支払いは行なわれていたわけだ。でもそれじゃ、サインの意味が全然ないじゃないか。

ハンコを廃して、サインの文化を日本に本当に根付かせようとしたら、かなり時間がかかるだろう。なにしろ signatureautograph の区別もついてない人が多いんだから。

【2022年 1月 25日 追記】

生まれてから長い時間が経って、昭和、平成、令和の年号を経験してしまうと、数字に弱い私としては、「あれ、今年は令和何年?」なんてわからなくなってしまうことが多いので、最近は諦めて西暦を多用するようになってしまっていることを報告させていただく。

 

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比較文化・フォークロア」カテゴリの記事

コメント

takさん

>「これでは読めないので、ちゃんと読める字でお願いします」

私も似たような経験があります。

私の場合は草書体では無く、ローマ字表記を崩したものを一時多用していたのですが、失礼な店員が「(アナタは)外人ですか」などと訊いてきまして。
(仕事上でローマ字表記の署名をする必要が多々あったため、自分でデザイン考案をしてました)

その頃はまだまだ若かったので、「この典型的日本人のローマ字表記の何処を如何読めばガイジンになるんだよ!」と毒づいてしまいましたが。(笑)

よくよく考えてみれば、カード裏の署名をカード会社が画像確認してるワケでも無いので、楷書表記である方が都合が良い事は判らんでもないですが。

海外へ行くようになってからは、クレジットカード決済時の署名専ら漢字・楷書で署名しています。何でも、ガイジンには一番模倣し難い文字なのだそうで。>漢字

但し、最近は漢字の国のタチの悪い輩も大勢いますので安心は禁物でしょうが。

投稿: 貿易風 | 2008年12月17日 21:19

外国でも姓名のスペル通りに読めるようなサインを求められる場合があります。ただし、それはサインをしながら各文字が確認できるようにするという事ですから、普段のサインもそれなりであるべきだという前提があるといえます。もう一つ頻繁に使われるのがイニシャルだけのサイン、これは三文判のようなものでしょう。もちろん、印鑑証明と同じく、サイン証明というのもあり、これはお役所に届けておくものです。
私も美しいサインをする事だけにはなれましたが、いつも完璧には行かないですね。

投稿: jeienne | 2008年12月17日 21:48

takさん

人間の視野角は左右200度、上下が135度程度といわれておりますので、一般論としては横方向に見やすいとされます。PCやTVのモニタが横長なのはその意味では理に適っています。

が、注視の状態では上下左右各20度から30度程度となりますので、きちんと物を識別しようとする場合はそれほど差は無いともいえます。(正面中央部でしか鮮明に識別できないので)

視線を動かしたり、首を動かすにも上下方向より左右方向の方が楽とされています。これは感覚的にも分かっていただけるかと。

運転時、クルマよりバイクの方が疲れがちな理由のひとつとして、クルマ運転時の視線移動には左右方向のそれがほとんどであるのに対して、バイクの場合は着座姿勢が前傾となるため、上下方向の視線移動が必要となる部分があるくらいです。

書物の縦書き横書きの部分は、慣れの部分が大きいかなという私見です。
日本語について云えば、縦書きも横書きも歴史的経緯も文化的継承もありますから、どちらも尊重されて然るべきと考えますし。但し、内容が伴わないものは何やったところで駄目ですが。(笑)


投稿: 貿易風 | 2008年12月17日 22:01

貿易風 さん:

>その頃はまだまだ若かったので、「この典型的日本人のローマ字表記の何処を如何読めばガイジンになるんだよ!」と毒づいてしまいましたが。(笑)


わはは (^o^)
私も毒づきそう。

私も前に外資系に勤めていた頃、コーポレートカードを持たされていたため、個人のカードでの支払いは漢字、コーポレートカードでの支払いはローマ字表記と使い分けてました。
(ついうっかりして公私混同に陥らないために)

ローマ字サインをすると、確かにちょっと変な目で見られがちだったように思います。

>よくよく考えてみれば、カード裏の署名をカード会社が画像確認してるワケでも無いので、楷書表記である方が都合が良い事は判らんでもないですが。

あれは、店頭の支払いの際に、店員がちゃんと見比べて判断するんでしょうね。
日本のレジのおねえちゃんは、サインする前にカードを返してくれちゃったりしますが、あれはこっちの方がちょっとドキドキしてしまいます。

最近はサインレスの暗証番号方式が増えて、精神衛生的には楽になりました。

投稿: tak | 2008年12月17日 22:44

jeienne さん:

>外国でも姓名のスペル通りに読めるようなサインを求められる場合があります。

ほほう、私は経験がありません。
もっとも、最近はサインレスが多くなりましたけどね。

>もちろん、印鑑証明と同じく、サイン証明というのもあり、これはお役所に届けておくものです。

そのためには、サインの練習が必要でしょうね。私なんか、サインのたびに微妙に違っちゃいますから、そうなったらヤバイです。

投稿: tak | 2008年12月17日 22:48

貿易風 さん:

