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2009年1月 8日

時代は「フルーガリスタ」と「トップレス会議」

RNN 時事英語辞典というサイトに「2008年米流行語」という、昨年 11月 23日付の記事があるのに、今頃になって気付いた。

ここには "frugalista" "hypermiling""moofer" "topless meeting" "toxic debt" という 5つの言葉が挙げられている。なかなか世相を反映していておもしろい。

5つの言葉の意味は、次のように解説されているので、コピーしておく。

  • frugalista
    倹約家だが、おしゃれで健康な生活を送る人
  • hypermiling
    燃費を最大化すること、ハイパーマイリング
    信号で停止中にエンジンを切る、最高速度を守るなどで燃費を最大化させること
  • moofer
    携帯機器を使いこなし、決まった勤務場所を持たずに働
  • topless meeting
    パソコンや携帯電話の使用を禁止した会議

  • Toxic debt
    サブプライムローンなど金融機関にとって相当な負担となる負債

この中で、私は "frugalista" と "topless meeting" というのにとくに興味を覚えた。

"Frugalista" というのは、元々は何語なんだろう。私は日本語以外は英語しかわからないので、当てずっぽでイタリア語っぽいなあと思うほかない。あるいは "frugal"(倹約な、質素な)という英語をイタリア語っぽくこじゃれた言い方にしたのかもしれない。

外来語だとおしゃれっぽく聞こえるのは、日本人がお菓子をスイーツと言ったり、化粧品をコスメティックス(あるいは「コスメ」とかね)と言ったりしていい気になっているのと同じことである。「フルーガリスタ」ということで、「今は倹約が健康的でお洒落なのよ」という雰囲気を醸し出している。

"The Frugalista Files" というブログがあって、英語ではあるけれど、雰囲気だけは伝わりそうなので、紹介しておく。サブタイトルに "The frugal side of fabulous"(「ぶっとび系でも実はしっかり者」とでも訳したらいいのかなあ)とあるのもおもしろい。

ちょっと前だったら、電通系とか博報堂系の情報誌あたりが "ニューヨークでは、今、「フルーガリスタ」がトレンド!" とか言って、うわついたマーケティングを始めたがるところだったが、今回は鳴りを潜めている。

長らくバブルに浮かれていた米国よりも、日本の方が「フルーガリスタ精神」では実質的にずっと先を行っているので、今さら新しがっていうほどのことでもないと判断したのだろうか。それとも、どっと不況になった上に、消費者にますます倹約精神を発揮されたら商売にならないので、とぼけているのだろうか。

"Hypermiling"(ハイパーマイリング)にしたって、ガソリンを節約するチマチマした運転が上手な日本人の目から見たら、「何を今さら感」があるし。

というわけで、メジャーなメディアが「フルーガリスタがトレンド!」と騒がないので、マイナーなブロガーの私あたりが、せいぜい騒いでおこう。「時代はフルーガリスタ!」と。

"Topless meeting" というのもおもしろい。米国ではノートパソコンのことを 「ラップトップ」 と言うので、「ラップトップなしの会議」 というわけで「トップレス・ミーティング」と言うのだろう。おしゃれな言い方というより親父ギャグっぽいが。

コンピュータにあまりにも頼りすぎると、クリエイティブなアイデアが枯渇してしまうと思われ始めたらしい。それで頭の中のアナログ回路を全開にするために、電子機器を持ち込み禁止にしたのだろう。

昔だったらそれで当たり前だが、一度電子機器に頼りすぎというプロセスを経過すると、それがものすごく新鮮で、創造性が刺激されてしまうのかもしれない。おもしろいことだと思う。

いずれにしても、米国で流行ったら必ず日本でも流行るから、マークしておいても損はないだろう。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

「トップレス会議」
ぱっと見てプレイメイトがいっぱいいる様子を想像した自分が恥ずかしい。(笑)
うちの会社の会議では、めったにPCは使わないです。
かといって、柔軟な考えが出てくるかというと、なんかそうでもないような。。。

「フルーガリスタ」なんかかっこいいですね。サッカーの「ファンタジスタ」みたいで。
ちなみにうちも「フルーガリスタ」です。単なる貧乏暇無し?(笑)

投稿: 雪山男 | 2009年1月 8日 08:36

雪山男 さん:

>「トップレス会議」
>ぱっと見てプレイメイトがいっぱいいる様子を想像した自分が恥ずかしい。(笑)

日本語で 「トップレス会議」 にしちゃうと、そんな感じがしますよね (^o^)

英語のまま "topless meeting" という字面を見た時は、下っ端だけで思いっきり自由な意見を出し合うのかと思いました。

>うちの会社の会議では、めったにPCは使わないです。
>かといって、柔軟な考えが出てくるかというと、なんかそうでもないような。。。

一度デジタルまみれになってから取っ払うと、頭がリフレッシュされて効果が出るんでしょうね。

ちなみに、ウチもずっと、じいさん (とくに父方の) の代からフルーガリスタです (^o^)

投稿: tak | 2009年1月 8日 09:10

へえー。
takさんの好奇心の旺盛さには毎度感服します。

「フルーガリスタ」の反対語は「清貧の思想」というイメージでいいんですかね?
最初は「ロハス」と「清貧の思想」の中間くらいかと思ったのですが、どちらかというと「ロハス」の向こう側?

