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2009年1月 4日

たやすく人を死に追いやらないように

偽メール問題で議員辞職した、あの永田寿康・元民主党衆院議員(39) が、なんと自殺してしまっていた。(参照

偽メール事件の時には、その追及の仕方のあまりのお粗末さに、私も呆れてしまったが、最後には、呆れすらも通り越して、叩きすぎずに放っておく方がいいと書いた。(参照

水に落ちた犬は、放っときゃいいじゃん」というエントリーで私は、永田批判をする当時のマスコミのはしゃぎすぎに、ずいぶんな違和感を感じてしまったのである。私はこのエントリーでこんなことを書いている。

これ、自戒をも込めて言うのだが、この件に関してのマスコミの論調、「俺らが最初っからわかってた見え見えのガセネタ、こんなに無邪気に信じちゃうなんて、信じられないぜ。民主党って、馬鹿だぜ!」と言わんばかりのはしゃぎすぎだ。

自分に跳ね返ってくる心配がないからといって、ちょっとエラソーすぎやしないか。いくら滅多にないチャンスだからといって、鬼の首でも取ったように自らの優位を示しすぎである。マスコミってそんなことまで言う立場じゃないんじゃないか。

(中略)

もういいじゃん。そりゃあ水に落ちた犬を叩きまくるのは気持ちいいかもしれないけれど、周り中で便乗的に騒ぎ立てるのは、止めにしとこう。マスコミも、「刀の穢れ」ってことを知ったらよかろうよ。

私がこんなことを書いたのは、当時の民主党のリスクマネジメントのお粗末さに失望してしまったという要素もあるが、なによりも、あの永田氏にちょっとした「アブナさ」を感じていたからである。この人、偽メール事件以前にも、かなりエキセントリックな振る舞いをしていた。

松浪健四郎氏に「党首と何発ヤッたんだ!?」と野次を飛ばして、コップの水をぶっかけられたり、社民党議員の質疑が始まった途端に、カメラに映っているのを意識した上で、大まじめに折り鶴を折り始めたり、ずいぶん「ヘン」なところがあった。だいぶ「イッタ」目つきでもあったし。

だから、私はこれ以上叩くのはちょっとヤバイよ、もう止めときなよという気持ちだったのである。まあ、「水に落ちた犬」というのも、まさか自殺してしまうとまでは思わなかったので、ひどい書き方をしてしまったものだが、とにかく「これ以上責めるのは、かえってカッコ悪いよ」ということが、ひしひしと感じられてしまったのだ。

本当に、あれ以上調子に乗っていたら、私自身、今頃夢見の悪いことになるところだった。

似たようなことがもう一度あった。昨年 5月、松岡利勝前農相が自殺した時である。自殺前の松岡氏は、NPO 申請照会口利き、事務所費の不透明な支出、議員会館の光熱水費問題、100万円献金使途不明問題などなど、数々の疑惑まみれで追及されていた。

こんなにも疑惑まみれの松岡氏を、私は意識的に無視していた。同じ頃、柳沢厚労相(当時)の「産む機械」発言に対しては 「東大法学部卒業だからといっても、頭が悪いものは悪い」とか「謝ったからといって、馬鹿が治るわけじゃない」とか、ムチャクチャどぎつい突っ込みを入れているのに。 (参照

その一方で、松岡氏についてどうこう言う気には、なぜかなれなかったのである。で、彼が自殺してしまってから、その理由がわかったような気がした。一昨年 5月、私は「動物的ヘジテーション感覚」というエントリーで、次のように書いている。

彼が自殺したというニュースで、なぜツッコむ気になれなかったかが、得心された。下手にツッコんだら、いかにも壊れちゃいそうで、どうしてもためらわれてしまったのだよ。これは何というか、論理的というよりは、ある意味、直感的あるいは生理的なヘジテーション反応である。

(中略)

松岡さんの場合には、なんだかそんなような感じがヒシヒシとしていたのだ。調子に乗ってツッコみ過ぎたら、何だかよくわからないが、きっと後で夢見の悪いことになるぞというような気がしていた。

国会で鬼の首でも取ったように追及質問をする野党議員には、「あ~あ、知ーらないぞ、知らないぞ」みたいな気にもなっていた。「お前ら、そんなノー天気に攻撃できるなんて、動物的直感が鈍すぎ!」と。

この記事を私は、「責めるときでも、最後の逃げ道までは塞がないようにという教訓なのかもしれない。戦争じゃあるまいしね」と結んでいる。

ただ、これはどちらかというと、自分本位の身勝手な発想である。いかにも受け身の下手そうなやつには、危険な角度の投げ技は仕掛けられない。下手すると頸椎骨折で殺してしまうことになる。

