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2009年1月26日

君と私の国

昨日の 「君と僕のためにつくられた国」 というエントリーで私は、オバマ大統領就任記念コンサートで、ピート・シーガーの歌った 「我が祖国」 について述べた。

それに関連して、和歌ログで 「この国は君の国にして我が国となぜ歌はぬかこの国の人ら」 という歌を詠んだ。(参照

私はあのコンサートの録画をみて、「この国は君と私のためにつくられた」 と、声高らかにシングアウトする米国人が、うらやましくて仕方がなかったのである。しかもその歌は、反体制シンガーと見られてきたウッディ・ガスリーによって作られたものなのだ。

ひるがえって、なぜ日本人は 「この国は君と私のためにつくられた」 と、揃って声高らかに歌うことができないのだ。どうしてこの国にはそうした歌がないのだ。そう考えると、少しばかり悲しくなってしまうのである。

しかし、見方を変えると、決して我々は 「この国は君と私のためにつくられた」 と歌えないわけではない。よく考えれば、我々もそうした歌を、既にもっている。

私は国歌 『君が代』 を支持する立場である。ただ、いわゆる 「国旗国歌法」 で規定されているということについては、かなり気にくわない。それについては 3年半以上も前に こちら で書いている。私は国旗と国歌を法律で決めるなんて、粋な国のすることじゃないと思っている。

だがこの際、それはさておいて、この 『君が代』 という歌のタイトルに、私は注目したいのだ。なぜ、「君の代」 ではないかということである。

『君が代』 の 「君」 が天皇であるということは、議論以前の問題だと私は思っている。「君、僕」 の「君」 と考えれば、民主的な歌でもあるなんていう人もいるが、それはナンセンスというものである。

そして、この歌が、「この世は永久に天皇のものであって、民衆のものではないという、極めて非民主的な歌」 という言い方も、実はナンセンスなのだ。なぜならば、歌のタイトルが 『君が代』 であって 「君の代」 ではないから。

所有を表わす「が」という日本語の助詞は、多くの場合、「自分のもの」である場合に使われる。「我が家」「我が国」「我が故郷」「おらが国」等々、すべて、自分に帰するものである。

自分に帰するものでない場合でも、とても近しい特別な感情の通う関係であることを表わすことが多い。そして、我が国の国歌のタイトルが 『君が代』であって「君の代」というようなよそよそしいものでないというのは、とても美しい心情を表現している。

「君 = 天皇」と「我々」との間に、明瞭な境界がないのだ。むしろ、国民と君主は本来一心同体であるべしというメンタリティが根底にあるがゆえに、「君の代」ではなく『君が代』であるというタイトルが、何の違和感もなく受け入れられているのではないか。

この歌の古い形の初句は、「君が代は」ではなく「我が君は」で始まっていたということが確認されている。しかし、「我が君は」では、しっくり来なかった。どうしても違和感があったのだ。それでなぜか、いつしか誰言うともなく、「君が代は」で始まるようになった。

このあたりが、この歌のエッセンスなのだと、私は考える。

「君の代」であると同時に「我らの代」でもあるのだが、あえてタイトルとしてはシンボルとしての「君」を前面に出し、エゴを出さない。そしてその上で「が」という本来ならば破格に近い助詞を、控えめながら明確に使っているというところに、私は日本的な「知」と「情」を感じてしまう。

というわけで、実は『君が代』こそが、いにしえからある日本版の "This Land is Your Land, This Land is My Land" なのだとみることができる。

この歌を軍国主義の遺物とする見方もあるが、それは『君が代』ではなく、軍国主義が悪かっただけだ。むしろ、軍国主義に汚された『君が代』の本来の名誉を回復しなければならないと、私は思っている。

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コメント

takさんに、大拍手!
 歌詞やメロディーの本来に言及できる知識は、まったくございませんが、大拍手!

投稿: 乙痴庵 | 2009年1月26日 12:16

>>軍国主義に汚された 『君が代』 の本来の名誉を回復しなければならないと、私は思っている。

これ!これを言いたくて、でも、私のボキャブラリーでは浮かばなくて、君が代=軍国主義と唱える一部の教職員の方々に苛立ちを感じていたんです。あぁスッキリしました。ありがとうございました。

投稿: やっ | 2009年1月26日 14:13

>「君 = 天皇」 と 「我々」 との間に、明瞭な境界がないのだ。

思わずなるほどとうなずいてしまいました。
日本国憲法でも、天皇陛下は国民の象徴ですからね。
takさんのご意見に賛成です。

それとびっくりしたのは、君が代はかの大山巌の愛唱歌という説があるのですね。

投稿: 雪山男 | 2009年1月26日 16:51

乙痴庵 さん:

ありがとうございます。
下手したら、炎上とまでは行かなくても反論の嵐になるかと思ってましたので、安心しました ^^;)

投稿: tak | 2009年1月26日 19:04

やっ さん:

>君が代=軍国主義と唱える一部の教職員の方々に苛立ちを感じていたんです。あぁスッキリしました。ありがとうございました。

君が代=軍国主義論は、無理がありすぎだと思います。
頭が単純すぎ。

投稿: tak | 2009年1月26日 19:05

雪山男 さん:

>それとびっくりしたのは、君が代はかの大山巌の愛唱歌という説があるのですね。

ほほう。
そういうことでも、不思議はないですね。

投稿: tak | 2009年1月26日 19:06


もちろん私も、tak-shonai さんに大賛成ですよ

だいたい軍国主義って言うけれど、あれを一部の軍人と政治家だけがやったことだなんて言い方は卑怯というものです
日本国民ほとんどみんなが燃えていたんです
今はそんな元気もありませんが (笑)

敗戦後は一転して、まるですべてを軍人と一部政治家のせいにする日本国民の国民性は・・・ (笑)
それに本当にさうだったのなら、自分たちの無知と勇気の無さを恥じるべきでしょう
あの朝日新聞が典型でしょう?
戦時中は鬼畜米英を唱え、敗戦後は軍国主義を糾弾して反省無し
マスメディアとしての矜持なんてゼロ

君が代っていい歌です
この頃はしみじみそう感じます
サッカーの国際大会の試合前の国歌斉唱でも、他国の国歌に負けていたことがない
荘厳で品格があります
ちょっと場違いな感じもいなめませんが (笑)

他国の国歌の歌詞なんてすごいものがありますよ
ラ・マルセーユズなんて正確には覚えていませんが「敵を殺せ!」の連呼ですし、いずれの国歌も国王・女王を称えている
それは時代の思想であり、また形式というものです
ドイツだってハイドンの国歌を復活した

日の丸も、星条旗と並んで世界最高の国旗です
特にシンプルさにおいて (笑)

投稿: alex99 | 2009年1月26日 21:03

alex さん:

>君が代っていい歌です
>この頃はしみじみそう感じます
>サッカーの国際大会の試合前の国歌斉唱でも、他国の国歌に負けていたことがない
>荘厳で品格があります

2年半ぐらい前、名古屋の大嶽さんというじいさんが、「君が代は音節を無視した歌」 なんていう世迷い言を言っていて、それをアサヒがなんの疑いもなく投書欄に掲載したのを、私は徹底批判したことがあります (^o^)

https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2006/06/post_95a3.html

>ちょっと場違いな感じもいなめませんが (笑)

東洋的ですからね。サッカー場にはかなりの 「異化効果」 がありますね。
両国国技館には合いますが。
でも、そのうち、モンゴル国歌を流さなければいけなくなったりして ^^;)

投稿: tak | 2009年1月26日 23:08

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