あ、「向こう側」という言い方に、無意識のうちに「私は清貧」という位置づけがにじみ出てしまいました…

投稿: きっしー | 2009年1月 8日 09:51

だ、男女問わずで、ブラ禁止ですか?(ムフッ)

実は、アタクシも、『下々会議』を想像しました。

投稿: 乙痴庵 | 2009年1月 8日 09:59

きっしー さん:

>「フルーガリスタ」の反対語は「清貧の思想」というイメージでいいんですかね?

「反対語」 なのかどうか、微妙でしょうね。
かといって、「同義語」 とは言えないし。
さらに 「清らかじゃない」 といえば語弊があるかもしれないし。
「貧しい」 ってわけじゃないってことかな。

少なくとも、聖フランシスコのイメージじゃないですね。

>どちらかというと「ロハス」の向こう側?

非常に広くばくっとした意味合いで、そういうと、わかったような気になるかも (^o^)

「私はフルーガリスタ」 と自認している人によって、そのイメージは微妙に違うかもしれませんね。
「自虐フルーガリスタ」 もいそうですし ^^;)

投稿: tak | 2009年1月 8日 11:22

乙痴庵

>だ、男女問わずで、ブラ禁止ですか?(ムフッ)

そういわれて、「男性用ブラ」というのがあったなあと思い出しました。

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/11/post-2028.html

>実は、アタクシも、『下々会議』を想像しました。

そう思いがちですよね。

でも、下々会議で決まったことは、大抵上の方の会議で簡単に覆されるでしょうね ^^;)

投稿: tak | 2009年1月 8日 11:28


frugalista と少し似ているのですが、フランスのある流行語があります
と言ってもそれを忘れてしまったのですが

とにかく、金持ちのブルジョワだが、表面は質素な住まいに住んで質素な暮らしをしているインテリ・・・という層です

ちょっといやみな人達ですが、本人たちも気にしているらしくて、特に金持ち的側面を隠すそうです
ますますいやみですが (笑)


私は清貧の思想という言葉って、うそくさいと感じます
「貧」は主観的に見ても客観的に見ても、紛れもない事実であるとします

だが「清」ッT得、自己申告なんでしょうか?
「清」は、どちらかと言えば他人に評価してもらう種類の、生活態度なり品格なりではないでしょうか?

貧はどうしようもないから、せめて格好を付けて、清を気取る
そ~ゆ~人もいると思います
私なども比較的それに近い


西欧だと宗教者の求道として考えられるのではないかと思いますが、東洋では老荘思想殻の影響で一種の文人の理想境のような捉えられ方をしているのでは?

投稿: alex99 | 2009年1月 8日 16:37

takさん

言葉足らずでしたが、あえて「清貧」ではなく「清貧の思想」としたのは、数年前に同名の本を持ち上げていたメディアの論調に漂っていた、そしてalexさんのおっしゃるような、ある種のスノビズムを念頭に置いていました。

うちのばあちゃんはフルーガリスタだったなあ。

投稿: きっしー | 2009年1月 8日 20:25

alex さん:

>frugalista と少し似ているのですが、フランスのある流行語があります
>と言ってもそれを忘れてしまったのですが

何でしょう? 思い出してください (^o^)

>私は清貧の思想という言葉って、うそくさいと感じます

本来は、貧乏でも貧乏たらしくなく、ひたすら喜んで他に尽くすライフスタイルだと 「清貧」 なんでしょうね。

「俺は悪いことできないから、金も儲からない」 という程度では、「清貧」 に値しません。

>西欧だと宗教者の求道として考えられるのではないかと思いますが、東洋では老荘思想殻の影響で一種の文人の理想境のような捉えられ方をしているのでは?