実は相手の身を思いやってというより、後で自分が嫌な思いをしなくても済むようにというセルフィッシュな発想というのが、どうにもお恥ずかしいところである。

毒を食らわば皿まで・・・本宅サイト 「知のヴァーリトゥード」へもどうぞ

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

takさん

何事に於いても、ですが、“加減”の分からない輩が増えてますね。具合とか、塩梅と言い換えても然りです。

未成年の虐め然り、素人プロレス団体で大技練習然り。
(共に死人が出ています。)

最近の“エコ”取り組みにしても、精神論のみが先行していて実効が伴わない行為もあるような。
(個別事象については長くなるので割愛いたします)

それにしても、羹に懲りて膾を吹いてくれるならまだ良いのですが、そのレベルの学習効果でさえも近視眼的かつ阿呆のマスメディアや政治屋(政治家なんて大層な代物では無い)には欠片も期待出来ませんが。

共に、大した中身も無いくせに奇を衒って衆目(だけ)をせしめんとする処が浅ましい。

故・永田元議員については、御本人にも多々問題が在ろう事が窺えるので、特に庇い立てする事は無いですが、そもそも政界には不向きだったのでしょうね。


投稿: 貿易風 | 2009年1月 5日 02:52


私は自他共に日本人の悪口を言うスペシャリストと自認してはいますが(笑)、特に「日本人のここがイヤだ」というピンポイントで離すなら「すでにドブに落ちた犬を思いきりみんなで納得行くまで (笑) 叩く」という国民性です

ハッキリ言って、ニュースショーだか、ワイドショーだか知りませんが、その内容たるや、すでに(本当は)権力に全く弱く浅薄で性急で事大主義な「マスメディア」が、トレンド的に「悪者」と決めつけた獲物を集団で屠る(ほふる)ばかり
というのが、日本のジャーナリズムの、戦前戦後を問わない本質ではありませんか?


ときどき思うのですが、世界に誇る黒澤明映画には、目を背けるような庶民・農民の、「卑しさ」・「卑怯さ」が強烈に表現されている
それは魑魅魍魎の世界を生きる知恵でもあるのでしょうが

今晩はコメントもいつもに増して酒臭いでしょ?
故あって飲んでいますが、酒飲みには言い訳はつきものかな

人間の生涯というものは、釈尊が悟られたように、その深層は奈落のような恐ろしい世界だと思うのです
江戸の絵師が描いたようなわかりやすすぎる (笑) 地獄のようなものでは、きっとあるはずがない
あれはこけおどかし

そこは、悲哀と虚無ではありませんかね


投稿: alex99 | 2009年1月 5日 03:29

千葉選出の永田元議員がなぜ北九州で自殺したのか、疑問に思ってちょっと調べてみたら、幼いときに別れた実の父親というのが、九州の「池友会」という医療法人の理事長をやっていて、この人が永田氏の当選以来、「自慢の息子」ということで強力に応援していたそうです。

自殺した国会議員というと、松岡氏のほかに帰化した在日韓国人家庭の出身だった新井将敬氏のことも思い出します。人の行動の背景について他人が忖度するのは難しいことですが、人間というものは自分の気づかぬところや、本人には責任の取りようがないところでも、いろいろなものを背負って生きているということなのでしょうね。

投稿: かつ | 2009年1月 5日 04:13

貿易風 さん:

>何事に於いても、ですが、“加減”の分からない輩が増えてますね。具合とか、塩梅と言い換えても然りです。

「いい人」 すぎる人が寄り集まると、「ちょっと悪い人」 を必要以上に痛めつけてしまいます。

世の中で怖いのは 「いい人」 です。「いい人」 は自分は正しいと思ってるので、決して反省しない。どこまでも 「正しい道」 を突き進んで、周りの迷惑を顧みない。

投稿: tak | 2009年1月 5日 14:39

alex さん:

>特に「日本人のここがイヤだ」というピンポイントで話すなら「すでにドブに落ちた犬を思いきりみんなで納得行くまで (笑) 叩く」という国民性です

一度落ちちゃうと、それ以上の 「オチ」 が要らなくなるみたいで、洒落で済まされない事態になりますね。

>人間の生涯というものは、釈尊が悟られたように、その深層は奈落のような恐ろしい世界だと思うのです

>そこは、悲哀と虚無ではありませんかね

釈尊は、悲哀と虚無からどんでん返しの悟りを語っていますけどね。

投稿: tak | 2009年1月 5日 14:45

かつ さん:

