« 即物的 「読み・書き・算盤」 の限界 | トップページ | 「マーフィの法則」を巡る冒険 »

2008年12月11日

「付和雷同」 を巡る冒険

そういえば、昔は「不和雷同」という誤字をよく見かけた(というか、誤字の方が多かった印象さえある)が、最近は「付和雷同」という正しい表記が圧倒的多数になった。

これは国語教育が徹底したからというより、単にワープロで書くので、IME が自動的に正しい変換をしてくれるからだと思う。

ワープロを使った公式文書ではきちんと「付和雷同」と書いている人に、試しに手書きで同じ四字熟語を書かせてみたい。「不和雷同」と書いちゃう率がかなり高いんじゃあるまいかと思う。

これは多分、「絶体絶命」についても言えることで、ワープロで「絶体絶命」と書けても、手書きだと「絶対絶命」になっちゃう人が結構いると思う。ワープロは便利だけれど、無意識に使っていると、いつまでも自分の誤りに気付かない。

かく言う私も「付和雷同 (○) - 不和雷同 (×)」については、中学か高校の頃に、「どうして『安易に他人に同調する』という意味なのに 『不和』 なんて文字を使うんだろう」とふと疑問に思い、辞書を調べて初めて自分の誤りに気付いた。偉そうなことは言えない。

さらに我ながらいい加減だなあと思ってしまうのだが、その時はそれで済んでしまって、「付和雷同」という四文字熟語の語源まで調べようとはしなかったのである。それで 40年以上も 「なんだか、わかったようでわからん言葉だなあ」と放りっぱなしにしてきたのだ。

それで今頃になって、この言葉の語源も知らないうちに一生を終えるのも、なんだか気持ち悪い話のような気がしてきて、先ほどちょっとインターネットで調べようとしたのである。ところが意外なことに、この言葉の語源について触れているサイトが見当たらないのだ。

例えば Goo 辞書(三省堂 『大辞林』)で「矛盾」を引くと、よく知られた語源まできちんと説明されているが、「付和雷同」は語義が説明されているだけで、語源はしっかりと無視されている。

こうなると、「地下鉄をどこから地下に入れるか」なんていう疑問よりもずっと眠れなくなっちゃうような気がして、他のサイトにも当たってみたのである。すると、「くろご式 慣用句辞典」 という超労作サイトに以下のような記載が見つかった。(参照: 恐縮ながら フレーム内ページにリンク

・付和雷同(ふわらいどう)・附和雷同 《四熟》 しっかりした主義・主張を持たず、他人の説に安易に賛成すること。 類:●尻馬に乗る●一鶏鳴けば万鶏歌う ★「付和雷同」の出典は、中国古典には見当たらない。 「雷同」の出典:「礼記-曲礼・上」「正爾容、聴必恭。毋勦説、毋雷同」 ★「雷同」は、雷が鳴ると物がその音に共鳴して音を出すこと。人の意見などに簡単に同調してしまうことの喩え。

「付和雷同の出典は中国古典には見当たらない」というのが重要ポイントである。ふぅむ、すると、いつどこで誰が使い始めた四文字熟語なのか、よくわからないということだろうか。

じゃあ、二文字ずつ分解してしまうと、まず、下の方の 「雷同」 だが、上記のサイトには 「雷が鳴ると物がその音に共鳴して音を出すこと」 とある。念のため、Goo 辞書で引いても、以下のように同様の説明がある (参照)。

(名)スル
〔雷がなると万物が応じて響く意〕自分自身の考えがなく、すぐに他人の説に同調すること。
「付和―」「百人―する者あれば忽ち数千の随従者あり/緑簑談(南翠)」

なんだ、ということは、別に 「付和」 という二文字を付けて四文字熟語にしなくても、「雷同」 だけで十分に意味は通じるんじゃないか。じゃあ、「付和」 は一体何なんだ? ということになるが、ことのついでに同様に Goo 辞書で調べると、次のように説明してある (参照)。

(名)スル
自分に決まった意見がなく、無批判に他人の説に従うこと。
「これに―する群衆は/うづまき(敏)」

再び「なんだ」である。ヘビーな字面で煙にまかれてしまったが、要するにほとんど同じ意味の熟語を重ねて四文字熟語にしてしまっただけじゃないか。拍子抜けである。中国古典に出典が見当たらないのも道理だ。

例えば 「整理整頓」 なら、「整理」の方は必要なものを残して不要なものを捨てるという含みがあり、「整頓」は使いやすいように整えるということで、意味が少し違うから、重ねて使うことに意味がある。ところが「付和雷同」は一見もっともらしいだけで、その実、あまりにもベタすぎだ。「エアコン空調」と言ってるようなレベルである。

ここまでわかってしまうと、「付和」 の一語だけで (「雷同」 の方を使ってもいい) 通す方がスマートのように思えるけど、今となっては 「付和雷同」 と言わないと意味が通じにくいだろうなあ。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

|

« 即物的 「読み・書き・算盤」 の限界 | トップページ | 「マーフィの法則」を巡る冒険 »

言葉」カテゴリの記事

コメント

付和雷同…、「ふわてつぞう」を思い出しました。

投稿: 乙痴庵 | 2008年12月11日 12:53

乙痴庵 さん:

>付和雷同…、「ふわてつぞう」を思い出しました。

今度はそうきたか ^^;)

私は歌舞伎者なので、不破万作と名護屋山三を思い出しますが。
伝説の美少年です (^o^)

投稿: tak | 2008年12月11日 14:34

付和と雷同、個々で使えるのですね。
目から鱗です。
しかし雷同の意味を考えると、結局大きな声の人は強いということになるんですよね。(笑)

しかし、「不破哲三」はなるほど語呂が合いますね。
今後、付和雷同の言葉を見るに付け、懇切丁寧にお話しされる不破元委員長のお姿が、
目に浮かびそうです。(笑)

投稿: 雪山男 | 2008年12月11日 17:19

雪山男 さん:

>しかし雷同の意味を考えると、結局大きな声の人は強いということになるんですよね。(笑)

私が社会に出て、学んで理解するまでにとても時間のかかったのは、組織を動かすのは、主張のまっとうさよりも声の大きさだということでした ^^;)

もっともなことを理を尽くしてていねいに、静かに語るよりも、何でもいいから大きな声でがなり立てる方が、ずっと効き目がある。

>l今後、付和雷同の言葉を見るに付け、懇切丁寧にお話しされる不破元委員長のお姿が、目に浮かびそうです。(笑)

不破哲三さんも、もう少し大きな声でまくし立てるスタイルを学べばよかったかも ^^;)

(でも、それじゃ自民党と同じになるか ^^;)

投稿: tak | 2008年12月11日 18:28

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「付和雷同」 を巡る冒険:

« 即物的 「読み・書き・算盤」 の限界 | トップページ | 「マーフィの法則」を巡る冒険 »