日本にも、単なる文人趣味でなく、「清貧」 の名に値する求道者はけっこういますよ。

投稿: tak | 2009年1月 8日 23:25

きっしー さん:

>言葉足らずでしたが、あえて「清貧」ではなく「清貧の思想」としたのは、数年前に同名の本を持ち上げていたメディアの論調に漂っていた、そしてalexさんのおっしゃるような、ある種のスノビズムを念頭に置いていました。

すみません、洒落が通じませんでした。

うぅむ、あの本は、興味がなくて読んでません。それもあって、脳裏に思い浮かびませんでした。

時々文芸雑誌に載る短編を読んで、「う~む、文句のつけようがないけど、ちょっと、つまんね」 と思ってましたけど ^^;)

投稿: tak | 2009年1月 8日 23:35

takさん

ちょっと調べてみたところでは、接尾辞istaはラテン語起源で、スペイン語やイタリア語に見られるとのことです。
英語表記ならistですね。
ちなみにフランス語ではiste、ギリシャ語ではistesとなるそうです。

欧米人のラテン語観はよく存じませんが、現在のラテン語が芸術・学術領域で存続していること(一般会話では殆ど使われていない様子)から推察するならば、高尚なイメージを保持したい(させたい)のかもしれませんね。我々にとって漢語表現が高尚に映るのと同様でしょうか。

しかし、frugalistaという単語に「オレたちはワカってるんだゼ、オマエたちとは違うんだゼ」という選民発想とも取れるメッセージを感じてしまうのは私がヒネているからでしょうか?(笑)

投稿: 貿易風 | 2009年1月 9日 01:52

takさん

Laptopと言えば・・・
英語圏ではノートPCという言葉はまず通じないそうですね。

もともと、小型タイプライター(これも死語ですが)程度の大きさとなった可搬型のコンピュータを膝の上で使っていたことから出来た言葉と見聞した憶えがあります。>Laptop

XEROXがPARC(パロアルト研究所)を解説、拡張路線にあった頃の話ですから、もう30年近い前の話ですね。

で、当時Lap-Crasherとも揶揄されておりましたね。
屈強な欧米人であっても、膝上に二桁に近い一桁桁Kgsの重量では堪ったものでは無かった様ですね。

如何でも良い話を思い出しまして・・・

投稿: 貿易風 | 2009年1月 9日 02:05

貿易風 さん:

>しかし、frugalistaという単語に「オレたちはワカってるんだゼ、オマエたちとは違うんだゼ」という選民発想とも取れるメッセージを感じてしまうのは私がヒネているからでしょうか?(笑)

そこまで勘ぐらなくても、単にイタリア語で 「おしゃれ感」 を出してるんだと思いますよ。

「カフィ・アンド・ミルク」 より 「キャフェ・ラティ」 と言う方がお洒落ってな感じで ^^;)

アメリカ人のヨーロッパ・コンプレックスだと思います。
"isn't it?" の代わりに 「ネスパ?」 なんていうよりは、まだ可愛いと思いますけどね ^^;)

>英語圏ではノートPCという言葉はまず通じないそうですね。

通じませんね。
「らったっ」 というと通じます (^o^)
(最初の 「ら」 は口を横に開き気味で)

米国人の使う 「らったっ」 は、かなり大きくて、それを平気でモバイルとして持ち歩きます。
空港のインターネット接続サービスポイントで、ばかでかい 「らったっ」 を広げて仕事しているのは、米国人です。

連中がパナソニックの Let's Note みたいのを使ったら、多分、キートップが小さすぎて隣のキーまで叩いてしまい、ストレスで癇癪を起こすでしょう。
米国では両手の人差し指だけでタイプする人が多いみたいですが、それでも、見てると結構速いですよ。聞けば、ビル・ゲイツもそうらしいです ^^;)

米国人がばかでかい 「らったっ」 を平気で持ち歩くのは、自分の図体がばかでかいので、あまり重く感じないのかと思ってましたが、あの国のビジネスマンはほとんど車で移動するので、実際に持ち歩く時間は極めて短いというのが本当のところのようです。

投稿: tak | 2009年1月 9日 11:54

たまに仕事で、某大手広告代理店等が世代や地域、ライフスタイルで絞り込んだ消費者セグメントに与える珍妙なネーミングを目にするんですが……。

この記事のタイトル「時代は『フルーガリスタ』」まで読んで、またその手の名称が登場したのかと思いました。着物や茶道・華道や懐石料理なんかをファッションとして尊ぶ、「古がり」が好きな層……みたいな(汗)

投稿: 山辺響 | 2009年1月 9日 16:38

山辺響 さん:

>この記事のタイトル「時代は『フルーガリスタ』」まで読んで、またその手の名称が登場したのかと思いました。着物や茶道・華道や懐石料理なんかをファッションとして尊ぶ、「古がり」が好きな層……みたいな(汗)

わはは (^o^)
いかにもありそうですね。

いろんなバリエーションもありそう。

アタラーシガリスタ とか ナキータガリスタ とか カンドウシターガリスタ とか

投稿: tak | 2009年1月 9日 18:41

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