>人間というものは自分の気づかぬところや、本人には責任の取りようがないところでも、いろいろなものを背負って生きているということなのでしょうね。

「自慢の息子」 も、一つ間違うとどうなるかわからないということで、本当にいろいろなものを背負っていますね。
「業深い」 という言い方がありますが、気付かぬうちに、深い業を背負っていることがあるんですね。

投稿: tak | 2009年1月 5日 14:49

元祖爆弾男楢崎弥之助氏は、自衛隊のクーデター計画というある意味永田氏よりも
とんでもない誤爆をしたんですが、その後リクルート事件でもご活躍された。
同じ型の政治家でありながら、二人は線の太さが違ったんでしょうね。それとくぐっ
てこられた修羅場の数も。
なんか、永田氏のような若手議員が増えていないかちょっと心配になるんですがね。


マスコミも、誤読や、カップラーメンの値段みたいな枝葉末節の報道をするのではな
くて、視聴率、購読数を気にしない大局観のある報道をしてほしいものですね。
国民性がそういう報道を求めているのだとしたら、何となく情けないんですが。

投稿: 雪山男 | 2009年1月 5日 15:57

「いい人」の構成員に、学校の先生という存在があります。

 決して先生が悪いと申しているわけではありません。ここは強調します。
 しかしながら、周りにいる長年学校の先生をやっていた人の傾向として、『決め付け口調』の会話が目だって仕方がない。

 当然、ずっと数多の生徒なり児童なりと接してきたわけで、『決め付け』ないと意見の統率が取れないことも事実です。
 その習慣が培った会話は、そこはかとなく(いえ、随所に)決め付け口調になっていても仕方なきことと、…思います。

 …なんせ、身内に3人いますし。(お一方は現役!)


 まぁ、先生のお話については、狭い範囲での作用で済みますが、こと、マスコミ(特にテレビ)で同じ様な『決め付け口調』を展開したら…。

 ニュースショーなどで、「われわれ庶民の生活からは、到底およびもつかない…」なんて言葉を聞くと、『冗談言っちゃいけねぇ。てめえらの銭の使い方の方が、到底およびもつかねぇぜ!』と、憎まれ口のひとつもたたきたくなるってなもんでさぁ。

 オピニオンリーダー気取って、“庶民を煽る”ことが、すべて正しいとは言い切れないんだから!
 もしかして、現在のニュースショー的番組は、政治に限って申し上げるなら、すべての党に対して牙を剥いているんじゃないでしょうか?
 …ってこたぁ、良く言えばすべての政治屋に対してのダメだし、(所詮)意見という皮を被ったチャランポランの垂れ流しか(無責任報道)。

 居酒屋のオッサンの方が、よっぽど憂いて、良い意見を言ってるわい!


 意見を並べ立てて、“すべてお見通し”のマスコミ(テレビ)なら、今件の残念な結果は回避できたのではないでしょうか。
 他のことでも、そこまで追い詰めるほどあれこれ並べ立てて『決め付け口調』するなら、すべてをお見通せ!


   …フウ。

投稿: 乙痴庵 | 2009年1月 5日 16:53

雪山男 さん:

>元祖爆弾男楢崎弥之助氏は、自衛隊のクーデター計画というある意味永田氏よりもとんでもない誤爆をしたんですが、その後リクルート事件でもご活躍された。
>同じ型の政治家でありながら、二人は線の太さが違ったんでしょうね。それとくぐってこられた修羅場の数も。

それもありますが、裏の後始末システムがしっかりしていたとも言えると思います。
自社は案外仲良しということでしたから ^^;)

>マスコミも、誤読や、カップラーメンの値段みたいな枝葉末節の報道をするのではなくて、視聴率、購読数を気にしない大局観のある報道をしてほしいものですね。

視聴者のご要望に応えているのか、制作側が視聴者を見くびっているのか。

下らない内容の方が視聴率という見かけの数字が取れると思われているというのは、選挙期間中に、単に候補者名を連呼するだけの方が票に結びつくと思われているというのと、同じ構造だと思います。

都市伝説が一人歩きしているというか。

投稿: tak | 2009年1月 5日 17:37

乙痴庵 さん:

先生の多い家系にお生まれでしたか。

その気になれば、先生になれたのに (なんて ^^;)

>オピニオンリーダー気取って、“庶民を煽る”ことが、すべて正しいとは言い切れないんだから!

