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2008年12月14日

テネシーワルツの CGP

昨日の記事の続きである。五木ひろし版「テネシーワルツ」で、 "I introduced her to my loved one" と歌われる(参照)のを聞いた私は、それだけで反射的に 「ぞくっ」 と気持ち悪くなってしまったのだった。

彼は男性歌手なのだから、本当は "I introduced him..." と歌うべきなのである。

私がこう言っても、「歌詞を勝手に変えて歌っていいの?」 なんて思われる向きがあるようなので、昨日のコメント欄にも書いたが、その証拠を挙げておく。

パット・ブーン版
サム・クック版
エルヴィス・プレスリー版

以上、3人の男性歌手は、全員 "I introduced him..." と歌っている。この 3人だけではない。何人挙げても同じだ。それが当たり前なのである。

最も有名なパティ・ページのバージョンは、女性歌手なんだから当然 "I introduced her..." で、五木ひろしが採用した江利チエミ・バージョンも当然そう歌っているのだが、男が歌ったらほぼ自動的に "I introduced him..." になるものなのだ。

テネシーワルツだけではない。例えば、ビートルズの名曲 "Yesterday" にしても、女性歌手が歌えばあのサビの部分は "Why he had to go, I don't know, he would't say"と、"she" が "he"に置き換わる(証拠は こちら のアリナ・タン版)。これも、言うまでもなく当然なのだ。

その常識を前提として聞いたものだから、私は五木ひろしのテネシーワルツの "♪ I introduced her..." には、瞬間的に「ぞくっ」ときてしまったのである。これはもう、生理的な反応といっていい。

ところが考えてみると不思議なことに、同じ五木ひろしが歌う「よこはま・たそがれ」には、まあ、全然「ぞくっ」としないわけじゃないけど、彼のテネシーワルツほどには抵抗を感じない。あんなに徹底的に女の立場で、女言葉で女心を歌っているのに。

そういえば、「ムード歌謡」といわれる歌には、男性歌手が女の立場で女心を歌うものが多い。あの類の歌は、カラオケで歌えと言われても私は絶対にごめん被りたいが、他人が歌う分には、まあ、見過ごせる。繰り返しになるが、全然「ぞくっ」としないわけじゃないけど。

このように男性歌手が女歌を歌ったり、女性歌手が男歌を歌ったり(水前寺清子の「いっぽんどっこの歌」など)するのを、クロス・ジェンダー・パフォーマンス (CGP) というのだそうだ。とくに日本の演歌といわれるジャンルではとても一般的な現象で、こちら のページで詳しく論じられている。

CGP というのはどうやら日本特有の文化のようで、少なくとも英語のスタンダードナンバーにはほとんど見られない現象だ。だから、五木ひろしが「よこはま・たそがれ」を女言葉で歌っても見過ごせるのに、英語のテネシーワルツで、"♪ I introduced her..." とやっちゃうと、どうしても気持ち悪いのである。

これはもう、文化の違いというほかない。

そもそも、日本の文化というのは、クロス・ジェンダーにとても寛容というか、それにかえって魅力を感じてしまったりするのである。歌舞伎の女形、宝塚、ゲイバーなどなど、クロス・ジェンダーをこんなにフツーに受け入れている国は、ほかにないだろう。あるとしたら、タイぐらいか。

この問題は、「女装と日本人」(三橋順子・著、講談社新書、税込 945円)に詳しく出ている。この本、とてもおもしろいのでオススメだ。日本がいかにクロス・ジェンダーを文化的に受容してきたかがよくわかる。

ただ、そのコンセプトをそのまま英語の歌に適用してしまうと、やっぱり「ぞくっ」ときてしまうのである。

いや、五木ひろし版 「テネシーワルツ」 は CGP というより、多分、単なるチョンボだと私は今も思っているのだが。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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比較文化・フォークロア」カテゴリの記事

コメント

英語では、歌い手の性別で歌詞を変えるんですね。
語学に疎いんで、先日の附和雷同に続き目から鱗です。

するってぇと何ですか?
歌手に洋楽を歌わせるのに、自分と同じぐらいのレベルの語学力のスタッフしかいなかったん
ですかね?
そりゃお粗末じゃあありませんか(笑)

そういえば、洋楽では男女が逆転した歌って聞きませんね。
クロス・ジェンダーの受容性は、言われるとそうですね。
(衆道というのもありましたからね。)
これも目から鱗です。

投稿: 雪山男 | 2008年12月15日 10:13

雪山男 さん:

>そういえば、洋楽では男女が逆転した歌って聞きませんね。

そうなんですよ。

日本の 「ムード歌謡」 って、ほとんどクロスジェンダーで、男性歌手が妙に甘い声でしな作って女心を歌ってますが、あれは西欧ではちょっと 「特殊」 な世界になっちゃうんでしょうね。

投稿: tak | 2008年12月15日 10:50

山口百恵のひと夏の経験をカラオケで
「君に男の子の一番大切な物をあげるよ~。」とか歌う奴がいたら、ぶん殴っちゃいそうですが。
まぁ、こういう歌を男性は歌わないんでしょうね。

でも一番気になるのは代名詞を替えただけで、女(男)心の歌が男(女)心の歌に変わっちゃうってことですね。
男(女)だけどその気持ちよくわかる。って事はあっても変えていいってもんじゃないと思うのですが。
ある意味、元の詩に対する最大の侮辱にもなりそうで、…著作権の同一性保持権の侵害にもなるんじゃないのとか思いますが、
その辺どうなんでしょう?