>注視の状態では上下左右各20度から30度程度となりますので、きちんと物を識別しようとする場合はそれほど差は無いともいえます。(正面中央部でしか鮮明に識別できないので)

そうですか。差はないんですね。

じゃあ、縦書きの方が読みやすいのは、慣れの問題なんでしょうね。

あるいは、縦書きを読む方が眼球を動かす筋肉にとって、適度の運動になっているとか ^^;)

まあ、いくら縦書きを読むときでも、首までは動かしませんしね。
(ビルの壁面の垂れ幕なら別でしょうけど ^^;)

投稿: tak | 2008年12月17日 22:52

ハンコは必要ですね。縦書きは、あった方が良いと思う。横書きの芥川龍之介を想像してみたら、なんかポエム?みたいな感じがするような気がしました。元号は、絶対に無くさないで欲しい。もう、嫌々ながら何の役にも立たない歴史上の出来事、応仁の乱とか安政の大獄とか、今の学生も覚えるのに苦しむがいい!。

クレジットカードの店員さんの話。私も同じ経験しました。もしかして「丸イ丸い」がトレードマークの店じゃないでしょうね。店のトレードマークのローマ字読みで「オイオイ(OIOI)」と言っちゃいました。ちなみに有楽町店。

投稿: やっ | 2008年12月18日 01:44

クレジット・カードのサインに漢字を使うのも良し悪しだと聞いたことがあります。非漢字圏の人がレジをやっている場合、それらしい「字」が書いてあると思考停止でパスしてしまうそうです。
もっとも、私の英字のサインだって毎回ブレまくっているので、どうでもいいのかもしれませんが。

投稿: きっしー | 2008年12月18日 11:25

元号は日本の歴史そのものですからね。切り離せないんじゃないかと思いますがね。
なくしたら、後世の学生さんは応仁の乱や安政の大獄をどのように理解するのでしょうかね。

>手書きの場合、見るからに 「達筆」 というのは縦書きに限る。
これも同感です。達筆の漢詩の書とか見ると感嘆してしまいます。
だいたい、縦書きをなくしたら、和室の床の間もレイアウトを替えないといけませんね。(笑)

>「これでは読めないので、ちゃんと読める字でお願いします」
これはかなり噴飯ものですね。
祖母が書道の師範だったので、(まあ私は不肖の孫なので、初段止まりでしたが)よく教えてくれ
たのですが、草書は正しい文字の書き順を覚えてこそで、そこに日本語の文字の美しさがある
と思います。
そもそも裏書きしている名前を書いているわけだから、問題ないと思うのですが。
だいたい、あのサインってよほど高額な買い物以外はちゃんと見ているか怪しい物ですが。

投稿: 雪山男 | 2008年12月18日 13:51

やっ さん:

>もう、嫌々ながら何の役にも立たない歴史上の出来事、応仁の乱とか安政の大獄とか、今の学生も覚えるのに苦しむがいい!。

わはは (^o^)
京都の人には、応仁の乱がついこないだみたいなものらしいですが。

>クレジットカードの店員さんの話。私も同じ経験しました。もしかして「丸イ丸い」がトレードマークの店じゃないでしょうね。

どこだか忘れちゃいましたが、それじゃなかったような気がします。
どこだったかなあ。

投稿: tak | 2008年12月18日 17:09

きっしー さん:

>クレジット・カードのサインに漢字を使うのも良し悪しだと聞いたことがあります。非漢字圏の人がレジをやっている場合、それらしい「字」が書いてあると思考停止でパスしてしまうそうです。

なるほど。みんな同じに見えちゃうんでしょうかね。
でも、私のはくずし字で続けているので、もしかしたら、英語のむちゃくちゃくずした筆記体に見えるかも。
(見えないか ^^;)

>もっとも、私の英字のサインだって毎回ブレまくっているので、どうでもいいのかもしれませんが。

ほんと。
ぶれないサインなんて、よっぽど練習しないとできませんね。

投稿: tak | 2008年12月18日 17:14

雪山男 さん:

>祖母が書道の師範だったので、(まあ私は不肖の孫なので、初段止まりでしたが)よく教えてくれたのですが、草書は正しい文字の書き順を覚えてこそで、そこに日本語の文字の美しさがあると思います。

おぉ、なんと恵まれた環境でありましょうか。
書道の段持ちはうらやましいです。

>だいたい、あのサインってよほど高額な買い物以外はちゃんと見ているか怪しい物ですが。

見てません。
多くの場合、サインをする前にカードを返してくれちゃいます。
一度 「サインを確認しなくていいの?」 と聞いたら、「はぁ?」 と不思議な顔をされちゃいました ^^;)

投稿: tak | 2008年12月18日 17:18

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