この手法で、「庶民の生活からは、到底およびもつかない」 ギャラをもらってきたのが、かの M.M. ですけどね ^^;)

テレビ局は、これ以上払い続けるのは無理みたいですけど。

投稿: tak | 2009年1月 5日 17:41

追加御免。


>その気になれば、先生になれたのに (なんて ^^;)

 ホントに、遊んでばかりで、教職サボって…。単位もらえなくて…。

 内省、反省、猛省。

投稿: 乙痴庵 | 2009年1月 5日 17:47

乙痴庵 さん:

>ホントに、遊んでばかりで、教職サボって…。単位もらえなくて…。

あはは (^o^)

投稿: tak | 2009年1月 5日 19:45

takさん

「いい人」→「正義を自己都合だけで振りかざす人」と置き換えてみましたが、当たりでしょうか?
私は、自省心の無い人をいい人と呼ぶ事に非常に抵抗があるので。
そんな人何処がいいのかよく判らない、って具合です。

自分も大した事無いのは承知してますが、もっと酷い人も多々見ていますし、呆れる事もこれまた多いので・・・。

事の正誤がショートタームでは時代背景によって変わることは歴史が証明していますね。世界が狂っていれば誤が正となる事例は幾等でもあります。
(後世に糾弾される事は避けられず、それは100%であると信じたいところです。)

大局、客観的な視点を持てないから視野が狭いのか、視野が狭いから大局、客観的な視点が持てないのか・・・
ある種の言葉遊びみたいな物ですが。

乙痴庵 さん

横レスいたします。

>先生のお話については、狭い範囲での作用で済みますが

これは、当初は狭い範囲かもしれませんが、その分深く影響する可能性があり、いずれは拡散するという私見です。

所謂、幼少期のミスリード、ミスインプットが是正矯正されずに成人した大人から子供に連鎖して、と言う構図が危惧されるということです。

謗りを怖れずに発言すれば、“馬鹿が連鎖する”と云うことです。

ある程度人格形成されれば(かつてのtakさんのように)虚実の見分けもできましょうが、三つ子の魂・・・の諺通り、幼少期にその判断は出来ないと考えるのが妥当なので。

マスメディアについては;
・広告主(スポンサー)>視聴者
・大袈裟に吹かす
・(概して)低俗で細部の信憑性は疑問
・ツクリモノである。
くらいに落とし込んでおけば(私見ではそのものだと考えていますが)落とし込まれた側は少なくとも半信半疑とはなるでしょうし、不祥事事例もそこかしこで発生していますから妄信はしないで欲しいところです。

まぁ、マスメディアの云う正論なんてのは、仮に正しくても役に立たないものと考えてよいでしょう。
河合隼雄センセイも生前仰せです。
「100%正しい忠告はまず役に立たない」と。

投稿: 貿易風 | 2009年1月 6日 02:56

貿易風 さん:

>「いい人」→「正義を自己都合だけで振りかざす人」と置き換えてみましたが、当たりでしょうか?

「当たり」 といっていいと思います。
私の言い方では 「自分はいい人と思いこんでいる人」 ということになりますが。

>大局、客観的な視点を持てないから視野が狭いのか、視野が狭いから大局、客観的な視点が持てないのか・・・

少しずつ視野を広げていくしかないんですよね。急には無理ですから。
「自分の視野はまだ狭い」 と思っていないと、このプロセスは辿れませんけど。

>河合隼雄センセイも生前仰せです。
>「100%正しい忠告はまず役に立たない」と。

「精神的支柱」 にしておいて、実際面ではいろいろアレンジして適用するのがいいかも ^^;)

投稿: tak | 2009年1月 6日 12:01

重ねて恐縮です。

貿易風さんの仰ること、ごもっともです。
家族に『元先生』がおります。果たして何人の生徒に対して馬鹿を連鎖させてしまったのでしょうか。

 少なくとも、私が辟易としている部分は、生徒に対する物言いのまま、家族に接する現状です。
 朝にズバッとやってるテレビを見て、「うんうん」とやっているそうなので…。
 またその内容を、「世間ではこんなことがあってな!」なんて晩餉の時に話すものですから…。

 複合的に“ぐち”になっちゃいました。失礼いたしました。

投稿: 乙痴庵 | 2009年1月 6日 13:07

乙痴庵 さん:

>朝にズバッとやってるテレビを見て、「うんうん」とやっているそうなので…。

前にもそんなようなコメントを頂きましたね。
ちょっとヤバイですね ^^;)

投稿: tak | 2009年1月 6日 18:13

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