投稿: cen | 2008年12月16日 01:32

cen さん:

>ある意味、元の詩に対する最大の侮辱にもなりそうで、…著作権の同一性保持権の侵害にもなるんじゃないのとか思いますが、

その辺が、文化の違いなんでしょうねぇ。
三人称のジェンダー入れ替えは、むしろ当然のこととされていて、逆に、クロスジェンダーで歌うと、なんだか 「ぞくっ」 とするわけです。

欧米では、男が 「♪ ワタシ馬鹿よねぇ~」 なんて女歌を歌うことは、通常ありえません。
やるとしたら、キワモノかパロディの世界ですね。

男でも女でも歌える歌というのは、

1.ジェンダーにとらわれない歌
  (つまり、ラブソングやジェンダー固有の歌以外)
2.ラブソングでも、三人称を入れ替えれば自然に聞こえる歌

です。

それ以外、直接に男心や男の世界、女心や女の世界を歌った歌とかは、それぞれ、男性歌手、女性歌手が歌います。
そうでないと、「気持ち悪い」 という文化です。

ボルガの舟歌は、女性コーラスではありえませんし、「ある晴れた日」 をテノールで歌うというのも、あり得ません。

西洋文化は、カップルを基本にしていますから、ということは、男と女の境目はしっかりつけているんだと思います。

日本では、義太夫でも浪曲でも、演者が男女どちらでも役になりきって語りますが、それでも 「気持ち悪くない」 という文化なんですね。

男の浪曲師が女のセリフの部分を、シリアスに女になりきって (本来とは逆のジェンダーを身体化して) 裏声で語るのは、我々には当たり前ですが、グローバルな視点ではかなり異質な文化なんだと思います。

投稿: tak | 2008年12月16日 09:02

手元にあったデュークエイセスのCDの中にテネシーワルツがありましたので聞いてみましたら、彼らはしっかりと“I introduced him”と歌ってました。
欧米の文化をしっかり理解してたのですね。

さすがに半世紀以上の歴史のあるコーラスグループです。
以上、参考までに。

投稿: 偽浜っこ | 2009年1月13日 21:54

偽浜っこ さん:

>さすがに半世紀以上の歴史のあるコーラスグループです。

というか、単に当たり前なんですけどね ^^;)

投稿: tak | 2009年1月13日 22:16

おっしゃる通り、五木盤はまちがいでしょうね。
そもそも、この曲のオリジナル盤は作者のピー・ウィー・キング(カントリー歌手、男性)でしょうから、もともとの歌詞は him だったんだろうと思います(たぶん)。

投稿: 一見 | 2009年2月27日 03:15

一見 さん:

>そもそも、この曲のオリジナル盤は作者のピー・ウィー・キング(カントリー歌手、男性)でしょうから、もともとの歌詞は him だったんだろうと思います(たぶん)。

でしょうね。

投稿: tak | 2009年3月 1日 23:00

はじめまして。tak様。
日本の音楽界におけるクロス・ジェンダー・パフォーマンス。最近では日本人男性歌手だけでなく、アメリカ人男性歌手であるジェロさんでも、「海雪」、「氷雨」など、日本語一人称「私」を用いて女性の立場で歌う事例が見られる反面、女性歌手が日本語一人称「僕」を用いて男性の立場で歌うのは、日本人女性歌手に限定されており、ジェロさんの事例とは逆に、欧米人女性歌手が日本語一人称「僕」を用いて、男性の立場で歌う事例は一切見られません。
男女の歌手で格差を感じるような気がしてならないのですが、tak様ならどう考えますか?

投稿: ギガウェーブ | 2010年2月 6日 20:59

ギガウェーブ さん:

>男女の歌手で格差を感じるような気がしてならないのですが、tak様ならどう考えますか?

単に、ジェロの女性版 (というか、浜崎あゆみみたいに 「僕」 という一人称の歌を歌う外国人歌手) がまだ登場していないというだけのことでしょう。

投稿: tak | 2010年2月 7日 00:09

こんにちは、tak様。
モーリス・アルバートさんの「フィーリング」、ガゼボさんの「アイ・ライク・ショパン」。いずれも洋楽の男歌であるにもかかわらず、日本語カバーバージョンでは女歌に改変されて歌われているようですが、なぜでしょうか?

投稿: ギガウェーブ | 2010年2月 7日 20:29

ギガウェーブ さん:

>モーリス・アルバートさんの「フィーリング」、ガゼボさんの「アイ・ライク・ショパン」。いずれも洋楽の男歌であるにもかかわらず、日本語カバーバージョンでは女歌に改変されて歌われているようですが、なぜでしょうか?

それは、なかにし礼と松任谷由実に聞いてください。

投稿: tak | 2010年2月 7日 20:49

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