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2009年1月10日

「新コタツ文明」 って、火鉢文明?

日本発・緑の経済政策、"新コタツ文明" のすすめ」という安井至氏(東京大学名誉教授)のコラムを見つけた。

西欧的なセントラル・ヒーティングの思想の対極的として、「新コタツ文明」(その基本的定義は 「サービスを必要なことだけに限ること」)なるものを提案している。

安井氏は自らの提案を多方面から分析し、「中国は若干の疑念があるが、それ以外のアジアが西欧型文明に染まる前に、是非とも、新コタツ文明を普及させる必要があるだろう」と述べておられる。

安井氏が単に「コタツ文明」と言わずに「新コタツ文明」と言うのは、内向きメンタリティを助長する従来型の「コタツ文明」を越えたものという意味を込めておられるようだ。その意味で次のように書かれている。

日本という国は、国境線を閉じてしまったら、現在の2割程度の人口しか養うことができないだろう。もともと、海外との共存を図ることが日本の生存の必要条件なのである。

なんらかの製品を海外に売り込まなければ、必要物資、特に、長期的には価格が下がるとは思えないエネルギーを買うことができない。

というわけで、安井氏は「地球の限界と調和する文明はセントラルヒーティングに代表される西欧型ではない。そして、海外に売り込む製品を作る思想が新コタツ文明なのだ」とおっしゃっている。

その産業面での意味は、前述の基本的定義、すなわち「サービスを必要なことだけに限ること」、そして、米国のオバマ次期大統領の提唱するグリーン・ニューディールの考え方を多少取り入れ、「目前の利益をある程度無視した技術開発」を指向することとしている。

と、ここまで読んで「う~ん、タイトルがチャーミングな割に、中身が当たり前すぎ」と思ってしまうのは、私だけではないんじゃなかろうかと思ってしまったのである。

これはどうしてなのだろうと考えてみて、私は安井氏のおっしゃっているのは、実は「要するに炬燵から出てしまうこと」、ひいては「炬燵櫓から布団を引っぺがしてしまうこと」なんじゃないかと思ってしまったのだ。

炬燵に入って、せいぜい 4人ほどのごく近しい身内だけでチマチマやるのではなく、いっそ炬燵布団を引っぺがして自由に動き廻り、外とのコミュニケーションを図りながら、誰もいない他の部屋までは無駄に暖めないようにする。

つまりこれって、囲炉裏とか火鉢の思想とでも言えばいいんじゃないかという気がしてきたのである。なんだ、現代に当てはめれば、ガスストーブの思想じゃないか。

炬燵が日本に登場したのは室町時代と言われる。しかし、それがすぐに日本中に普及したわけではない。私の専門としていた歌舞伎の舞台を見ても、炬燵は農家の場面ではほとんど登場しない。商家や茶屋・遊郭の奥座敷専用のように思われる。

農家は基本的に板敷きに囲炉裏が掘ってあった。庶民の長屋でも、暖房器具は主には火鉢である。なにしろ炬燵には炬燵櫓と布団が必要だが、江戸時代には綿入れ布団はかなり贅沢品だった。農家や長屋のハつぁん熊さんでは、炬燵は取り入れにくかっただろう。

炬燵があまり「生産性」ということを感じさせないのも道理である。元々あまり生産的でないところから普及してきたもののようなのだ。だったらこの際、「火鉢文明」なんていう方が粋なんじゃあるまいか。

実は私は炬燵というのがあまり好きじゃなくて、我が家には一つもない。そんな個人的な趣味もあって、恐れ多くも東大名誉教授にちょっとだけイチャモンをつけてしまった。あまり深い意味があるわけじゃないので、そのあたりよろしく。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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コメント

ばちばちと叩いてくれるかと思いましたら、尻すぼみでした。

そもそも局部暖房が優れた日本のアイデアと言う訳ではないと思われます。その証拠に冷房の状況を見ていただけると理解出来ると思いますが、それは惨澹たる有様で都市温暖化の弊害となっています。日本の冬は穏やかである事から、精々囲炉裏と通気性の良い住居で過ごせたのでしょう。また夏の暮らしの弊害はまだ新しい問題ですから。

要するに局部的な冷暖房は、全体の環境で考えると決して推奨出来ません。炬燵文化を比喩的に扱うとすれば、まさにこうした著者が目新しい情報に被りついて逸早く売れるでまかせ本で儲けたいという浅ましい根性こそが、炬燵文化そのもので、自分だけ少々背中が寒かろうが温まってやれという賤しさが溢れています。

過剰サーヴィスとは、炬燵に入って、リモコンでつまらぬTVを視聴して、ミカンを剥きながら、煎餅を齧り、お茶と言えば出てきて、更に麗しい女性の膝元をと、まさに炬燵文化の象徴ですね。

投稿: pfaelzerwein | 2009年1月11日 18:23

pfaelzerwein さん:

>ばちばちと叩いてくれるかと思いましたら、尻すぼみでした。

「コタツそのもの」 を普及させようという趣旨ではないようなので、せいぜいこの程度に収まってしまいました。
(ホントはもっとむっと来てたんですが ^^;)

>炬燵文化を比喩的に扱うとすれば、まさにこうした著者が目新しい情報に被りついて逸早く売れるでまかせ本で儲けたいという浅ましい根性こそが、炬燵文化そのもので、(後略)

そのあたりが、むっと来たところではありますね。

この記事は突っ込み不足でした。
代弁して頂いたような気がします。
ありがとうございます。

投稿: tak | 2009年1月11日 20:01

最小限の、それでいて持続する、”おき”を有効活用できる、『日本の火燵』。(おきですから堀火燵ですなぁ)

対外的に活動出来ない季節を、出来るだけ体力を消耗しない(のんびりできる)方法と考えます。
…、雪掻きして冷えたのかあったまったんだか…、の状態で『火燵にとびこむ!』喜び。長野北信地方にて経験しました。


すみません。あまり深く考えないで、のんびり火燵につからせて下さい。

投稿: 乙痴庵 | 2009年1月11日 21:07

乙痴庵 さん:

>対外的に活動出来ない季節を、出来るだけ体力を消耗しない(のんびりできる)方法と考えます。

農耕民族は本来、冬の間はあまり外仕事はしないで、家の中に籠って過ごした (体力温存) わけなので、コタツでもいいわけですね。

ただ、綿入れ布団が高かったから、囲炉裏にしていたわけで。

>雪掻きして冷えたのかあったまったんだか…、の状態で『火燵にとびこむ!』喜び。長野北信地方にて経験しました。

背中に汗をかきつつ、手足は冷たくなっていたりしてね ^^;)

北信地方は、けっこう雪が降るみたいですね。

投稿: tak | 2009年1月12日 13:29

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